感謝による祝福

福音&主題メッセージ
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感謝はして当然のものですが、神様は気前よく祝福までしてくださいます。

感謝による祝福

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【ノート】
人間が神に感謝することは当然のことだ。人間が受けているありとあらゆる良いものは創造主なる神から与えられているものだからだ。命も、体も、健康も、あらゆる能力も、食べ物も、神から与えられたものだ。しかし、残念ながら、人間は恩知らだ。神からあらゆる良いものをいただいているのに全然感謝していない。ローマ1:20-21。ローマ書では、1:18-3:20までずっと人間の罪について語られている。この箇所は罪性の記述の始まりの部分だ。人間の罪性の最初の兆候は何に現れるかというと、神をあがめることも感謝することもしないことだ。感謝をしないこと、ここから始まってあらゆる悪に発展していくのだ。感謝をしないことがあらゆる罪の始まりだ。あらゆる呪いの始まりだ。神に感謝をしないことは私たちを駄目にしてしまう。だから、感謝をしよう。感謝をすれば、私たちの人間性が腐ってしまうことを避けることができる。感謝をすれば堕落しないですむ。神が自分にしてくださったあらゆる良いことを数え上げて、もれなく感謝をささげよう。詩編103:2。もれなく、一つも忘れずに、感謝せよということだ。

感謝をすることは、当然のことだ。感謝したからといって、そんなにほめられるものでもないはずだ。ところが、感謝をすることは大きな祝福となる。神様は本当に気前の良い方だ。私たちが感謝をするだけで祝福してくださる。では、具体的にどんな感謝をすると、どういう祝福にあずかることができるのか?大きく3つとりあげる。

第一に、恵みに感謝すると救われる。ルカ17:12-19。重い皮膚病が癒されるということは、ただの病気の癒しとは次元が違う。ただ健康になって快適になるというだけのことではない。人は外見を重視する。聖書にも人は目に映ることを見るという。見た目で判断するのだ。外見が悪ければ多くの人から嫌われやすくなる。その点、重い皮膚病はその人の外見を見るも無残な姿に変貌させてしまう。そこから癒されるということは、もう人々からの嫌悪の視線を浴びなくても良くなるということだ。さらには、重い皮膚病の人は社会から追い出されてしまい、町の外で生活しなければならない。重い皮膚病が癒されるということは社会復帰ができるということだ。こんなに感謝なことはない。ところが、感謝するために戻ってきたのは、10人中1人だけ!人間がどれだけ恩知らずかがよくわかる。私たちは何としてもこの10分の1にあたる者となろう。神から受けた恵みに感謝する者になる。感謝するとどんな祝福があるか。この感謝のために戻ったサマリア人だけがイエス様から受けたものがある。それは救いの宣言だ。ほかの10分の9の人については、彼らが救われたかどうかはわからない。もしかしたらまた病気になったかもしれない。しかし、このサマリア人は救いが保証されたのだ。私たち一人一人のために、イエス様が十字架で死んでくださった。そのお陰で、私たちはすべての罪が赦され、永遠の命が与えられ、神の子とされることができるようになった。こんなに感謝なことはない!重い皮膚病の癒し以上の恵みを私たちは受けている。永遠の滅びから永遠の栄光へと移れるようになっている。この恵みに感謝しているか?この恵みに対して「感謝します」と応答する者は、イエス・キリストを信じて救われる。それからはひたすら神への感謝を表していく歩みとなる。感謝することがクリスチャンライフだ。ヘブライ12:28。クリスチャンは救われるために善行を行うのではなく、救われた感謝感激で神に仕える。

第二に、普通のことに感謝すると特別なことが起こる。マタイ15:32-38。福音書を読むとイエス様は多くの場合、食事について感謝していることを知ることができる。ここに書いてあるパンと魚というのは、決して豪勢な食事ではない。むしろ、貧しい人の食事だ。しかし、イエス様は感謝の祈りを持って食べた。すると、成人男性だけで4千人が満腹する奇跡が起こった。普通のことに感謝した結果、奇跡が起きたのだ。さて、イエス様はただこの奇跡を行うときにだけ感謝の祈りをささげて食事をしたのだろうか?それとも、奇跡を行わないときも感謝の祈りをささげて食事をしただろうか?奇跡を行わないときも感謝の祈りをささげて食事をした。その証拠がマタイ26:27。イエス様はいつも、普通のことに感謝したのだ。特別なことがないとなかなか感謝しない人がいる。私はこれくらいのことで、いちいち感動しない、大袈裟にしない。そうやってクールに決めようとしているかもしれない。しかし、それはクールなのではなく、神に対して恩知らずで無礼な態度をとっている。特別なことがないと感謝しないというのでは、ほとんど感謝する機会がないことになる。なぜなら、普通のことに感謝しない人には、神様はなかなか特別なことを与えないからだ。普通のことに感謝してこそ、パンが増えた奇跡のように、奇跡の扉が開かれる。贅沢で高慢な心を捨て、いつものこと、普通のことに感謝しよう。まずはイエス様がなさったように、食事に対する感謝からだ。英語圏の国では食前の祈りのことを「Grace」という。なかには、決められた祈祷文を祈っていく教派もある。私は、祈りは定型文ではなく自然体である方が望ましいと信じる。しかし、祈祷文は祈祷文でそこには洗練されたものがある。食前の感謝の祈りの参考までにいくつか紹介しよう。英国国教会「父よ、祝福してください。あなたの賜物を私たちに授け、私たちがキリストのためにあなたに仕えられるようにしてください。アーメン。」ルーテル「主、イエス様、来てください。私たちのゲストになってください。そして、私たちへのこれらの贈り物が祝福されますように。アーメン。」メソジストの食前の祈り「主よ、私たちの食卓に出席してください。ここにおられ、どこにでもおられて礼拝を受けてください。これらの憐れみは、私たちがあなたとの交わりでごちそうを味わうことができるように祝福を与えています。アーメン。」食後の祈り「主よ、この私たちの食事に感謝しますが、それよりもイエス様の血に感謝します。私たちの魂にマナが与えられますように。いのちのパンが天から下されますように。アーメン。」食事はイエス様が共におられる場とし、感謝をささげる場とするのだ。

第三に、与えられたものに感謝すると有用なものになる。Ⅰテモテ4:3-4。旧約聖書の律法では、清い動物と清くない動物に区別されていた。清くない動物としては、ひづめがわれて反芻していない動物や水中ではひれのない生き物がそれにあたる。豚やタコは汚れた動物とされた。だから、旧約聖書の律法だけに照らすなら、私たちは豚骨ラーメンが食べられない。たこ焼きも食べられない。豚肉というのは、食品表示を見ると様々なものに入っているので、多くの食品が汚れていて食べるのはNGということになる。しかし、イエス様が来られて律法を成就して以来、これらの掟は私たちを拘束しなくなった。汚れたもの、捨てるべきもの、有害なものとみなされていたものが、感謝して受け取るなら無害でむしろ有用なものとなる。これは第一義的にはもちろん食べ物にあてはまるものだが、その他のすべてのものに応用することができる。捨てるべき不快なものが感謝によって有用なものになる。Ⅰテサロニケ5:18。どんなことにも感謝しなさいということは、どんなことにも感謝できるということ。経済的困難、人間関係の困難、病気、事故、災害、死、それらは私たちがただ悪いものととらえるなら、それは本当に悪いものとして私たちにのしかかって来て私たちを押しつぶす。
しかし、感謝をするならば、益なる、天の報いとなる、成長の機会となる、飛躍の機会となる。感謝がよくできる人はどういう人か?多くの苦難を経験した人だ。実は感謝が苦難をも益とするのと同時に、苦難が感謝を深める効果がある。苦難は感謝のスパイスなのだ。収穫感謝の起源はメイフラワー号にある。1620年、信仰の自由を求めたイギリス人の清教徒たちがメイフラワー号に乗り、新大陸のマサチューセッツの海岸にたどり着いた。しかし、厳しい冬に直面し、生活に困窮したため、半数だけがやっと生き延びることができた。翌年には先住民つまりネイティブアメリカンの助けによって、無事作物の収穫を上げることができた。それで、清教徒たちが先住民を招待し、神の御守りに心からの感謝を捧げた。それが収穫感謝だ。作物を収穫するというのは、どこの社会でも行われている、ごく普通のことだ。なぜそこまで深く、心からの感謝をささげられたのか?数多くの苦難に直面したからだ。ままならない状況を知れば知るほど、良い物が与えられたときの感謝が深まる。苦難に直面しているか?感謝のスパイスとして、それを用いよう。
全然感謝ではない状況が与えられても、信仰によりとにかく感謝をするというのは、何だか気が進まないものに思えるかもしれない。そういうときは、感謝による祝福の力を思い出そう。私たちは、ただ感謝をするだけで悩みが解決することもある。感謝をすることで神が私たちの状況を変えてくださることもあるが、そうでなくても問題解決になることもあるのだ。どういうことか?フィリピ4:6-7。感謝の祈りは人知を超える平和が与えられる。そうすれば、問題の半分はもう解決していることが多い。感謝をささげよう。イエス様が与えられていることに感謝しよう。食事に感謝しよう。捨て去りたいものにすら、感謝しよう。その感謝によって、神があなたを大いに祝福してくださるように。アーメン。

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