上着の端を切ったことを後悔する[サムエル上24章]

サムエル記
スポンサーリンク

清められた鋭い良心をもって歩みましょう。

上着の端を切ったことを後悔する[サムエル上24章]

上着の端を切ったことを後悔する[サムエル上24章]

YouTubeのチャンネル登録はこちらから!

【ノート】
1節。ダビデはエン・ゲディにいた。エン・ゲディは死海の西岸にある場所。エンは泉で、ゲディは子ヤギという意味。そこには野生のヤギがたくさんいた。ヤギはダビデら600人の食料となっただろう。エン・ゲディには美しいオアシスがあり、ダビデら600人はそこで喉をうるおしたのだろう。あちこち洞窟があり、隠れ家とするにはもってこいの場所だ。

2-3節。サウルはペリシテ人を追い払った。サウルは神の臨在を失い、悪霊にとりつかれてはいたが、「異民族と戦う」ということについてはまだ王としての役割を果たしていた。祝福されていない指導者であっても、自分の力でがんばって、それなりの年月それらしい働きができてしまうものなのだ。そのことが逆に本人にとっても周囲にとっても、自分が退けられたのだということをわからなくしてしまうところがある。ラオディキア教会の人々が「私は金持ちだ。満ち足りている。何一つ必要なものはない」と言ったのと同じだ。自分が霊的破産状態であることを自覚して、イエス様を通して憐れみを求める者は幸いだ。「心の貧しい人は、幸いである。天の国はその人たちのものである」と主が言われたのはそういうことだ。
サウルはペリシテ人を撃退したばかりなのに、すぐにダビデを追うために三千人の精鋭を動員する。悪霊どもは神に従う者を攻撃する上で非常に勤勉であり、全力を尽くす。神に従う者はそれに見合うように、霊的に武装することが必要だ。しかし、サウルとダビデのこのときの接触は、戦いは戦いでも、神に従う者が勝利を得る方法は、この世の血肉の戦いとは大きく違うということを教えてくれる。

4-5節。サウルは3千人の精鋭を連れていたが、用を足すために洞窟に入ったとき、たった一人になった。その洞窟の奥にダビデと兵士たちがいた。サウルはダビデたちに全く気づいていない。サウルを討ち取ることは全くわけないことだった。兵士たちはそのとき、「私はあなたの敵をあなたの手に渡す。思いどおりにするがよい」というダビデに与えられた御言葉を思い出した。ダビデが兵士たちに語ったのだろう。兵士たちは、今こそその時に違いないと思った。こんな思いがけない幸運は神から与えられたチャンスに違いない。神が許可してくださっていると。

非常に不思議で、思いがけない好都合のことが起こることがある。祈っていたことが即答えられたように見えること。待ち望んでいたことをちょうど神が与えてくださったかのように思えることがある。サウルはダビデを捕まえられそうな情報をつかんだらすぐに神の御名を口にした。しかし、そういうときこそ、本当にそれにとびついてよいものかどうかをよくよく吟味しなければならない。それが自分にとって好都合なだけでは十分ではない。自分にとって好都合のこと=神からのものではない!本当にそれが主の御心なのか、一度頭を冷やして考えなければならない。主がそれを禁止しておらず、それが主の御心だという根拠を主の約束の御言葉に照らして確かに見出すことができれば安心だ。そうではなく、それをすることに心にひっかかるものがあるならば、控えなければならない。それは危険な罠だ。使徒24:16。

ダビデにとってこの状況は危険な罠だった。では、ダビデはこの罠を避けて、全面的に神に喜ばれる行動をとることができたのだろうか?責められることのない良心を保つことができたのだろうか?実はダビデはこの点について失敗した。ダビデはサウルに近づいた。主を意識して、自制心を発揮して、サウルを殺すことを思いとどまった。ただ上着の端を切った。サウルを殺すチャンスがありながらもそれをしなかったということを証明するためだ。そこには、それなりの理由があった。しかし、ダビデはそれだけで後悔した。

6-8節。ダビデが主の御心に適った人だと評価されたのは、この点にある。ダビデは主の御心が良くわかっていた。これは、ダビデの良心が鋭すぎて罪でないことに罪意識を感じたのではなく、全く健全で正しい良心を持っていてのことだった。たとえ、今は悪霊にとりつかれていたとしても、サウルは自分の主人であり、主から油注がれて用いられた人物だ。その事実は変わらない。サウルを攻撃することは主を攻撃することに等しい。確かにダビデはサウルから追い回され、殺されそうになった。しかし、それでも、主はダビデに対して、サウルに仕返しをすることを良しとはなさらない。上着の端を切ることすら、小さな仕返しであって、してはならないことだったのだ。ダビデはそれすら後悔した。
『私はあなたの敵をあなたの手に渡す』というのはサウルに対することではなかった。サウルは敵ではない。ペリシテ人や異民族こそがダビデの敵だった。今やイエス様によってその異民族までも主に立ち帰ることができるようになっているので、私たちにとっては悪霊こそが敵であり、いかなる人間も真の敵足りえない。
罪を憎み、悪霊を憎んでも、人を憎んではならない。特に、主から油注がれて一時期でも用いられたクリスチャンを憎んではならない。自分の教会の牧師や指導者といった霊的な権威者を憎んではならない。もちろん、その人はサウルのように、自分や他の人に対してとんでもないことをしたかもしれない。それはそうであり、主はそのことについてその人を適切に取り扱うだろう。しかし、私たちがどうふるまうかはまた別の問題だ。「ほんの少しくらいなら仕返ししても良いだろう」と陰湿な考えを持つなら、それは上着の端を切ることだ。ほんの少しでも、上着の端を切るほどにも、自分がされた仕打ちに対して仕返しをしようとしてはならない。もし教会の牧師や指導者に対してほんの少しでも憎む心を持っていたら、きれいさっぱり捨て去ろう。そうしなければ、教会で主に献身するのが難しくなる。憎しみの心を悔い改めて、赦して、手放して、解放されよう。私たちの目には、その人たちを憎むのは当然のことのように思えたとしても、主の目には決してそうではない。主の目には彼らは御自分の僕なのだ。主の僕を憎むことは主を憎むことに等しい。また、もし何か少しでもやり返してしまったことがあれば悔い改めてイエス様の血潮によって清めていただき、良心の痛みから癒されよう。

ダビデはしかし、弱腰というわけではない。言うことは言う。指導者が間違っているときに指摘しないのは良くない。ダビデのポイントは2つ。第一に、自分が決してサウルに危害を加えようとしてはいないということ。9-12節。もしダビデがサウルに危害を加えようとしているのが本当なら、サウルをいとも簡単に亡き者にできる決定的瞬間にダビデは何もしなかった。それがダビデがサウルに対して全く反逆や悪意をいだいていない、潔白だという証拠だ。
第二に、サウルの悪は主の裁きにまかせるということ。13-16節。ダビデはどんなに自分に正当性があったとしても、サウルに対して手を下さないという点であくまでも潔白を貫こうとした。ダビデは主と自分の役割をはっきりと認識している。ダビデとサウルの間には主がおられる。善と悪を見分け、正しい者を救い、悪を滅ぼすのは主の役割であって自分ではない。ダビデは主が潔白な自分を救い、サウルを裁くことで、自分の潔白がますます明らかになることを望んだ。正しさにこだわるなら、裁きは主にゆだねなければならない。

17-23節。サウルはダビデの主張を聞いて、泣いた。そして、ダビデの方が正しいことを認め、ダビデの態度に感動した。そして、ダビデが王となることをはっきりと悟り、サウルの子孫を断たないように誓ってほしいと願った。ダビデはサウルに誓った。ここにサウルは、一見、真実な悔い改めをしているように見える。これでサウルとダビデの対立はすべて水に流して、完全な和解が成立するかのように見える。しかし、残念ながらそうではない。サウルは自分の館に帰ったし、ダビデは要害に上っていった。サウルが流した涙はお芝居ではないだろう。
大粒の涙を流そうが、自分の間違いを認めようが、主にあって生き方を変えようとしなければ悔い改めではない。血を流すまで罪に抵抗しなければならない。信仰をもって、新しい生き方をすることを宣言しなければならない。サウルはどうか?サウルはここでダビデに感動しつつも、自分の態度は変えようとはしてはいない。主にあってもう二度とダビデに危害を加えないと決断も約束も宣言もしていない。逆に自分はこのまま行くところまで行くだろうからということで、ダビデに誓いを求めている。サウルは依然として不誠実だった。感情は一時的なものであり、それが過ぎ去ればまた悪霊に動かされて同じ罪を犯そうとするのだ。ダビデもそのことをよくわかっていたので、サウルに気を許さず、要害に戻った。サウルは誓いを破ったし、このときに見逃してあげたことにも感謝せずに、また26章になるとダビデを追いかけて危害を加えようとする。それでも、ダビデはそんなサウルについての誓いを守った。ダビデはサウルの家を滅ぼすことはなかった。たとえ相手が、恩知らずで不誠実で執拗に自分を攻撃してくるとしても、自分はあくまでも誠実に正しく行動するのだ。私たちは他人がどうであれ、いつも主の御前で責められることのない良心を保つ者となろう。

【お問い合わせ】
聖書に興味を持たれた方はお気軽にご連絡ください\(^o^)/
池袋で集まりを持っています。

Email : jesus.christ.is.the.lord19860804@gmail.com
※メールで問い合わせる場合は受信設定でこのメールアドレス許可してください。

Twitter : https://twitter.com/Shuzo_Koita

Line : http://line.me/ti/p/ICne2QGIuJ

Facebook : https://www.facebook.com/shuzo.koita

コメント

タイトルとURLをコピーしました