サンヘドリンで裁判を受ける[ルカ22:63-71]

ルカによる福音書
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イエス様は夜中から朝にかけて6回も裁判を受けました。サンヘドリンでの裁判はユダヤ人の最高裁判所での公式的な記録に残すという点で重要でした。イエス様の大胆な宣言は、私たちも踏襲するべきものです。

サンヘドリンで裁判を受ける[ルカ22:63-71]


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【ノート】
63-65節。見張りをしている人たちがイエス様を暴行する場面。この人たちは祭司長や神殿守衛長たちの手下だ。見張りがまかされている任務は、イエス様が逃げないように監視することだ。見張りはただイエス様のことと、弟子たちが助けに来ないか見張っていればよかった。彼らの任務の中にイエス様を侮辱したり殴ったりすることは含まれない。これが任務なら彼らには弁解の余地がある。本当はしたくなかったのにしたのだと。しかし、彼らはしたくても良い悪事を働いているのだ。しかも、見張りという任務の範囲の中で権限を乱用してそれを行っている。自分がイエス様に対して圧倒的に優位に立っていることをいいことにやりたい放題してしまっている。ここまでするのはよほどの恨みがあるのか?イエス様に親を殺されたのか?そんなわけがない。別に大した恨みはない。実は、理由はない。イエス様はヨハネ15:25で「人々は理由もなく私を憎んだ」という詩編69:5の御言葉を引用して説明している。人の罪深さはここに極まる。とにかく、ストレス発散のために攻撃するのだ。口を開けばいろいろな言い訳が出てくるが、実際にはただすかっとしたいから攻撃する。

これは現代でも良く起きていることだ。学校でのいじめ、会社でのハラスメント、交際相手へのDVなどがそれにあたる。私たちは自分の任務の中で権限を乱用してしまっていることはないか?相手よりも優位に立っていることをいいことに、言うべきでないことを言ったり、すべきでないことをしたりしていないか?そういうことをするのは、イエス様を侮辱したり殴ったりすることに通じる。私たちは自分の任務に集中しよう。いらんことをせずに為すべきことに集中しよう。そして、すべてのことに通じる任務はイエス様から命じられている。隣人を自分のように愛しなさい。

この見張りたちは、イエス様に対して目隠しをした上で「お前を殴ったのはだれか。言い当ててみろ」と尋ねた。イエス様は何もおっしゃらなかった。それでは、イエス様には言い当てることができなかったのか?いや、実は全部言い当てることができた。ただ、あえて何もおっしゃらず、黙々と受難を耐え忍んでおられただけだ。それなのに、見張りたちはイエス様が目隠しされると何もわからなくなると勘違いしてしまっていた。本当はイエス様には何もかも見えていて、見張りたちの方が盲目なのにもかかわらず、逮捕することができたからといって勘違いしてしまった。悪いことをしても隠しておけば誰にもわからないだろうという幼稚な不信仰が人を残酷な者にする。
本当は、イエス様は私たちの罪すべてについて全部言い当てることができる。しかし、あえて手加減してくださって何も言われないことも多いのだ。なぜなら、イエス様は私たちを裁きたくないからだ。罪を赦し、愛し、祝福したい方だからだ。あのペトロを見つめたイエス様の瞳を思い出そう。イエス様の瞳はすべての悪事を見通すことができるにもかかわらず、愛の炎を燃えている。

66節。最高法院またの名はサンヘドリンでイエス様をめぐる裁判が開かれた。サンヘドリンは日本でいうところの最高裁判所でもあり、ここで出る判決はユダヤ人の裁判の中では最も強力な効力を持つ。それで、偉大なるサンヘドリンという言い方で知られている。ここでイエス様は裁かれた。サンヘドリンの人々は、まさか自分たちよりも偉大な存在を尊大にも裁こうとしているとは夢にも思っていなかっただろう。本当は、事態はあべこべであり、イエス様が裁かれるべきではなく、すべての人がイエス様の御前に立って裁かれることになるのだ。ヨハネ5:22。

ここでは夜が明けるとサンヘドリンでの裁判があったと書いてある。この裁判の目的は何だろうか?22:2を読むと、祭司長たちはすでにイエス様を殺そうとしていた。つまり、何らかの言いがかりをつけて裁判にかけて死刑にすることを決めていたのだ。後は、どんな罪で死刑にするかという問題が残った。最初から死刑にすることが決まっていて、後でどんな罪ということにしようか、そういう異常な裁判だったのだ。
それでは、夜中、ペトロが大祭司の庭に潜入していたとき、祭司長たちはイエス様に対して何をしていたのか?実は非公式的な裁判が行われていた。イエス様は何回裁判を受けたのだろうか?実は福音書を読み込むと、イエス様は木曜日の夜中から金曜日の朝にかけて合計6回も裁判にかけられたことがわかる。1回目は大祭司カイアファの義父アンナスのところでの審問、2回目は大祭司カイアファのところでの審問、3回目が夜明けでのサンヘドリンでの裁判、4回目がピラトによる1回目の裁判、5回目はヘロデによる審問、6回目がピラトによる2回目の裁判だ。イエス様は徹底的に引き回されたのだ。実は2回目のカイアファのところでの審問ですでに偽証人が集められ、イエス様の証言を聞き、イエス様を死刑にすることが決まっていた。夜中に、議員が全員集められるだろうか?無理だ。だから、非公式的なカイアファのところでの裁判は、イエス様反対派だけが集まった裁判だ。そこで死刑にすることに決めた上で、改めてサンヘドリンでの正式な裁判で死刑判決を出したのだ。
本当はこんなにすぐに死刑判決を出して執行することはできない。サンヘドリンの裁判の手続きは、被告人に有利なものとなっている。たとえば、無罪の判決は過半数でよかったが、有罪判決は三分の二の票が必要だった。また、死刑の執行はその日のうちにされてはならず、一晩のばされなければならない。なぜなら、陪審員の中には一晩寝ると被告人のことがかわいそうになり、自分の有罪判決を撤回する人が出るかもしれなかったからだ。こういう手続規定があるのに、サンヘドリンではついぞこの通りにすることがなかった。イエス様を罪に定めるために、自分たちの作ったルールを破ったのだ。イエス様を絶対亡き者にしようという底知れぬ殺意や悪意を見てとれる。
6回連続の裁判の中でも、共通したイエス様のすばらしい態度を見ることができる。全く十字架を逃れようとしなかったことと、真理を大胆に語ったことだ。6回、無罪放免されるチャンスがあったのにそれをあえて全く用いなかった。実際、祭司長たちは偽証人すら立てたがイエス様を罪に定めることに苦戦していた。イエス様は罪のない方だから、無理矢理死刑にあたる罪に定めるのは難しい。もしイエス様が何も語らなかったら、サンヘドリンはイエス様を罪に定めることができなかっただろう。どうしてイエス様は無罪となる機会を用いなかったのか?それは、私たちが裁かれないためだ。イエス様は「兄弟に向かって馬鹿と言ったら最高法院に引き渡される」と言われた。私たちは皆、本来サンヘドリンよりも偉大な法廷で裁かれなければならなかった。それをイエス様が全部代わりに引き受けてくださったのだ。

67-71節。イエス様の態度はここでも堂々としている。イエス様はすでに真夜中の裁判でも証言をなさったが、ここでも、あらためて同じことをはっきりと言われた。祭司長たちの陰謀だということを知っておられた。真夜中の不法な裁判で半ば結論を出してしまっていた茶番劇だということも知っておられた。それどころか、イエス様の言うことをサンヘドリンの人々が全く信じようとしないことまでも知っておられた。その上で、改めて「人の子が全能の神の右に座る」と勝利宣言をなさった。ユダヤ人の最高裁判所にイエス様の証しを残すということだけでも意義があったのだ。たとえ相手が全く耳を貸さなかったとしても、ある種の場所で、真理を大胆に語ることにはそれだけで意義がある。
イエス様は御自分のことを人の子と言われた。これはメシアの称号として使われる言葉だ。これが、イエス様が御自分を呼ぶときに最も良くお使いになった呼び方だ。イエス様は自分から自分のことを神の子と呼ばれる多くはなかった。しかし、祭司長たちは、「お前は神の子か」と聞いている。そして、イエス様はそれを認めている。ユダヤ人たちにとって、神の子だと自称するのは神聖冒涜罪にあたると考えた。そこで、「神の子だ」と言ったことを死刑にあたる罪と決めることにした。ユダヤ人の最高裁判所が公式に発表したのは、イエス様が死なれるのは、神の子だからだということだった。

イエス様は命をかけて、大胆に真理を語られた。真理は人を自由にするからだ。イエス様は死にあたって勝利を宣言し、御自分を神の子だとお認めになった。この二つのことは、私たちもクリスチャンとして悟り、宣言する者になろう。私はキリストと共に天の玉座についている。私はこの世を去るときすら、勝利者である。いよいよ天に召されるときには、勝利を確信し、平安の中でいこう。

そして、神の子であるということは、神の実子であるイエス様御自身がおっしゃっても刺激的な言葉だった。人間が名乗るには、神の子というのはあまりにも偉大な呼び方だからだ。私たちは、そういう存在だ。イエス様のお陰で、びっくりするほど偉大な存在とされている。私たちが神の子だということは、キリストと同じ特権や性質を持つということ。私たちはキリストと同じように天国を治める権限を持つ、キリストと同じようにこの世でしるしと不思議を行う権限を持つ、キリストと同じように人々を愛する性質を持つ、キリストと同じように聖なる性質を持つ。このことを悟り、大胆に宣言しよう。幸い、私たちは宣言しても死刑にされない。だから、なおさら大胆に宣言しよう。私は神の子だ。

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