臨在の幕屋―洗盤

臨在の幕屋
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実際に聖なる者にふさわしく、御言葉によって洗い清められる段階です。

臨在の幕屋―洗盤


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【ノート】
祭壇で重要なのはキリストの血を流して完全な罪の赦しを受けること、罪がない者、聖なる者、神の子としての資格を持つ。幕屋の外庭を進むと祭壇の次にあるのは洗盤。洗盤では、実際に聖なる者にふさわしく清められること。イエス・キリストを信じる者は、皆聖なる者だ。パウロ書簡を見るなら、ローマの信徒も、コリントの信徒も、エフェソの信徒も、フィリピの信徒も、コロサイの信徒も、テサロニケの信徒も、聖なる者と呼ばれている。コリントの信徒の間には、分派分裂、性的な罪、賜物の乱用、復活に対する疑いなど、様々な深刻な問題があったのに、それでも聖なる者と呼ばれている。それは、人間の罪を赦すのは、ひたすらイエス様の血の力によるのであり、神様の一方的な恵みによるものであるから、人間の行いは全く関係ないからだ。恵みの福音を信じているか?イエス様への信仰によって罪から救われていることを信じているか?それであれば、あなたは行いにかかわらず、聖なる者である。ただ一つ、聖なる者ということが一切書いていない教会がある。ガラテヤ教会だ。ガラテヤ教会は恵みの福音から逸れてしまっていた。律法の行いによって救われるという異端にだまされかけていた。恵みの福音から逸れるなら聖なる者ではない。恵みによらず、行いによって聖なる者となることは不可能だからだ。聖なる者という資格は、祭壇で完全な生け贄として献げられたキリストの血の力を信じることによってのみ与えられる。
そして、聖なる者であることと、聖なる者にふさわしくなることは別だ。エフェソ5:3では「あなたがたの間では、聖なる者にふさわしく、みだらなことやいろいろな汚れたこと、あるいは貪欲なことを口にしてはなりません」と書いてある。祭壇で聖なる者としての資格が与えられた者は、次に洗盤で実際的な清めにあずかる。洗盤についての記述を読んでみよう。出エジプト30:17-21。

洗盤では、祭司が幕屋の中に入るときと祭壇で仕えるときに手足を洗い清めることが必要だ。これを怠るなら死を招く。命にかかわる大きな罪だということ。私たちは新約における祭司なのだから、当然、手足を清めなければならない。洗盤から水をすくって、手足を清める。手は働きを司り、足は歩みを司る。手足はよく使うので汚れやすい、悪霊の影響を受けやすい。
清められていない人が、人に手を置いて祝福や癒しを祈るとどうなるか?逆に清められていない人に影響を与える悪霊が、祈った相手に乗り移り、祝福されるどころか呪われてしまう、悩まされてしまう。そういう被害を受けた人もいる。聖会で知らない牧師から祈ってもらってから、悪霊の攻撃に悩まされることになったという事例もある。だから、手を置いて祈ることは良いことだが、祈る人は罪から清められていなければ祈るべきではないし、祈ってもらう人もよくわからない人に祈ってもらうと変な霊性に毒されてしまうことに気をつけなければならない。
また、清められていない人の歩みは、世的な方向に逸れてしまいやすい。世の富や快楽に逸れていく。そういう人が祭司としての働きをしたらどうなるか?盲人を導く盲人になってしまう。道案内をするどころかどちらも穴に落ちる。地獄に落ちる。
当然、清められていない人が神の臨在に近づくというのはもってのほかだ。

では、洗盤の水で清められるとは、具体的にどうすればよいのか?何を意味するのか?洗盤の台は、教会の土台であるイエス・キリストを象徴する。Ⅰコリント3:11。洗盤の水は清めるために使う。清めのための水は御言葉を象徴している。イエス・キリストを土台とした御言葉が私たちを清める。
御言葉を行えば清いのではなく、御言葉は、信仰をもって聞けば、聞いた人はもう清い。聞いた時点で清いからこそ、清められた者としての働きと歩みがついてくる。ヨハネ15:3。大事なのは、意思を向けて、信仰をもって、御言葉を聞くことだ。イエス様はどう聞いているかに注意しなさいと言われた。信仰をもって聞かないなら、清められないし行動にも結び付かず、何も変わらない。御言葉を霊で、信仰をもって素直に聞き入れる。そうする上で妨げとなるのは、自分なりの考えや価値観だ。そういうものに照らして御言葉を見ると、御言葉に混ぜ物をすることになる。洗盤の中の水は洗うための水だから、にごっていたり、汚いものが混ざっていたりすることのない、きれいな水だった。もしその水にほかのものを混ぜたら、水としての価値を失ってしまう。良いもの、最高のものというのは、何かに混ぜたら価値がなくなる。金にしてもそうだ。純度が高いほど価値が高い。御言葉は神の言葉だ。最高のものなので、そこに何を混ぜても価値が落ちてしまう。清める力を失ってしまう。御言葉は混じり気のないものとして慕い求めよう。Ⅰペトロ1:23-2:2。同じように、御言葉を伝えるも混ぜ物をしないようにしなければならない。「私たちは、多くの人々のように、神のことばに混ぜ物をして売るようなことはせず、真心から、また、神によって、神の御前でキリストにあって語るのです」 (新改訳第3版 Ⅱコリント2:17)
臨在の幕屋の入口で仕える女性たちの献げる鏡で作った。出エジプト38:8。臨在の幕屋には女性の奉仕者たちがいた。主は女性の奉仕も受け入れる。しかし、時に男女の奉仕者がいるということは誘惑にもなった。士師の時代、祭司エリの息子のホフニとピネハスは臨在の幕屋の入口で仕える女性とたびたび床を共にしたと書いてある。なおさら、私たちは洗盤での清めの必要性を知る。また、そういう誘惑に陥らないように、奉仕者の置かれる環境や状況について、よく注意を払わなければならない。
奉仕者の女性たちが美しさを保つために用いた大事な鏡が洗盤を作るにあたって献げられた。清めのためには献身が必要なのだ。献身が必要なのは当然だ。家にお風呂があれば、それで毎日自動的に体がきれいになるわけではない。風呂場に行って、裸になって、蛇口をひねらなければ、きれいにならない。同じように洗盤はすでに与えられていて、いつも近くにある。キリストはいつも共におられ、御言葉は手の届くところにある。けれども、それで自動的に清められるわけではない。与えられているまじり気のない御言葉を、信仰をもって受け取るときに清められる。
そして、清められた者こそが、本当に美しい者となる。御言葉の水は人の姿を映す鏡によってできた洗盤でつくられていた。御言葉こそが、私たちの姿を映し出す。隠れた罪過ちがあれば、御言葉はそれを明るみにし、罪の悔い改めへと導く。ヘブライ4:12-13。風呂場で裸になってきれいになるように、御言葉によって神様の御前で裸になって清められる。また、真理の御言葉を通して、自分が本当に何者なのかを確認できる。アイデンティティの清めだ。アイデンティティが清められていない人のことを聖書では犬に象徴されて書いてある。Ⅱペトロ2:22。汚れたアイデンティティは汚れた行動を産む。清いアイデンティティが清い行動を産む。ヨハネ1:12。イザヤ53:6。Ⅰヨハネ5:13。Ⅱコリント5:17。ローマ5:1。Ⅰコリント6:19。エフェソ1:4。
ただし、洗い清める働きは、単なるアイデンティティの問題、つまり気持ちの問題、精神的な問題ではなく、霊的な変革を伴うものだ。テトス3:5。キリストを信じて救われたとき、新しく生まれた。アダムの罪を受け継ぐ者、罪を犯すしかないものではない、新しい存在に霊的に再創造されている。もう罪を犯したくない、神に従って生きたいと心底思う。御言葉にあるクリスチャンが身に着けるべきアイデンティティは救われ、変えられたという確かな事実に基づいている。
鏡によって見えるのは自分の姿だけではない。Ⅰコリント13:12。当時の鏡はぼんやりとしか見えなかった。今はぼんやりとしか見えないが、やがて顔と顔とを合わせてみることになるのは誰か?キリストだ。御言葉を通してだけでは、キリストがよくわからないこともある。しかし、鏡におぼろげに映るような姿だけでもキリストはすばらしい。御言葉によってその方を愛するようになり、その方と会う日を心待ちにして備える。

鏡を献げた女性たちは、キリストの花嫁なる霊性を持っていたといえる。花嫁もまた、花婿によって御言葉の水の洗いを受けて、世の終わりの盛大な結婚式に備える。エフェソ5:25-27。キリストがそうなさったというのは、十字架での贖いのこと。この贖いによってキリストの花嫁なる教会は花婿としての資格が与えられた。後は、花嫁にふさわしい姿になっていく必要がある。そのための言葉を伴う水の洗いだ。栄光に輝く教会がキリストの前に立つのは、いつか?キリストの再臨の時だ。教会の準備が整ったら、キリストは来られる。もし教会が赤ん坊のような未熟な教会、罪から全然清められていない教会だったら、いつまで経ってもキリストは来られない。主の再臨の時が来るように、御言葉の水によって洗い清められた者となろう。

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