信仰の戦いを立派に戦い抜く

福音&主題メッセージ
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逃げずに戦い抜けば、勝ちです。

信仰の戦いを立派に戦い抜く


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【ノート】
クリスチャンの人生は戦いの連続だ。私たちは戦場にいる。私たちは日々、戦いに直面している。いったいどのような戦いか?誰か私たちを攻撃してくる人がいるのか?戦いの相手は人ではない!人は皆愛すべきだ。イエス様は敵を愛し、自分を迫害する者のために祈りなさいと言われた。戦いは物理的戦いではない。エフェソ6:10-12。戦いは、霊的戦いだ。ここでは悪霊との戦いがクローズアップされている。悪霊ども私たちを不信仰に陥れ、神に背かせようと全力で挑んでくる。でも、悪霊との戦いとただ言っても実感がわかないかもしれない。では、実際に私たちが直面する問題について言及しよう。それとの戦いが結局は霊的戦いであり、悪霊との戦いだ。
罪の誘惑との戦いがある。これは人格の三要素のうち、特に意思にかかわる戦いだ。具体的にいえば、堕落した罪性である肉の性質との戦いや堕落した世との戦いだ。ある場合には、肉の性質が足をひっぱり、あるときは、サタンが支配する堕落した世が無理矢理私たちをも不品行、飲酒、偶像崇拝に巻き込もうとし、あるときはそのコンビネーションだ。その戦いにでは、意思をもって正しい選択ができるかが試される。
悪い感情との戦いがある。恐れ、不安、絶望、孤独感などは、信仰をくじいて無力にしてしまう感情だ。これらの感情は善いことを思いとどまらせ挫折させ、逆に悪に走らせようとする。この戦いでは、感情に流されずに、信仰を発揮して意思を向けて、奮い立てるかどうかが試される。
嘘偽りとの戦いがある。これは人格の三要素のうち、知性にかかわる戦いだ。一見筋が通っているように見えて実は神から私たちを引き離す巧妙な嘘との戦いだ。神や教会やクリスチャンや自分自身に対する悪い考え、異端の教え、進化論、世の哲学や宗教などがあげられる。この戦いでは、嘘の情報にだまされず、真理に基づいた知識を持って対抗できるかが試される。私たちの人生には確かに戦いがある。

では、戦いに臨むにあたって、私たちはどのような態度をとるべきだろうか?戦い抜くことが大事だ。Ⅰテモテ6:12。Ⅱテモテ4:7。とことん戦って戦って戦い抜くことだ。ファイティングポーズをとり続けることだ。罪の誘惑があったら戦うのだ。悪い感情が襲ってきたら戦うのだ。悪い考えにだまされずに戦うのだ。流されてはいけない。あきらめてはいけない。敗北宣言をしてはいけない。白旗をあげたり、タオルを投げたりしてはいけない。戦い抜くのだ。戦うのだ。私たちは神の国の軍隊だ。軍隊が戦いで大事なのは、戦うことだ。逃げずに勇敢に戦うことだ。ヨシュア1:9。神の国の軍隊として強く雄々しく戦い抜く者となろう。

信仰の戦いを立派に戦い抜くにあたって、三つのことを認識しよう。
第一に、戦いがずっとあると認識する。血肉の戦いからはいくらでも逃げていい。試練には逃れる道もある。主なる神を逃れ場として憩うことは良いこと。しかし、霊的戦いはずっと続くから逃げられない。私たちは御国において永遠の安息に入るまでは、戦いが続く。そんなことは聞きたくないと思うかもしれない。しかし、それは事実であって、戦いは確かに一生続くのだ。なぜ、そのことを認識することが重要なのかと言えば、現実逃避をしないためだ。本当は戦いがあるのに、「戦いなんてない」と逃避してしまったら、勝てるものも勝てない。人は逃げることができると考えると脆弱になる。ちょっと形勢が悪いと、ちょっと大変なことがあるとすぐに逃げ出して負けてしまう。しかし、戦い抜く覚悟を決めた軍隊は強い。
背水の陣という言葉がある。中国の史記に由来する言葉だ。韓信は、3万の兵で30万の趙の軍隊と戦わなければならなかった。韓信は川を背後にして布陣し、城壁を築いた。水を前にして山を背に陣を張るのが布陣の基本だ。これを見た趙軍は「韓信は兵法の初歩も知らない」と笑い、兵力差をもって一気に攻め滅ぼそうとほぼ全軍を率いて出撃、韓信軍に攻めかかった。しかし、いざ戦ってみると、勝利は韓信が勝った。後でどうしてあんな作戦を採ったのかと問われた韓信は、「我々は急ごしらえの軍隊だから、兵士たちを死にものぐるいにさせないと勝利は得られない」と答えた。逃げ道がないことを知って、死に物狂いで戦う軍隊は強い。これは中国に限ったことではない。あのユリウス・カエサルも、イギリスに攻め込むとき、イギリスに上陸するための船を燃やして、自ら退路を断った。後ろに道はないのだから、前進あるのみだ。このことは確かに御言葉にも書いてある。フィリピ3:13-14。後ろのものを忘れて前進あるのみ!
では、私たちにとって退路をふさぐ背水の陣とは何か?この世を去る日まで戦いがあると認識することに他ならない。実は退路なんてもともとない!勝利の凱旋をする日まで霊的戦いは続くのだが、ただクリスチャンが現実逃避してしまうことがあるだけだ。私たちは戦うしかないことを覚悟して戦い抜こう。神の武具をとり、罪と戦い、悪感情と戦い、嘘と戦い抜こう。

第二に、信仰の戦いには、勝利が約束されている。だから、他の戦いと比べたらそんなに大変なものではない。クリスチャンでなくても戦いはある。ウクライナでは戦争が起きている。受験戦争があるし、ビジネスも戦争のようなものだし、就活や婚活も戦争のようなものだ。どの戦いについても、絶対に勝てるという保証はない。ところが、信仰の戦いは、最後までリングに立ってさえいれば、勝てる。戦う意思さえ持っていれば必勝の戦いなのだ。Ⅰヨハネ5:4-5。イエス様はあらゆる戦いに完全勝利なさった。イエス様を信じる者はその勝利にあやかれる。サタンは最終的にイエス様にノックアウトされる。私たちが最後までリングに立っていれば、勝利だ!それでは、途中で何度かダウンしたら?イエス様の血潮によって何度でも立ちあがって戦うのだ。血潮の12の宣言の七番目は「イエス様の血潮は罪に定める全てのことから私を弁護し、私に敵対するサタンの訴えを無効化し、今まで一度も罪を犯さなかったかのように私を義と認められます。」だ。勝利を信じて戦い抜こう!

第三に、信仰の戦いには豊かな報いが約束されている。Ⅰコリント9:25-27。この世の戦いは、それが何であれ、それによって得られる賞は月桂樹の冠のような朽ちる冠だ。ここに書いてあるのは、オリンピックの優勝者への月桂冠だ。オリンピック選手たちは、4年間、ただオリンピックのためだけにすべてのことに節制して必死に練習する。そのうちのほんの一握りの選手が表彰台に上り金メダルをもらい、世界中から注目を集める。 しかし、得られるのは朽ちるものに過ぎない。私たちは朽ちない冠を得るために信仰の戦いを戦う。天国での永遠の報いが待っている。それであればなおのこと、節制する。自分の弱さと戦う。使徒パウロのモチベーションはこの朽ちない冠だった。この報いがどれだけ豊かなものか、多くのクリスチャンが十分認識していないだろう。そして、神様はすべてのクリスチャンに対してどうしてもこの永遠の報いを切望する心を持ってほしいと願っている。だからこそ、ヨハネの黙示録では、勝利を得る者に対する約束が9回も出てくる。それらの内容を簡単に説明するなら、永遠の財産である。永遠の住まいである。永遠のアイデンティティーである。永遠の名声である。永遠の役職である。永遠の能力である。永遠の愛の交わりである。永遠の秘密である。永遠の保証である。神が与えてくださる賞を期待して、信仰の戦いを戦い抜く者となろう。

では、どう戦うのか、戦う方法を簡単に説明する。おそらくは私たちがすでに知っていることばかりだろう。それらの方法を再認識しよう。
第一に、御名によって追い出そう。マルコ16:17。何らかの知性、感情、意思にかかわる悪い揺さぶりを感じるのであれば、迷わず、ためらわず、イエス様の御名によって追い出そう。

第二に、聖書の御言葉で対抗しよう。イエス様は荒れ野で聖句によって対抗した。これは、元気なときに聖書を読むというのではなく、まさに今攻撃を受けているというときに、覚えている御言葉を口に出すということ。今まさに、誘惑がある鬱になっている否定的になっているというとき、すぐに口に出せる御言葉をストックしておこう。一字一句覚え、どこに書いてあるかも暗記しよう。

第三に、聖霊様の力で戦う。Ⅱコリント10:4-6。聖霊様が悪魔の要塞、つまり嘘や否定的な考えや悪い習慣などを粉砕して、神に従順させてくださる。では、聖霊様の力を豊かに得るにはどうすれば良いか?普段からよく祈ることだ。

第四に、罪を告白する。Ⅰヨハネ1:9。

第五に、賛美。パウロとシラスはフィリピの刑務所に収監されているとき、真夜中までずっと賛美の歌を歌い続けた。その結果、すべての牢の戸が開き、鎖がはずれた。賛美は解放をもたらす。教会でいろいろな賛美を歌っている。それらを覚えて、日ごろから歌い、戦いの最中に歌おう。賛美が敵を打ち砕く。

第六に、水のバプテスマと聖餐。水のバプテスマは十字架の死と復活にあやかり、イエス様との深い結びつきをもたらす。聖餐は血潮と御体にあずかる。聖礼典によるイエス様との結びつきこそが戦いの勝利の鍵になる。ローマ8:37。詩編23:5。

第七に、預言。Ⅰテモテ1:18。預言の内容を心に留めると信仰が強められて、信仰の戦いを戦い抜けるようになる。日々のディボーション、主日のメッセージ、勧めの言葉の内容によく心を留めよう。

第八に、教会の執り成しの祈り。これは自分の戦いではなく、ほかの兄弟姉妹の戦いを助けること。互いに祈り合うので、結局自分も助けられる。エフェソ6:18。神の軍隊はまさにこの執り成しの祈りを互いにすることで、力を合わせて勝利できる。教会のために祈ろう。互いのために祈ろう。兄弟姉妹の勝利は私の勝利だ。

弱い者も私は勇士だと言えと書いてある。私たちは信仰の戦いの勇士だ。私たちは主にあって強い。私たちは主にあって必ず勝てる。勝利の先には永遠の報いが豊かに待っている。戦おう。戦い抜こう。信仰の戦いを立派に戦い抜こう。アーメン。

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