その灯は唯一の光源であり、それがなければ、どれだけすばらしいものが用意されていても気づくこともできず、意味をなしません。
臨在の幕屋―金の燭台
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【ノート】
臨在の幕屋にはたった一つの門から外庭に入る。門は、羊の門であるイエス様。イエス様は唯一の罪からの救い主。この方を通らなければ天のお父様のもとにはいけない。外庭には祭壇と洗盤がある。祭壇は十字架の贖い、洗盤は清め。洗盤では手足だけ洗う。イエス様は弟子の足を洗う時に「既に体を洗った者は、全身清いのだがから、足だけ洗えばよい」と言われた。イエス様を信じて罪の赦しを受けた者は、全身が清い。後は、御言葉の水に照らして日々の生活の中で犯した罪を告白して清めていただければよい。清められた者が、聖所に入れる。前回は聖所のパンの机について言及した。それは聖餐においてイエス様の御体と血潮をいただくことの重要性を教えており、来るべき大宴会で主が食卓を整えてくださることを予表している。今回は聖所の左側にある金の燭台だ。ヘブライ語ではメノラー。
出エジプト25:31-40。燭台と芯切ばさみと火皿は1キカルの純金で造られた。1キカルとは、ヘブライ人が用いた重量の単位の中では最大のもので、約34.2kg。現在のFIFAワールドカップのトロフィーは純金製で高さ36.8cm、重さ6,175g、純金部分は4,297g。初代トロフィーは盗難被害にあった。燭台はワールドカップのトロフィーの8倍純金が使われているのだから、かなり巨大なものだということがわかる。燭台は1枚の金の打ち出し作りだった。打ち出し作りというのは、鋳型を使ったり、バラバラに作ったものを接合したりせずに、ハンマーでたたいて伸ばして燭台に仕上げたということ。これまで挙げた祭具では、部分的に金が使われていたが、燭台は全部が純金だ。この燭台の性質から、私たちが暗闇の世の中にいながらにして灯を得て、光輝くために必要なことがわかる。
金は、聖書ではすべての金属の中で最も価値のある金属として扱われている。純金と比較されているのは、神の御言葉だ。詩編19:11。聖書の御言葉は純金よりも価値あるものだ。あなたは御言葉を純金のように価値ある物として扱っているか?そう扱おう。そう扱うなら、御言葉を読み、適用し、実践するようになる。詩編119:105。
金は火によって精錬される。それは、クリスチャンに対する試練を表すものだ。Ⅰペトロ1:7。激しい試練によって、信仰が本物と証明される。火に耐える者は清められる。民数記31:23。燭台が火で精錬された純金でできたいたように、神の民は試練によって、本物と証明され、清められ、光を放つことができる。大変な状況に直面しているだろうか?教会をつぶしてしまえという声がサタンから聞こえてくる。いまこそチャンスだ。いまこそ本物と証明される。いまこそ清められる。いまこそ光を放つ。
燭台の構造は集中構造になっている。聖書の各書物や多く教えも同じく集中構造が適用されるようになっている。福音は燭台の集中構造で説明できる。創造、堕落、十字架、イエス・キリスト、復活、信仰、新生。
燭台は教会を表している。黙示録1:20。燭台には7本の柱がありながら、1枚の金から造られているように、キリストは教会と一つだ。6本支柱がある。6は人間を表す数字。その6本に1本の主柱たるキリストを足すと7つ光を放つようになる。7は完全数だ。人はただキリストによってのみ完全な者になることができる。ヨハネ15:5。キリストへの熱烈な愛こそが教会を教会あらしめる。その愛がなくなったら?黙示録2:4-5。教会は滅びてしまう。キリストへの愛によって一つとなろう。
燭台にはアーモンドの花の形をした愕と節と花弁がついていた。アーモンドについては旧約聖書に二つのエピソードが書いてある。一つはエレミヤ1:11-12。神様は駄洒落好き。アーモンドと見張るという言葉をかけている。アーモンドのことは、目覚めの木とか、見張りの木と訳すことができる。
アーモンドの特徴は、どの植物よりも早く冬の眠りから覚め、2月の初めごろには花がさき、実を実らせることだ。同じように、イエス・キリストは初穂だ。すべての死者に先駆けて復活なさったからだ。Ⅰコリント15:20-23。アーモンドに続いてすべての植物が芽を出し、花を咲かせ、実を結ばせていくように、すべてのクリスチャンもキリストの復活に続いて復活することになる。
二つ目はアロンの杖。そのとき、神によってアロンに与えられた祭司職の権限について、人々が疑いの目を向けていた。主なる神様がアロンを大祭司に立てたのだが、ある人々が納得しなかったのだ。人々は妬みや不満をあらわにした。コラの反逆は、モーセとアロンの権威に対する挑戦だった。反逆したコラ、ダタン、アビラムが滅ぼされた後も、まだ人々の間に反逆の火がくすぶっていた。そこで確かなしるしを与えるために、レビ族のアロンとイスラエルの十二部族の各部族の代表から1本ずつ杖を集めて臨在の幕屋の主の御前に置いた。そのとき、アロンの杖だけがアーモンドの実を結んだ。民数記17:23。死んで命のないはずのアロンの杖が、命の実を結んだ。復活の命のしるしによって、アロンが確かに神様から選ばれた特別な祭司であることが立証された。同じように、キリストは死んで三日目に復活することによって、永遠の祭司であることを証明された。ヘブライ7:21。祭司は神と人の仲介者として人々を神の御前に近づける働きをする。イエス・キリストは永遠の祭司として、私たちを御父の御前に私たちを近づけてくださる。
アーモンドは主のご計画が成就することを待ち望む預言的象徴。そのアーモンドの木の花がデザインされたメノラーはイスラエルの国章にもなっている希望の象徴。キリストの花嫁なる教会にとってもメノラーは主の再臨を待ち望む希望の象徴だ。
燭台は聖所の唯一の光源だ。燭台の光がないと何も見えない。パンの机も、香の壇も、契約の箱も見えない。あってもわからない、使えない、意味をなさない。祭司は奉仕ができない。燭台の光はなくてはならないものだった。神の光に照らされなければ、この世界は真っ暗だ。神を知らず、真理を知らない。罪を犯して悪魔を喜ばせることしかできない。みんな地獄に落ちるしかない。光がなければ聖所のどの祭具も見えなかったように、神がいくら私たちを愛しておられ、救おうとしておられ、恵みとして数々の良い賜物や計画を用意しておられて、天国を用意しておられても、暗闇に包まれた世界は何もわからない。イザヤ60:1-2。この光が人となってこられたのが、イエス・キリストだ。ヨハネ8:12。イエス様は御自分のことを世の光、命の光と紹介しておられる。誰が、この光に照らされることができるのだろうか?ヨハネ1:9。すべての人だ。あなたもその中に含まれる。イエス・キリストを信じて受け入れた人は、神の超自然的な光を内側に宿すようになる。その人は暗闇の世に光を放てる。マタイ5:14-16。光の中を歩み、福音の光を広める者になろう。
最後に、燭台は常夜灯だ。出エジプト27:20-21。祭司たちは、夕暮れから朝まで火が消えないように守り続けた。そして、オリーブ油は、神の民が献げたものだった。油は聖霊様による交わりを意味する。火皿は聖霊様の象徴。私たちは、世を照らす光が消えないように、聖霊様による主との交わりを絶やさないようにしなければならない。十人のおとめのたとえでは、何が左右したか?愚かなおとめは油がなくてともし火が消えそうになった。賢いおとめは油を備えていた。それで、花婿が来たときに、婚宴に迎え入れてもらうことができた。
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