感謝のオンパレード

福音&主題メッセージ
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感謝をするということこそがクリスチャンの特徴であるべきです。
不平を言いたくなるそのことこそが、実は最も感謝すべき内容かもしれません。

感謝のオンパレード

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【ノート】
感謝をしよう。クリスチャンといえば、感謝が口癖。感謝という言葉が一日に何百回も出てきて当たり前。感謝は信仰を示している。聖書に書いてある約束はどれもこれもすばらしいことばかり。それを信じている人は感謝があふれてくるのは当然だ。クリスチャンの原動力はなんといっても感謝だ。クリスチャンは救われるために、何もする必要がない。救いはただ恵みにより、信じるだけで与えられる。それならば、なぜ主に仕えるのか?救われるためでも、地獄に行きたくないからでもなく、主が私を救ってくださったことに対する感謝で、主を礼拝し、主に従うのだ。イエス・キリストが私を愛して、私の罪のために十字架で死なれ、三日目に復活してくださった。このことを毎日感謝しているか?感謝していないなら霊的に病気の状態だ。悔い改めて、毎日心からの感謝をささげよう。主がしてくださったことを何一つ忘れてはならない。感謝、感謝、感謝、感謝、感謝、感謝、感謝をささげよう。

人生の目的は神の栄光を現すことだが、神の栄光を現すのはどんな人なのか?感謝の念に満ちた人だ。Ⅱコリント4:15。感謝をしないなら、人生の目的から的外れな生き方をしている。感謝をするなら、人生の目的に沿っている。
Ⅰテサロニケ5:16-18。これら三つのことこそが、神様が私たちに望んでおられることと思えるが、特に「これこそ」は、どんなことにも感謝しなさいということにかかっている。感謝をすることは、神の御心を行うこと。感謝をしないなら、神の御心を全然行っていない。祈る時に感謝しないなら、無礼者。神様からたくさんのものが与えられているのに要求ばかりする。「いや、今は本当の感謝できない時なのだ」そんなことはない。テサロニケ教会は迫害の最中にあってこう命じられている。パウロは獄中にいても感謝があふれていた。食べていくにもやっとの貧しい国に住んでいる人でも、瞳がきらきらと輝いている人々がいる。食べるもの、着るもの、住む場所、健康、文明利器による快適な生活、必要なものが満たされていても、何も持っていないかのように死んだ目をしている人々がいる。いったい何がその違いをもたらすのか?感謝をするかしないかだ。神様に感謝をしない者は心がにぶく暗くなる。ローマ1:21。

感謝をせずに、不平不満をつぶやく者はどうなってしまうのか?滅ぼされる。Ⅰコリント10:10。これは荒れ野のイスラエルの有様。エジプトでの奴隷状態から解放されたのに、ある時には食べ物や飲み物のことで、ある時には約束の地で敵と戦わなければならないことについて、ある時には誰がリーダーかということについて不平をならした。これらのことに不平をならすことは正しいことだったか?完全に間違っていた。イスラエルは不平を言わなくても荒れ野でマナを食べ、岩から湧き出る水を飲むことができた。約束の地の敵が強くても、ヨシュアの世代は勝つことができた。その時のイスラエルの指導者は神が立てたモーセとアロンだった。特にモーセといえば、聖書を学ぶ人であればだれもが偉大に用いられた人物だとわかる。それなのに、彼らは不平を言った。私たちがあれこれと不平を言うとき、それはたいていの場合、間違っている。本当は、感謝すべきことが山のようにあるのに、不信仰に陥って神に文句を言っているのだ。
不平を言うとき、私たちは大きな危険にさらされている。イスラエルは不平を言って滅びた。それは私たちに対する警告として語られている。目の前に並べられている料理を見て感謝しよう。隣に与えられている兄弟姉妹を見て、感謝しよう。使徒パウロの手紙には、相手の存在に対する感謝の祈りに満ちている。
Ⅰテモテ2:1。すべての人々。そこには未信者も、肉的な人々も含まれている。信仰の目で、互いがどれだけすばらしい存在かを見よう。大きな問題に直面していても勝利を信じて感謝しよう。指導者が与えられていることにも感謝しよう。無牧の教会も日本にはいっぱいある。

感謝をするなら、いいこと尽くめだ。感謝をするなら、幸福指数が上がるだけではない。感謝をするなら、健康が守られる。感謝は信仰を働かせてささげるもの。信仰が働くとき私たちは強くなる。元気になる。癒される。癒しを継続することもできる。感謝をする人を神様がほっとかない。もっと祝福したいと願われるようになる。あなただってそうではないか?いつも要求ばかりして、不平たらたらで、全然感謝しない人と、感謝に満ちた人、どちらに良くしてあげたいと思うだろうか?当然、感謝に満ちた人だろう。イエス様が感謝の祈りをささげたときに、5つのパンと2匹の魚が増えて5千人の群衆が満腹した。感謝をするとき、奇跡が起こる。

日々感謝をささげよう。何もない日など一日もない。すべての日が、主が私たちに与えてくださっている特別な日だ。詩編118:24。哀歌3:22-23。エレミヤの哀歌はバビロン捕囚の時の国が最も悲惨な状態で歌われたもの。それでも、主の慈しみは決して絶えない。主の憐れみは決して尽きない。それは朝毎に新たになる。今日には今日の主の慈しみと憐れみが備えられている。だから、一日の始まりは感謝と賛美の祈りから始めよう。「天のお父様、新しい日を創造してくださり感謝します!」さらに、神様が私たちを愛しておられ、すばらしいことをなさるに違いないことを信じて感謝していこう。「イエス様の十字架の愛に感謝します。今日も私と共にいてくださることを感謝します。私の霊魂肉体をどんどん健康にしてくださることを感謝します。経済を祝福してくださることを感謝します。イエス様に似た者に今日もまた一歩成長できることを感謝します。思いもよらないすばらしいことを今日なさることを信じて感謝します。」感謝の祈りを朝に夕に何百回もささげよう。時には、ただ言葉だけ感謝と賛美をささげるのではなく、歌をもって、身振り手振りをもって感謝を表していこう。ローマ12:1。「自分の体を」ささげるのが霊的な礼拝であれば、聖書のメッセージを理解しようと頭だけ動かすのは礼拝ではない。体も使って感謝を表現しよう。

未信者たちが、あなたと接したときに、どういう印象を受けるだろうか?「この人は本当に感謝、感謝とばかり言うな」「どうやらクリスチャンはよく感謝する人々らしい」そういうふうになろう。それが地の塩、世の光だ。感謝をする人に悪い印象を持たない。あなたが感謝をささげるとき、人々があなたの内にある神の栄光を見るようになる。

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