可能の世界に入る

福音&主題メッセージ
スポンサーリンク

イエス様が可能の世界へ案内してくださいます。

可能の世界に入る


YouTubeのチャンネル登録はこちらから!

【ノート】
ほとんどの人が不可能の世界に生きている。つまり、できないと決めつける。「そんなの無理だ。できないに決まっている。無駄無駄。」できない理由を探す。「過去にやってみたことがあるけど、できなかった。今までがんばったけどできなかった。だから、できない。」できるという人をあざ笑う。「できるというのは頭が悪い。かっこわるい。」できるという人を攻撃する。不可能の世界に生きている人は、自分のことを頭がよいと思っている。私は悟っている。現実的な感覚がある。子供っぽい夢を見ていない。がんばったところでできないに決まってるのだから、できると信じてがんばるのはなんと愚かなことか。私はなんと賢いことか。これが多くの人が生きている世界だ。

では、不可能の世界が大きな困難に直面したらどうするのか?何もしない。あきらめる。ずるずるとその状況にはまっていくしかない。依存症になったらどんどん依存していく。トラウマにずっととらわれ続ける。悪い性格をみにつけたら、変えることなんてできないと思う。ハプニングに遭遇したらとにかくあわてふためく。難病になったり障害を負ったりしたら良くなることをあきらめる。つまり、不可能の世界に生きるということは最初から絶望的だ。無力だ。この世界に生きているなら何の救いもない。サタンはクリスチャンが不可能の世界にとどまらせようとする。私たちの力を失わせ、脅威にならないようにする。私たちができないと言ったら拍手喝采して「賢い!クールだ!そうそうやるだけ無駄!」と同意する。

しかし、幸いもう一つの世界がある。可能の世界だ。マルコ9:14-18。悪霊にとりつかれて物も言えず、地面に引き倒されてしまっている子供がいる。助けを必要としている子供がいる。それなのに、弟子たちは律法学者たちと何を議論していたのか?子供をほっぽり出して何を議論していたのか?「なぜ、悪霊を追い出せないのか?なぜできないのか?不可能なのか?」それを議論していたのだ。律法学者たちは何と答えただろう。あらゆる経験と知識をフル動員して、できない理由を並べ立てたに違いない。この悪霊は手ごわいから人間の手には負えないとか、一度祈って追い出せないなら追い出せないとか。経験や知識のある人々と話すということは、実は不可能の世界に引きずり込まれるきっかけになることもあるのだ。学校の先生、医者、場合によっては両親、何らかの権威のある立場の人が語ることには、説得力がある。その人たちができない理由を並べると、「ああ、できないんだな」と思ってしまうのだ。そうならないように、私たちは誰からどんな言葉を聞いたとしても、「できない」ということを信じてしまわないようにしよう。

では、イエス様はなんといわれるのか?マルコ9:19。イエス様は弟子たちの問題点をはっきりと指摘しておられる。弟子たちの問題は、道徳的なものでも、能力的なものでもなかった。ただひたすら信仰の問題だった。どういう信仰か?彼らには「できる。可能である。悪霊を追い出せる」という信仰が欠けていたのだ。もし彼らができると確信していたら?律法学者たちと議論している暇があったらその子供が解放されるまで悪霊の追い出しをし続けただろう。祈り続けただろう。弟子たちはちょっとやってみて駄目だったからもうあきらめて、できない理由を探し始めてしまったのだ。イエス様はそれを厳しく叱った。それもそのはず、イエス様が弟子たちにずっと教えてきたのは信仰だ。できるという信仰だ。それなのに、少しやってみて駄目だからということで不信仰に陥ってあきらめてしまった。しかも、それによって悪霊にとりつかれた子供の父親に大きなつまずきを与えてしまっている。

マルコ9:20-29。まず「『できれば』と言うか。信じる者には何でもできるできる」という言葉から、「できる」という信仰が必要なのだということがわかる。しかも、イエス様は「できる」という信仰さえあれば「何でもできる」と言われる。何でもだ。何でもと言っても、御心に適わないことはふくまれないのではないか?もちろんそうだが、そもそも主にあって何でもできると信じている人が明らかに御心に適わないことを願うだろうか?イエス様はあえて、何も制限をしておられない。ただ「信じる者には何でもできる」とだけおっしゃっている。何も制限しておられないのは、私たちのできるという信仰を委縮させないためだ。「でもこれは含まれないでしょう?」というのをなくすためだ。できると信じれば何でもできるのだ。では、最後のこの種のものは祈りによらなければ追い出せないというのはどういうことか?信仰と祈りは結びついている。私たちの主は何でもおできになるお方だ。小さい自分のことに注目していると「何でもできる」なんて到底信じられない。しかし、祈るならば、宇宙万物をお造りになったお方、イエス様を復活させられたお方、水を葡萄酒に変え、嵐を沈め、どんな病気も癒せるお方とつながる。この方にあって不可能などあろうはずもない。ガブリエルは神の御前に立つ者なのでこのことをよく知っていた。「神にできないことは何一つない」ルカ1:37。使徒パウロは祈りの人なので、こう告白している。フィリピ4:13。祈れば祈るほど、絶対にできる、可能であるという信仰がわいてくる。この記事と同様の内容についてイエス様はマタイでは少し違う答え方をしている。マタイ17:19-20。イエス様は「あなたがたにできないことは何一つない」とおっしゃっている。つまり、「あなたがたはできなかった理由を知りたがっているが、本当は何でもできるのだ。ただ、悪霊を追い出せるという信仰が薄かっただけだ」とおっしゃったのだ。これが信仰の本質だ。この御言葉は可能の世界への招待状だ。私たちはもう「できない」とか「難しい」とかいうのはやめよう。それは事実ではない。もちろん、すぐに結果が出ないこともある。長い忍耐が必要なこともある。しかし、それは時間がかかっているだけであって、最終的にはできるのだ。

できないというのは全く現実的ではないことだ。宇宙万物は不可能を可能にする神によって造られた。この世界を見るだけで不可能だというのは非現実的だとわかる。また、人間社会についてもそうだ。社会は、少数の可能の世界に生きる人々によってつくられた。どこを見てもその痕跡を見ることができる。街中には自動車が走っているし、電車も走り、飛行機も飛んでいる。人々の家の居間にはテレビがあり、デスクにはパソコンがあり、手にはスマートフォンがある。良きにしろ、悪しきにしろ、これらは現実化する前、まだ存在しなかったときに、誰かが「できる」と信じたところから始まった。自動車王ヘンリー・フォードは自動車が世界中を走る世界を実現「できる」と信じた。しかし、自動車といえば昔は高価格で量産が難しかった。だから、不可能の世界の住民は「そんなの無理だ」と口をそろえる。しかし、結果としては、安価で大量生産可能なT型フォードが交通に革命をもたらした。それは今私たちが目にしている通りだ。フォードはいろいろな名言を残している。「努力が効果をあらわすまでには時間がかかる。多くの人はそれまでに飽き、迷い、挫折する。」「あなたができると思えばできる。できないと思えばできない。どちらにしてもあなたが思ったことは正しい。」

物だけではない。良い社会制度の多くは、御言葉の実現を信じたクリスチャンによって成立した。人々が無理だ、できないというところを、できるという信仰によって突破した。奴隷制度を廃止したウィリアム・ウィルバーフォースが有名だ。可能の世界に生きる人が皆クリスチャンというわけではないが、少なくとも「できる、可能である」という信念を持っていた点では共通している。そういう人々がいまの社会をつくった。
不可能の世界から飛び出して、可能の世界に入ろう。今までできなかったとしても、関係ない。何でもできるという信仰を持った瞬間から私たちは別人だ。過去に何度失敗しようが、時間がかかろうが関係ない。「できる」という信仰さえ折れなければ勝利を得ることができる。できない理由を探すのはやめよう。それは愚かなことだ。
過去にばかり目を向けて周りの人を貶めるのはやめよう。むしろ、できるということを励まそう。

何でもできる。何でもできるという信仰を持つことができる。天国に行くことができる。病気を克服することができる。障害を克服することができる。依存症から抜け出すことができる。罪をかなぐり捨てることができる。悪霊を追い出すことができる。悪い感情をコントロールすることができる。人を赦すことができる。過去と決別することができる。成長することができる。集会に出席することができる。病人を癒すことができる。異言を語ることができる。御霊の賜物を使うことができる。御霊の実を結ぶことができる。ディボーションで神からの御言葉をいただくことができる。適切な決断を降すことができる。イエス・キリストの福音を宣べ伝えることができる。家族を全員救いに導くことができる。使命を見つけ、全うすることができる。人々に良い影響を与えることができる。朝早起きすることができる。家事をすることができる。家をきれいにすることができる。仕事をすることができる。献身することができる。成すべき善を行うことができる。良い習慣を身に着けることができる。知恵深く歩むことができる。リバイバルを起こすことができる。いつも喜び、絶えず祈り、どんなことにも感謝することができる。完全な者になることができる。

【お問い合わせ】
聖書に興味を持たれた方はお気軽にご連絡ください\(^o^)/
池袋で集まりを持っています。

Email : jesus.christ.is.the.lord19860804@gmail.com
※メールで問い合わせる場合は受信設定でこのメールアドレス許可してください。

Twitter : https://twitter.com/Shuzo_Koita

Line : http://line.me/ti/p/ICne2QGIuJ

Facebook : https://www.facebook.com/shuzo.koita

コメント

タイトルとURLをコピーしました