正直に生きていきましょう。
だますこともだまされることもありますように。
噓で塗り固められた生活[サムエル上27章]
【ノート】
荒れ野でずっとダビデが受けてきたレッスンの1つは、神がダビデを守ってくださるということだった。サウルがどれだけ情報を集めてダビデを追いつめようとしても、絶対にダビデを捕まえることができなかった。神は物事の絶妙なタイミングやペリシテ人の襲撃、深い眠りなど、あらゆることを用いて、完璧にダビデを守っていた。ヨナタン、アビガイル、追いかけてくるサウルまでもが、サウルの手がダビデに及ぶことはない、ダビデは必ず王となるという神の摂理を信じて告白した。ダビデ自身も主による御守りを信頼していたし、26:24では「主もわたしの命を大切にされ、あらゆる苦難からわたしを救ってくださいますように」と告白している。ところが、そんなダビデから意外な告白が出てくる。1節。非常に否定的な声明だ。これは今までの主の完璧な御守りや人々からの預言の言葉に信頼していない、不信仰な発言だ。ダビデは荒れ野での訓練を受けたものの、まだまだ弱さを持った人間だったのだ。 「このままではいつかサウルの手にかかるにちがいない。」今まではそうならなかった。主が守ってくださったからだ。しかし、何度も何度も何度も何度も度重なる危機的な状況に陥ると次第に心がすり減って、否定的な考えに傾いてしまうことはある。ダビデの考えは決して事実ではなく、弱い心が産んだ否定的な考えだ。否定的な考えというのはほとんどの場合事実ではない。否定的な考えが頭に浮かんだら、それが事実なのか、そうでないのかをよく祈ってみて、真理の御言葉、神の摂理、預言、経験、状況などに照らして、冷静に判断するようにしたいものだ。もしあなたがいま、自分の将来について否定的な考えにとらわれているのなら、それが本当に事実か疑ってみよう、そして祈ってみよう。真理に基づいた冷静な分析をしてみよう。ダビデは冷静さを失い、否定的な考えに凝り固まって、「サウルの手にかかるにちがいない」と決めつけてしまった。それを逃れるための解決策までもが凝り固まっている。「ペリシテの地に逃れるほかない。」ほかないときた。エドムやモアブやアンモンでなかったのは、ペリシテ人の方が他の国よりも強く、サウルもうかつに攻め込むことができないからだろう。サウルが手出しできなくなる!ずっと悩まされ続けたサウルの手から逃れられる!それなりに理由はあるが、ダビデはこの27章全体で神に聞いた形跡が全くない。祈らずに、自分の否定的な考えに流されて自分の心だけで決めつけてしまったのだ。その結果、ダビデは後でジレンマに苦しむことになる。あなたには何か祈って、神に相談するべき懸案事項はないだろうか?もし自分の中だけで決めようとしてしまっていたら、祈りの中で、神様と相談して決めよう。
2-3節。ダビデはガトのアキシュのもとに身を寄せた。ガトといえばペリシテ人の五大都市の一つだ。アシュドドとエクロンよりも南に位置する内陸の都市で、東側はユダ族の嗣業の地と隣接している。ガトのアキシュといえば、ダビデが捕まりそうになって、とっさに髭によだれをたらして扉をかきむしって狂人のふりをした相手だ。そのときも政治的な亡命をしようと思っていたが、ダビデに自前の勢力がなかったので、捕まりそうになり、うまくいかなかった。今後は600人の兵士たちを従えて来た。アキシュの家来たちも簡単には手が出せない。二度もアキシュに取り入ろうとしたのは、それだけアキシュは御しやすそうな性格をしていたのだろう。ダビデは堂々とアキシュに接触し、うまく取り入って、亡命することに成功した。
4節。とりあえずは、サウルの手から逃れるというダビデの目論見はその通りになったのだ。
しかし、ペリシテ人の地にいるからといって即安心はできない。アキシュから疑われたら命はない。ダビデはペリシテ人の地にいる期間、アキシュの信頼を得つつ、イスラエルの人々からも嫌われることのないように、賢く立ち回ろうとした。5-7節。ダビデは地方に拠点をもらった。ダビデは滞在中に、アキシュに自分がしていることを知られたくなかった。アキシュとしては、今一つ信用できないダビデを自分から遠ざけておける。どちらにとっても好都合な提案だった。
ツィクラグはガトよりも南に位置するユダ族の地に接する場所で、遠征しようと思えば南の荒れ野に出ていける。ダビデはそこにいる異民族を襲撃して略奪した。8-12節。非常に残酷だと思われるかもしれない。それはもちろんそうだ。しかし、異民族を攻撃するというのは、古代の軍隊はどの国であっても行っていることだった。ダビデが実際に攻撃した民族を確認すると、ダビデが単なる残酷な破壊活動をしたというわけではないことがわかる。ゲシュル人の地はペリシテ人の地と同じく約束の地に含まれていて、イスラエルが征服すべき場所だ。ゲゼル人の地ははっきりと書かれていないが、おそらくはここも南部の約束の地の一部で、ソロモンの時代にはイスラエルに征服されている。アマレク人については出エジプトの後に襲撃してきたので、神が「私は、アマレクの記録を天の下から完全にぬぐい去る」と予告された民族だ。つまり、ダビデはペリシテ滞在中に、約束の地の征服というヨシュアが果たせなかったことに取り組んでおり、また、サウルが従順しなかったアマレク人を滅ぼすことに取り組んでいたのだ。だから、ダビデは敵への攻撃して戦利品を奪うにあたっても、ただ私利私欲で行うのではなく、御心に沿って行っていたのだ。
しかし、これらの民族はペリシテ人ではないにしろ、ペリシテ人と同じイスラエルの敵であり、ペリシテ人とは比較的友好関係にあったかもしれない。これらの民族を攻撃したとわかると、アキシュの怒りを買うことになるだろう。そこで、ダビデは毎回嘘の報告をした。ネゲブというのは南部という意味。南部のユダの地とか、南部のカイン人の地という意味合いだ。ダビデが報告したのは、全部イスラエルかイスラエルと特別友好関係にある民族だ。本当にこれらの地を襲撃したのであれば、ダビデはイスラエルで返り咲くことはできなくなるだろう。アキシュはすっかりダビデを信じて、イスラエルの元英雄がずっと自分の部下として働いてくれるに違いないと思った。どこを攻撃したか嘘をつくなんて、こんな嘘でどうして人をだませるのかと思うだろうか?情報が入手しやすい現代であってもこういう嘘でだまされる人が大勢いる。最近のニュースを聞いても、どの軍隊がどこを攻撃したのかということについて、偽の情報が流されることがあることがわかる。どうしてそういう情報を流す人がいるのか?偽の情報にだまされる人がいるからだ。インターネットやスマートフォンの時代であっても偽情報にだまされる人がいる。古代の世界であればなおさらのことだ。情報が洪水のようにあふれる現代にあって、私たちはその取り扱いに気をつけなければならない。世の中で流布している情報はあてにならない。私たちは悪の陰謀について調べることに夢中になる人やあからさまな都市伝説にだまされる人もいる。そういうものの中にも多少真実はあるが、むしろ分裂や無用な詮索を引き起こすきっかけになり得るものでもある。私たちは第一に真理の御言葉に立つ者となろう。
ダビデは嘘をつく側だった。ダビデには生きていくためには仕方ない策だという言い訳があっただろう。しかし、果たして、ペリシテの地で嘘で塗り固めた1年4か月を過ごすことは本当に神が望んでおられたことだっただろうか?アキシュはすっかりダビデにだまされたので、すべてはダビデの目論見通りに運んだように思われた。しかし、嘘ばかりついていてずっとうまくいくわけがない。最終的に自分の首を絞めることになる。なんとアキシュはダビデのことを信じすぎてしまい、イスラエルとの戦いにまで、ダビデを駆り出すことにしたのだ。だましたことが仇となって信用されすぎて自分の民族と戦うことになりそうになったのだ。嘘で塗り固めた生活はいつか破綻する。ダビデのように自分の首をしめてしまうことのないように、神の御前で正直な生き方をする者となろう。
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