神の子たちのミッション

福音&主題メッセージ
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神の子たちは愛し合い、一つになるだけなら、天国にすぐに行けばよいでしょう。
この地上で果たすべきミッションがあります。
悪魔は何とか神の子たちがそのミッションを遂行できないように、
アイデンティティーをぐらつかせたり、ミッションをすり替えたりしようとします。
私たちはミッションを見失うことなく、完遂しましょう。

神の子たちのミッション


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【ノート】
イエス様を信じて受け入れる者は皆、神の子だ。私たちは集まって互いに愛し合ってそれで終わりではない。神の子にはミッションがある。そのために私たちは教会に集められている。ミッションがなかったらすぐに天国に行った方が良いのだ。すぐに携挙された方がよい。私たちのミッションは何か?イエス様を見ればわかる。イエス様は水のバプテスマを受けたとき、「あなたは私の愛する子、私の心に適う者」という父なる神様の御声を聞いた。このとき、イエス様は神の子としてのアイデンティティーを持ち、神の子として歩み始めた。ところが、イエス様は神の子としてのミッションを遂行し始める前に、すぐに聖霊様によって荒れ野に導かれ、悪魔から誘惑を受けた。それはイエス様がミッションを遂行できないように潰してしまおうとする妨害工作だった。

イエス様が受けた誘惑は典型的な誘惑であり、悪魔は私やあなたに対しても、必ず同様の誘惑をしてくる。何かうまくいかない出来事があった後に、あなたの思いにこういう誘惑を投げかけたり、あなたの未信者の友人や読んでいる本やインターネットの記事などを通して、迫ってきたりする。あらかじめ、どういう誘惑が来るかわかっていれば、対処しやすくなる。
3つの誘惑のうち、2つは神の子としてのアイデンティティーを揺るがして、本来のミッションから別のミッションを担う者にすり変えてしまおうとするものだった。マタイ4:3-4。悪魔は、イエス様のミッションを、人々を飢えから救うミッションにすり替えようとした。イエス様はそれを否定した。パンの問題は究極的な問題ではない。お金がないこと、物質的に恵まれていないことが最も悪いことではない。だからこそ、イエス様は「貧しい人々は、幸いである」と言われた。また、天のお父様は空の鳥を養ってくださるようにあなたのことを養ってくださると言われた。問題は別にある。お金や食べ物があっても人は生きていけなくなることが多々ある。人にお金や食料を提供することは主にあって善いことであり、神様の愛を伝える手段にもなるが、教会の最重要ミッションではないのだ。
マタイ4:5-7。神殿から飛び降りて無事だったら大勢の人々の脚光を浴びることになる。悪魔は奇跡を行って人々から注目を浴びることをミッションにすり替えようとした。神殿から飛び降りて無傷だったとして、それで誰が救われるだろうか?何の必要があるだろうか?本当にただ脚光を浴びるだけだ。イエス様はそれを拒否された。神様は私たちを通して奇跡を行ってくださる。病人を癒し、悪霊を追い出し、死人を生き返らせる。しかし、ただ人々を驚かせるために無意味なことをなさりはしない。私たちは神の奇跡を体験したら、それを多くの人々に証しすべきだ。しかし、誇張や嘘や自慢がそこに入ってはならず、ひたすらイエス様の御名が崇められるようにしよう。とにかく人気者になろう、有名になろうとすることは、教会のミッションではない。
マタイ4:8-11。ここで悪魔はイエス様を神の子ではなく、自分の子にしようとしている。悪魔は世の中の虚しい繁栄や快楽や名声などを見せて、私たちが自分の子供になるように勧誘してくるのだ。私に従えば楽しいことがいっぱいある。欲しいものをすべて手に入れられる。罪意識に縛られずにしたいように自由に生きられる。そう約束して手招きしてくる。もちろん、全部嘘である。イエス様は、罪を犯す者は罪の奴隷だと言われた。罪に縛られて地上の人生を終えた後には、地獄での永遠の苦しみに道連れにしたいのだ。誰でも、子供にはお菓子をくれる大人に無暗についていかないように警告するが、自分も知らないうちに甘いもので釣ってくる悪魔についていってしまうことが頻繁に起こっている。
悪魔は、神の独り子であられる完全無欠なイエス様にすら誘惑をしかけてきた。それであれば、イエス様によって新たに神の子とされた私たちに対しても必ず同じようにする。神の子としてのアイデンティティーを揺るがし、ミッションに歩めなくしようとする。それに対抗するためには、御言葉を思いめぐらし、聖霊様と共に自分が神の子であると宣言することによって神の子としてのアイデンティティーを確立することが大切だ。そして、自分のミッションが何であるか認識することが大切だ。
まず、イエス様のミッションは何だったか?ルカ4:18-19。悪魔が全力で潰しにかかった理由がよくわかる。捕らわれている人は誰に捕らわれているのか?悪魔だ。目の見えない人は誰によって真理が見えなくされているのか?悪魔だ。圧迫されている人は誰によって圧迫されているのか?悪魔だ。結局のところ、イエス様は悪魔に支配された人々を解放するための働きをなさっているのだ。イエス様はこのあとこのミッションに歩み、御国の福音を宣べ伝え、真理の御言葉を教え、悪霊を追い出し、ありとあらゆる病気や煩いを癒された。そして、このミッションは弟子たちに、私たちに引き継がれている。マタイ28:18-20。これは大宣教命令だが、神の子であるアダムが創造された直後に与えられた祝福の命令と似ている。創世記1:28。この時点でアダムは罪人ではなく、神の子だ。神様の御心は罪人が増えて、地を好き勝手に支配することではない。ノアの時に罪人が地に増え広がっていたが、それは御心に適わなかったので、みんな滅ぼされた。神様の御心は、神の子が増え広がり、地を支配することだ。大宣教命令は最初に与えられた祝福の命令とリンクしている。私たちは神の子になって全く新しいミッションを授けられるのではなく、失われたミッションをイエス様にあって回復するのだ。イエス様にあって私たちは罪によって失ってすべてを回復できる。

ミッションを遂行するために必要な4つのポイント。大前提として、これらのことは神の子としてのアイデンティティーがしっかりしてさえいればほぼ問題なく身に付けられる。
第一に、神の子たちが力を合わせる。イエス様は神御自身であられるが、御自分ですべての働きをなさろうとはせず、弟子をとられた。ミッションに弟子と協力して一緒に取り組むためだ。十二弟子を立て、派遣し、七十人弟子を立て、派遣した。派遣する際には二人一組で派遣した。協力して宣教をさせるためだ。二人以上の神の子が協力してミッションに取り組むとき、爆発的な力を発揮する。マタイ16:18。神の子たちが一つになっている教会は悪魔の勢力に対して無敵なのだ。マタイ18:19-20。神の子が一つになっていると、祈りが確実に聞かれるし、イエス様が一人の時以上に臨在されるようになる。ローマ12:4-8。神の子たちはそれぞれ異なる賜物を持っているが、相互補い合うことを通して、非の打ちどころのない完全なものになることができる。悪魔は一つになっているクリスチャンに対して真向勝負だと必ず負けてしまうので、ぼそぼそと誘惑の言葉を語る。何とかクリスチャンが互いにいがみあい、一つにならず、ミッションに取り組めないようにしようとする。裁き、嫉妬、憎しみ、噂話や陰口などがあると神の子たちの交わりが破壊されてしまう。だから、クリスチャン同士での対立が生じそうになったら、確実に悪魔の妨害工作が働いていると認識しよう。真の敵は人間ではなく、支配と権威、暗闇の世界の支配者、天にいる悪の諸霊だと認識しよう。霊的戦いを一つになって戦う方法は、互いのために祈りあうことだ。エフェソ6:18。誰かを裁きたくなったら祈ろう。神様に自分の思いを打ち明けよう。その上で、執り成しの祈りをささげよう。その相手の罪、不義、咎、過ち、弱さをかばう祈りをささげるのだ。そうすると、だんだん相手のことを思いやることができるようになる。

第二に、聖霊様から力を受けよう。使徒言行録は使徒たちの働きについての記録というより聖霊様の働きについてだと言える。使徒1:8。聖霊のバプテスマを受ける者に、イエス様を証しする力が与えられる。デュナミス=ダイナマイト。聖霊様の力は爆発的な力なのだ。ダイナマイトが爆発すると広範囲が破壊されるように、聖霊様の力がさく裂すると、大勢の人が救われる。その力は最初にペンテコステの時に現れ、ペトロの説教で成人男性だけで3千人が救われた。神殿の前で物乞いをしていた人が癒されたときには、ペトロの説教で成人男性だけで5千人が救われた。そして、教会史を見るなら、ジョン・ウェスレーやチャールズ・フィニーやDLムーディーと言ったリバイバリストたちも、ペトロに働いたのと同じ聖霊様のデュナミスによって大勢の人々を一気に救いに導くことができた。私たちもこの力を受けよう。どうすれば得られるのか?求めることだ。ルカ11:13。求めれば、聖霊のバプテスマを受け、異言を語ることができる。後は、続けて聖霊様に満たされ続けることだ。聖霊様の満たしを日々祈る。聖霊様を悲しませる罪を避ける。もし罪を犯したら悔い改める。聖霊様の力で、使徒たちのように用いられる者になろう。

第三に、弟子訓練をする。聖霊様だけでなく、人間の指導者による訓練も必要だ。イエス様は十二人を訓練し、十二人はバルナバを訓練し、バルナバはパウロやマルコを訓練し、パウロはテモテやテトスを訓練した。訓練を受けた人が訓練をすることができるようになる。では、弟子訓練をするとはどういうことか?御言葉をすべて守るように指導するということだ。そこには、実生活についてほめたり戒めたりすることが含まれる。それは深い信頼関係をもとに行われる。パウロはテモテのことを「私の子テモテよ」と呼んでいる。親子のような関係を築いていたのだ。指導者に対して半信半疑なのに、その教えることに聞く耳を持つことができるだろうか?できない。だから、私としては、みなさんが私のことを全面的に信頼してほしいと思う。何か心が騒ぐようなことがあったとしても、信頼してほしい。私はみなさんのことを愛しているし、みなさんのために毎日祈っている。弟子訓練は聖書の教えと模範の両方で行われる。Ⅱテモテ3:16-17。聖書が最高の訓練教材。その聖書の学びを一対一でしたり、グループでしたりする。そして、模範は自分が教えている通りに実践していることを背中で見せる。フィリピ4:9。
第四に、信仰による勇気を持つ。神の子としてのミッションを遂行するには、勇気が必要だ。伝道をするにも、教えるにも、弟子訓練をするにも、愛を実践するにも、癒しをするにも何をするにも勇気が必要だ。ミッションには新しいことにチャレンジをすることが出てくる。それにも勇気が必要だ。ミッションを妨害してくる悪魔との戦いもある。悪魔に立ち向かうにも勇気が必要だ。慣れてくれば、熟練していけば、何のことなしにすべてのことが良くできるようになることもあるだろう。でも、少なくとも最初は勇気が必要だ。勇気は聖霊様に満たされているとかなり沸いてくる。その上で、御言葉に基づいた信仰が必要だ。ヨシュア1:8-9。御言葉を思いめぐらすと信仰が与えられ、勇気ある行動によって神様が約束してくださったものを勝ち取れるという内容だ。ヨシュアはこの御言葉を信じたので、カナン人に戦いを挑むべく進軍できた。御言葉への信仰があれば、勇気ある行動をとれる。マタイ28:18-20のミッションを思いめぐらして、必ず成就できると信じる者になろう。そうすれば、その通りに行うこともできるようになる。他にもミッションのために思いめぐらすと良い御言葉としては、次の御言葉が良いだろう。マタイ16:18。教会の力を信じていれば悪魔の勢力を滅ぼせる。ローマ1:16。福音の力を信じていれば福音伝道ができる。Ⅱテモテ3:16-17。聖書の力を信じていれば弟子訓練ができる。マルコ16:17-18。癒し。神の子たちよ、力を合わせて大宣教命令を成し遂げよう。

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