エルサレム滅亡の預言[ルカ21:20-28]

ルカによる福音書
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世の終わりのことをしっかりと信じるならば、何があっても動じない希望を持つことができます。すでに成就した預言を確認すれば、いかに世の終わりのことが確かかわかります。

エルサレム滅亡の預言[ルカ21:20-28]


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【ノート】
20-21節。エルサレムの滅亡の預言については、イエス様は今まで何度も何度も取り上げてきた。そして、この箇所こそ、最も詳細に預言されている。ルカによる福音書は紀元60年頃に書かれ、エルサレムの滅亡は紀元70年だから、ルカによる福音書を読んだ人々はみんな知っていた。特に、初代エルサレム教会のクリスチャンたちは、自分たちに密接に関係するこの預言のことをよく知っていた。不信仰な人はこう思うかもしれない。「未来のことは誰もわかるはずがない。だから、この預言は後付けなのではないか?ルカによる福音書は紀元70年のエルサレム陥落以後に書かれたのではないか?」そうではない!ルカによる福音書の続編が使徒言行録。使徒言行録はパウロがローマで投獄された記事で中途半端に終わっている。そして、紀元63年のネロによるローマ大火という大事件について書いてない。それは、ルカが使徒言行録を書いた時点ではまだローマ大火は起こっていなかったからだ。使徒言行録は遅く見積もっても紀元63年以前に書かれた。ルカによる福音書はそのもっと前、つまり、間違いなく紀元70年のエルサレム陥落より前にこれらの預言がなされていた。
この預言のお陰で、エルサレムのクリスチャンたちはエルサレム陥落の時に巻き添えで死なずに済んだのだ。この預言では、どういうタイミングでどこに逃げれば良いかまではっきり書いてある。イエス様は「エルサレムが軍隊に囲まれるのを見たら」と言われた。初代エルサレム教会の人々はそれを見た。エルサレムがローマ軍に包囲された。その包囲が一時的に解除されたとき、「逃げる機会は今しかない。今こそ預言に従って逃げよう!」ということで、山に逃げた。具体的には山岳地帯を通ってヨルダン川東岸のペラに逃げた。それでは、クリスチャンではない人々はどうしたのか?難攻不落のエルサレムに逃げた方が安全だということで、あえて地方からエルサレムに逃げ込む人もいたくらいだった。クリスチャンたちもイエス様の預言を知らなかったらエルサレムにとどまっていただろう。しかし、イエス様は「都の中にいる人々は、そこから立ち退きなさい。田舎にいる人々は都に入ってはならない」と非常に具体的な指示をしてくださっている。この指示のお陰で、クリスチャンたちは助かった。

それでは、エルサレムに残った人々はどうなるのか?22-24節。すべてこの通りになった。その内容を生き証人として詳細に記録した人物がいる。フラウィウス・ヨセフスだ。彼は歴史家として知られているが、実は預言者としても知られていた。当時、ユダヤの反乱を鎮圧しようとしていた将軍ウェスパシアヌスにとらえられたとき、啓示が与えられ、「あなたは皇帝になる」と預言した。その預言通り、ウェスパシアヌスは皇帝となり、ヨセフスは生かされて後にユダヤ戦記を書いた。そのユダヤ戦記によると、エルサレムにいた人々110万人が包囲攻撃のときに餓死したり、剣にかけられたりして死亡した。当時の人口を考えると、110万人が死ぬというのは歴史的な悲劇だ。9万7千人が捕虜して連れ去られた。捕虜もいまのように人道的な扱いを受けない。そのほとんどは剣闘士試合で殺し合いをさせられて死んでしまった。エルサレムは廃墟と化した。すべてイエス様が言われた通りだ。
イエス様は「異邦人の時代が完了するまで」エルサレムは異邦人に踏み荒らされると言われる。異邦人の時代の完了とは何か?ローマ11:25-26。異邦人の福音化のことだ。福音が全世界に宣べ伝えられてから、イエス様が空中再臨して携挙が起こり、患難期が始まり、最後にユダヤ人が救われる。いや、でももうイスラエルは再建されて、エルサレムも元通りになっているのではないか?確かにすでにイスラエルという国が再建されているが、まだ再建されていないものが一つだけある。神殿だ。異邦人の完成の後の艱難期の最中に神殿が再建されるだろう。
これらのことから何がわかるか?聖書の預言をどこまでも信じなければならない。聖書は未来のことを正確に預言している。だから、これから起こる事柄に関する預言も全部正確である。世の終わりのしるし、携挙、反キリストの出現、大患難、キリストの再臨、死者の復活、最後の審判、天国と地獄、これらはすべて事実である。必ず起こる。そのときになってみないとわからないのではない。信じるのだ。死んでみないとわからない?それでは信じていることにならない。信じる者はわからないなんて言わない。わからないではなく信じる者になろう。アーメン。

預言に対する信仰を強めるために、20世紀に聖霊様から与えられた預言が成就した事例について話そう。19世紀半ばにロシアでリバイバルが起こり、人々は聖霊の様々な賜物を体験した。この預言についてはデモス・シャカリアンという人物が伝えている。1855年、アルメニアのカラ・カラという町に住む11歳の無学なロシア人のエフィム・ゲラセモヴィッチ・クラブニケン少年は、不思議な経験をした。まる一週間、神の力のもとにあり、未来の出来事の預言をロシア語で書き記した。また、絵や地図、図解などを描いて、大戦争と、トルコによるアルメニアの侵略を預言した。クリスチャンたちは、アルメニアを去って海の向こう側にある国に行かなければ殺されるだろうと警告を受けた。海の向こう側の国とは、どうやらアメリカの東海岸のことらしい。東海岸にとどまるのではなく西に進んでいくと安住の地を得て子孫が繁栄するという。しかも、この少年は文字の読み書きを教わったことがなく、世界の地理についても知らなかった。ペンテコステ派の人々は彼を本物の預言者だと信じて預言を注意深く保存した。しかし、信じないであざける人々もいた。きっとこの少年は人々を驚かすためにひそかに文字の読み書きを習い、こういうことをしたのだろうと思った。1900年、若かった無学な百姓はもう50歳を超えていたが、再び自分の友人たちや近所の人たちに語り始めた。例の預言が成就するときが近づいているから、すぐにアルメニアから出ていくように強く勧めた。それで、その年アルメニアからの脱出が始まった。土地を売って、アメリカに移住していき1912年までに聖霊の賜物を信じるすべての家族の移住が完了した。すると、1914年に第一次世界大戦がはじまり、トルコはアルメニアを制圧し、300万人以上のアルメニア人が虐殺された。その中にはカラ・カラに住んでいた人々も含まれていた。人々はメソポタミアの砂漠に無理やり追い出されたり、家屋を焼かれたりして死んでしまった。家に閉じ込められて火をつけられるとき、イスラム教に改宗するなら生かしてやると背教を迫られたが、彼らは拒否して賛美を歌いながら殉教していった。ただ、預言を聞いた人々だけが生き残った。実は、第二の預言というものがある。それは最初の預言と同じ時期に与えられ、封じられていて、しかるべき預言者が現れたときに初めて開封することが許される。まだ、開封されず、デモス・シャカリアンのミニストリーにて保管されている。その内容を知る由はないが、世の終わりの預言なのではないか。

私たちが信じるべき世の終わりの出来事の内容について確認しよう。25-28節。様々な異常事態が起こることが書いてある。これらのことは異邦人の完成の後のことだから、携挙されるクリスチャンが直接体験することはない。まだ信じていない人は、こういう異常事態に陥る前に、今のうちに信じよう。すでに信じているクリスチャンは、確実に携挙に与かる信仰を深めるようにしよう。御言葉を学ぶことには誰にとっても常に意義があり、御心を知ること、現在への適用がある。
これらは、諸国の人々にとっては気絶してしまうくらい恐ろしい出来事だ。しかし、信仰者にとっては、いよいよ希望していたことが実現する、救いを完全な形で体験するときだ。この滅びゆく肉体から解放されて、朽ちない体を得ることができる!堕落した世から解放されて、神が共におられ神の栄光に輝く永遠の御国に入れる!もう罪も死も悩みも苦しみ嘆きもない!その時には頭を上げて、勝利を宣言しよう!私は勝った!むしろ、今から勝利を宣言しよう!私は輝かしい勝利だ!そのときの出来事を見てみよう。
まず、空も見ると天体が揺り動かされる。天体というのは、気の遠くなるような年月が経過しなければほとんど変化しない。科学的に言えば、太陽は後50億年今と同じように輝き続けると言われている。だから、人間の感覚でいえば天体は不動のものだと言っていい。ソロモンもコヘレトの言葉の中で、太陽の下という言葉を繰り返し語っているが、これは一つには何も変わらないものを象徴している。昨日も、今日も、明日も天体は同じように規則的に動くに違いない。それは見方によっては空しいが、見方によっては安心感を与える。それで、天体を偶像として拝む人々もいた。今でいえば科学を偶像として拝むに等しい。しかし、天体も科学も、不動ではない。
キリストが来られるときには、天体が揺り動かされる。科学の法則までもがいつも通りに働かなくなる。科学は、永遠の時間の中でほんの一時的にしか効力を発揮しない。しかし、キリストは本当に、昨日も今日もまた永遠に変わることのないお方だ。太陽がなくなっても代わりに義の太陽が上る。マラキ3:19-20。これはキリストの再臨の預言だ。キリストのことを義の太陽と書いてある。天体よりも科学よりも義の太陽なるキリストをどこまでも信じよう。

次に、地面を見ると海がどよめき荒れ狂う。このことはほかの福音書には書いていない。海とは何か?海は陸と同様被造物に過ぎない。天地創造の時に神が海と陸を分けてくださった。しかし、海にはそれと同時に、恐ろしい「死の力」を象徴するものでもある。詩編74:13。竜は悪魔を表す。海には悪の根源がある。世の終わりには海から悪が登場する。黙示録13:1。だから、海が荒れ狂うというのは、この獣、つまり反キリストとその勢力が地上で猛威を振るうことを指している。反キリストはカリスマ的な指導者として問題を解決し、人々の心を掌握する。しかし、ひとたび実権をにぎると獣の刻印によって人々を支配する。その刻印がないと物の売り買いができないし、法的な保護が一切受けられない。そして自分を崇拝するように強要する。刻印を受けようとしない者を容赦なく虐殺されてしまう。このときには、エルサレム陥落のような恐ろしいことが全世界的起こるだろう。しかし、万一携挙に取り残されてしまっても、絶対に獣の刻印を受けてはならない。獣の刻印を受けることは背教だからだ。たとえ殉教しても、天国に行ける。海はいつまでも荒れ狂うということはない。海は永続しない。海はやがて消え去る。実は新天新地には海が存在しない。黙示録21:1。

最後に、人の子が大いなる力と栄光を帯びて雲に乗って来る。人が雲に乗れるのかなどと考える必要はない。この雲というのは、シャカイナグローリアのことだろう。主の栄光が五感で感じられるほど濃厚に現れることをシャカイナグローリアという。イスラエルが荒れ野にいたとき、主が雲の柱によって導いたのがそれだ。この時、すでに携挙された教会は、イエス様と共に、天の軍勢として地上に来て、反キリストの勢力を倒して、世界を治めることになる。

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