ピラトとヘロデからの尋問[ルカ23:1-12]

ルカによる福音書
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イエス様の沈黙は一種の裁きです。
イエス様に対しては、真剣に聞き従う心をもって向き合うようにしましょう。

ピラトとヘロデからの尋問[ルカ23:1-12]


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【ノート】
1節。ユダヤ人には人を死刑にする権限がないから。ピラトとしては面倒なことになったと思っただろう。過越祭で、エルサレムには大勢の人が集まっていた。もし暴動が起こった自分の首が危ない。ピラトは普段ユダヤ人に対して強硬な態度に出ることが多かったが、このときばかりは穏便にすませたいと思った。告発者たちはそれに乗じてピラトに対してプレッシャーをかける。

2節。罪状は不誠実なもの。サンヘドリンでは「神を冒涜した罪」によって処罰されることになったのに、政治的な罪にすりかわっている。宗教的な罪についてでは、ピラトが取り合わないことを知っているからだ。彼らにとって真実や正義はどうでもよく、とにかくイエス様を亡き者にできればよかった。この世のイエス様に対する告発というのは基本的に不誠実なものだ。事実無根であったり一部の情報の切り取りだったりする。イエス様は真実な方、正義の方。だから、イエス様を退けることは、真実と正義から目を背けなければできない。イエス様をあえて退けることはそれだけで真実と正義に背く大きな罪である。

新たに導入された罪状は三つだ。①ユダヤ人を惑わした罪、②皇帝に税を納めることを禁じた罪、③王であると宣言して皇帝に反逆した罪。これらはいずれも偽りの告発だ。
まず、惑わしの罪の指摘があった。こういう偽の告発は今でも多々ある。神様を知らない人々は、イエス様を信じる人々のことを惑わされているのではないかと疑う。投資詐欺や危険なカルト宗教と同列に思われてしまうことがある。惑わしという言葉は、原語のギリシャ語では「ディアストレフォー」という言葉が使われており、そこには「曲げる」という意味がある。何を曲げてしまうのか?使徒13:8-10。「遠ざける」「ゆがめようとする」とあるのがディアストレフォーだ。この箇所から主のまっすぐな道、真理を悪魔が曲げてしまうのが、ディアストレフォーだということがわかる。魔術、異教、異端の類全般がディアストレフォーだ。これらは共通して神に敵対しており、私たちが神への信仰を妨害しようとする。しかし、魔術、異教、異端のすべてが曲がっているのであれば、ほとんどのものが曲がってしまっているのではないか?その通り。マタイ17:17。今や、曲がった時代に私たちは生きている。全世界が曲がっている。全世界が惑わされている。すべてがあまりにも曲がっているので、人々はそれが当たり前であるかのように錯覚して、まっすぐな道、真理、命なるイエス様を逆に曲がっているように見える。曲がった時代にいるのだから、信仰者として生きる上で、私たちは時代に抗う必要がある。魔術、異教、異端の惑わしにあっていないか?それらは主のまっすぐな道を曲げてしまう。私たちの永遠の命を脅かしてします。惑わしの道から立ち帰り、道、真理、命なるイエス様にまっすぐ従おう。

次に、皇帝に税を納めることを禁じる罪の指摘があった。実際には、イエス様は皇帝のものは皇帝に、神のものは神にと言われ、皇帝に税を納めることを、推奨しておられる。ローマ13:7。教会の献金に関してだけでなく、世に対しても、お金に対して清廉潔白なものとなろう。確定申告の時期が近いが、申告は嘘偽りがないものでなければならない。

最後に、反逆罪の指摘があった。クリスチャンがイエス様を王としていただくことは、即この世の権力を否定することなのか?そうではない。Ⅰペトロ2:13-14,17。イエス様を信じることはむしろ、神が上に立てた権威を積極的に敬うことに通じる。今の政権が好きか嫌いか、天皇制を指示するかしないかは別として、彼らを敬うことは必要なこと。
私たちはまっすぐな生き方、きちんとした納税、上に立つ人々に対する尊敬の態度を通してイエス様に対する世の中の告発が根も葉もないことを証明する生き方をしよう。

3-4節。ピラトはイエス様のお答えから、イエス様が政治的な意味ではなく、宗教的な意味、霊的な意味で自分がユダヤ人の王だと答えているということを見抜いた。そこで、ピラトはイエス様について「わたしはこの男に何の罪も見いだせない」と言った。ローマは優れた法体系を持っていた。ローマ法は近代に至るまでのヨーロッパの法律の基礎となった。ピラトはここでローマの総督として、ローマ法を司る立場でイエス様に対して、「無罪」を宣言している。イエス様は人間の法律に照らしても何の罪もないお方なのだ。私たちはイエス様に倣って、人間の法律を良く守る者になろう。

5-7節。告発者は税金と反逆をそれ以上追求できなかったので、扇動の嫌疑に集中することにした。告発者はイエス様がガリラヤ出身だということに触れている。ガリラヤは熱心党の創始者の「ガリラヤのユダ」が現れた場所であり、「扇動者の発祥の地」として知られていた。イエス様が危険人物だという印象を与えようとしている。しかし、ピラトにとっては、これは好都合だった。ピラトとしては、イエス様が無罪だと思ったが、ユダヤ人の指導者たちを刺激したくもなかった。できれば何も責任を負いたくない。何も決めたくない。ガリラヤの出身なら、領主ヘロデ・アンティパスの管轄だから、ヘロデにパスしよう。指導者はつらい。強力な権限を持っているとできることは多いけども、その分大変でもある。間違った決断をしてとんでもないことになったらどうしよう。それで決断ができない!組織が身動きのとれない状態になってしまう。かといってどんどん間違った決断をしたら組織が破滅してしまう。正しい決断をすばやくするには、神様に聞くことが最善である。

8-12節。ヘロデの尋問に対して、イエス様はなぜ沈黙なさったのか?イエス様にとって、ヘロデは御言葉を語るに値しない存在だったからだ。沈黙は裁きの一種だ。アモス8:11。聖書がないということではない。聖書があっても、霊的な糧として私たちの内に入ってこないということ。それでは実を結ぶことができない。ヘロデの問題点は何か?

第一に、イエス様を見世物のように思った。「以前から会いたいと思っていたし、イエスが何かしるしを行うのを見たいと望んでいた」とある。確かにヘロデはイエス様を求めていたが、それは単なる興味本位で求めていたにすぎない。イエス様を物珍しいことを見せてくれるサーカスのピエロのように、マジシャンのように、おもしろい映画のように、おもしろい小説のように、おもしろい漫画のように、おもしろいYouTubeの動画のように思っていた。そういうものを見る人々は、おもしろかったら拍手喝采する、「いいね」ボタンを押す、ああおもしかったと感想をもらす。しかし、誰もその通りにしようとする人はいない。イエス様はそういう見世物になるつもりはない。イエス様が求めておられるのは、イエス様のことを一時的に拍手喝采して終わりの者ではなく、イエス様のなさることを見て学ぶ者、イエス様の語ることを聞いて従う者だ。お客さんはいらない。傍観者はいらない。イエス様は従う弟子を求めておられる。礼拝が終わった後、メッセージについてのレビューをしている場合ではない。「今日のメッセージは良かった」という励ましは感謝。でも、もっと大きな励ましは「今日語られたことを信じます!今日のメッセージの通りにします!」と言っていただくことだ。イエス様を見世物にするなら、聞き従う気がないなら、イエス様は決して語らない。聞いて行おうとする者はメッセージの内容がよくわかる。日ごろの生活でも神様が御声をもって導いてくださる。

第二に、ヘロデはイエス様に対して不真面目だった。ヘロデは兵士たちと一緒になってイエス様をあざけり、侮辱した挙句、イエス様に派手な衣を着せて、つまり王のまね事をさせてピラトに送り返した。イエス様を完全にピエロ扱いしてしまった。イエス様が何もお答えにならなかったので、すぐにイエス様を無能で無用な者とみなしてしまった。イエス様のことを真面目にとらえよう、真剣にとらえようとする心は皆無。ただ、槍玉にあげて馬鹿にして遊ぶのが関の山ということ。多くの人がヘロデのように、イエス様を真面目に受け入れることを拒む。イエス様のなさった奇跡をあざわらったり、イエス様の語られたことを無理だの時代錯誤だのと一蹴したりする。理解できないことがあれば矛盾、間違い、狂言だとみなす。そして、馬鹿にして楽しんでしまう。もしもっと真面目にイエス様をとらえようとする心があれば、イエス様の言動に注意を払って、多くのことを学ぶことができたはずなのに、罪の赦しと永遠の命を得ることができたはずなのに、語られた通りに生きることを通して豊かな祝福を受けることができたはずなのに、それが得られなくなってしまうのは大損だ。私たちは少なくとも真剣にイエス様と向き合おう。そうしたら、イエス様は沈黙を破って御言葉を語ってくださる。

このピラトとヘロデからの尋問は、聖書預言の一つの成就だ。12節で、ヘロデとピラトが仲良くなったと書いてある。同じローマにつく立場なのに、どうしてそれまで敵対していたのかわからない。互いの野心から煙たく思っていたのかもしれない。いずれにせよ、敵対関係にある者同士が仲良くなるというのは普通ありえないことだ。それが、イエス様を中心に起こっている。イエス様の敵の中での結託はこれが初めてではない。10節では祭司長たちと律法学者たちというふうに並列して書いてあるが、祭司長はサドカイ派、律法学者はファリサイ派で互いの目指すところも神学も全然違う。それなのにイエス様憎しで一致している。このような敵のありえない和合は詩編2編の預言の成就だ。詩編2:1-2。国々は異邦人。人々はイスラエルの民も含めた諸国民。地上の王は領主のヘロデのような政治組織上の支配者を意味する。支配者は総督のピラトのような高官を意味する。使徒たちもこの預言の成就に触れている。使徒4:25-27。イエス様が祭司長、ピラト、ヘロデとの間を引き回されることすらも、全部聖書の預言通りに成就している。聖書は全部間違いない。この聖書をまっすぐ信じる者になろう。

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