アブネルの死[サムエル下3章]

サムエル記
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有能であっても、主の御心通りにしないと、大変なことになってしまいます。

その点、ダビデはすべて主にゆだねる信仰を表明しました。

アブネルの死[サムエル下3章]

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【ノート】
1節。2章のダビデ家とサウル家の戦いのような戦いがその後も何度かあったのだろう。戦いのたびにダビデが勝利し続けた。おそらく全力を尽くせばダビデがサウル家を滅ぼして王になることは難しくなかっただろう。しかし、ダビデも本気でサウル家をつぶしてしまおうとまでは思わない。ダビデには油注がれたサウルを敬う心とヨナタンとの友情があったし、イスラエルが一つになる上で禍根を残したくない。何よりも神の民同士が争うことは御心ではない。ダビデは平和的に王になることを望んでいた。それで、戦いは長引いたが、次第にダビデ家の優勢とサウル家の劣勢ははっきりしていった。キリストも、平和の王だ。誰の血を流すこともなく王になられた。「平和を実現する人々は幸いである。その人たちは神の子と呼ばれる」と主は言われた。私たちも、どのグループにいても、他人を蹴落として権力を得ようとしてはならない。周りの人々を愛して仕え、神様が喜ばれる平和的な方法でリーダーに立てられる者となろう。

2-5節。ダビデの勢いは、家族の中にもみられる。ヘブロンで6人の息子が生まれている。特に三男のアブサロムはゲシュルの王タルマイの娘マアカの子とある。つまり、外国の王家と政略結婚できるほど、国々の間でもダビデ家の方がサウル家よりも勢いがある、これからきっとイスラエルを統一すると思われていたということだ。
しかし、ここからダビデの弱さもわかる。6人の息子は全員別の妻から生まれている。つまり、ダビデはヘブロンで王となった後、妻の数を増やしてハーレムを作ったということだ。妻を増やすことは主の御心に適わない。申命記では王がやってはならないことの一つとして大勢の妻をめとることだと書いてある。このダビデの罪はバト・シェバとの間の大きな罪に発展していくことになり、次いでアブサロムの反乱を招くことになる。この罪はダビデ一人では終わらない。ダビデの弱さは子供にも引き継がれた。ダビデの子ソロモンはもっとエスカレートして、1000人の女性を妻にしておかしくなってしまった。結婚について神様の御心に背くなら、大勢の人々を不幸にすることになるということだ。結婚についての神様の御心はどこに書いてあるか?イエス様は結婚について語るとき、律法書の規定は頑なな人間にあわせた妥協だとされ、結婚についての神様のマスタープランを創世記2章に定めておられる。「こういうわけで、男は父母を離れて女と結ばれ、二人は一体となる」という創世記2:24をイエス様は引用された。あくまでも男性と女性の二人で構成された夫婦こそが神様の御心だということ。

6-7節。アブネルはイスラエルで最強の戦士で、イシュ・ボシェトを擁立したこともあり、軍事的にも政治的にもサウル家でトップの力を持っていて、何をしても誰も何も言えない状態だった。誰も止める人がいないので、好き勝手にすることができる。それで、サウルの側女と関係を持ってしまっていた。当時、王が亡くなった後であっても、その側女と関係を持つというのは、反逆行為であり、王位を狙うものだとみなされていた。だから、イシュ・ボシェトがその罪を指摘するのも当然のことだ。

8-11節。アブネルは罪を悔い改めるどころか、怒ってしまい、逆にイシェ・ボシェトを脅迫して黙らせてしまう。アブネルの言い分はこうだ。「自分は今まで忠実に仕えてきたし、あなたを裏切らなかった。それなのに、このくらいのことで罪に問うのか!このくらい大目に見てくれてもいいじゃないか!99正しいのだから1くらい罪に目をつぶってくれてもいいじゃないか!」人間にはこのように、「たくさん良いことをしたのだから、ちょっとくらい悪いことをしても罰はあたらないだろう」という勝手な発想をしてしまうところがある。
しかし、罪は、たった一つでもその支払う報酬は死だ。その一つの罪のためにも、イエス様は十字架で死ななければならなかったほど深刻なものだ。アブネルは悔い改めなければならなかった。罪が支払う報酬は死、この彼にとって小さな罪に思われた罪は、確かに彼の死の要因の一つになったに違いない。私たちも、良いことをしたから、ちょっとくらいなら悪いことをしても大丈夫だという発想を捨てよう。罪を指摘されたら、罪を素直に認める者になろう。
そして、アブネルはダビデを王に立てることを宣言した。一見に怒りにまかせた行動に見えるが、イシュ・ボシェトの発言はきっかけを与えたに過ぎない。アブネルは、ダビデがイスラエルの王座に着くことが主の御心だということを、預言を通して知っていた。にもかかわらず、イシュ・ボシェトを擁立した。つまり、間違っているとわかって間違ったことをしたのだ。それでアブネルはダビデ家との戦いに勝てなかった。主の御心に逆らっても勝てっこない。祝福されない。報われない。アブネルはそのことを悟って考えを変えた。10節ではダンからベエル・シェバと書いてある。ダンはイスラエルの最北端、ベエル・シェバはイスラエルの最南端。それで、ダンからベエル・シェバというのは、イスラエル全土を表す言葉だ。ダビデをイスラエル全土の王にするという意味だ。

アブネルは「ダビデをイスラエル全土の王に立てる」と決めた。決断した後のアブネルの行動はすばやく、賢明であり、徹底している。12-21節。まずアブネルは使者を送ってダビデと交渉した。アブネルの提案はダビデが望んでいたことだった。ダビデは交渉に応じて、ミカルを取り戻すことを要求した。ミカルはサウルの娘で、ダビデに褒美として与えられたが、ダビデが逃亡した後、パルティエルと再婚していた。サウルの娘ミカルがダビデのもとに戻ることを、ダビデ家とサウル家の平和のしるしとしようということだ。イシュ・ボシェトはこれに応じて、ミカルをパルティエルから無理矢理引きはがした。これはかわいそうだ。
次に、アブネルは根回しをした。イスラエルの長老たちとベニヤミンの人々とも協議をして、ダビデを王とすることについて合意形成した。突然、自分が知らない意見が飛び出すと、反発して反対に回る人がいる。そういうことのないように、あらかじめ根回しをすることは、円滑にことを進める上で重要なことだ。
最後に、アブネルは直接ダビデと会談した。今の時代、地球の裏側まで一瞬で、あらゆる手段で通信することが可能だ。それでも、重要なことは対面で行う必要がある。アブネルは見事な政治的手腕を示した。

22-27節。側近のはずのヨアブが、アブネルとの会談に同席していなかったし、アブネルが来たことすら知らなかった。おそらく、ヨアブがいると話がこじれてしまうというダビデの配慮からだろう。ヨアブというのは、強い将軍であり、ダビデの統治の役に立ったが血の気が多すぎるところがあった。害になるが役に立つから持っておきたい、ジョーカーのような存在だ。せっかく有能なのに、惜しい、そういう存在だ。ヨアブはアブネルを誘い出し、暗殺してしまった。アサエルを殺されたことに対する復讐だ。こういうことは最終的に自分に返ってくる。ヨアブも同じ憂き目にあうことになる。イエス様は何と言われたか。マタイ5:38-42。
アブネルについていえば、せっかく神様の御心に従おうとしたのに残念な結果になった。ちょっと遅かった。最初から主の御心に従ってダビデを王に立てようとしていればアサエルを殺してしまうこともヨアブに復讐されることもなかっただろう。主は何度もやり直す機会、悔い改める機会を与えてくださる。しかし、いつまでもというわけではない。手遅れになる前に、主の御心を知ったらただちに従順しよう。

28-39節。ダビデは暗殺事件のことを聞いて、ヨアブを呪っている。恐ろしい呪いだ。そして、部下に命令して盛大な葬儀を行い、嘆きの歌を歌い、断食した。自分が潔白だとするデモンストレーションだ。これによって、ダビデがアブネル暗殺に関わったという嫌疑は晴れて、兵士全員が王のすることを良いこととみなした。
そして、ダビデは王でありながら、へりくだって自分の無力さを告白し、主御自身の御手の働きを願った。自分の力で復讐したヨアブと何と違うことか。ただ、自分の立場をはっきりと表明して、すべてを主の御手の働きにゆだねた。これは立派なことだ。詩編9:11。自分ですべてをしようとするのではなく、主が働いてくださることを願う信仰だ。主はこのように全面的に主にゆだねる信仰を喜んでくださる。その信仰にこたえて主御自身が働かれた場合、誰も主の栄光を盗むことができない。

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