クリスマスとは?

福音&主題メッセージ
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聖書を通してその真の意味がわかります。

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【ノート】
クリスマスのメッセージ。クリスマスがどんなものかはクリスマスパーティーに参加しても良くわからない。ケーキを食べても良くわからない。ツリーを飾ってみてもよくわからない。プレゼントのおもちゃをもらっても良くわからない。私が子供のころ、こういうことは全部経験した。私は子供のころ2年間アメリカのテキサスに住んでいたとき、もみの木を使ったツリーを飾った。クリスマスによいイメージを持った。でも、クリスマスが何だかまだ知らなかった。イエス様がどのように来られたのかを知らねばなるまい。何を通して?聖書を通して。聖書を開こう。1-7節。

クリスマスは神の支配を示す
1節で、皇帝アウグストゥスと書いてあるのは、ローマの初代皇帝のこと。帝政ローマの500年の基礎となる税制や徴兵制を定めた。税制や徴兵制をしくためには、誰がどこに住んでいるか把握しなければならない。そこで、アウグストゥスは、帝国の全住民に対して住民登録を命じた。当時ローマには5000万人くらいいた。それがアウグストゥスの命令一つでそれぞれ故郷の街に帰って登録した。さすが最高権力者。しかし、実はこの住民登録は神の計画によるもの。ミカ5:1。イエス様の義理の父と母はナザレにいた。ナザレからベツレヘムまで100kmある。車や電車のない時代、何もなければ、妊娠中にわざわざ長旅をしてベツレヘムまで行くということはありえない。神が操り人形のように皇帝を動かして、預言を成就させた。皇帝の権威が最も現れるはずの住民登録というエピソードすら神によるもの。神が支配しておられる。第一に、クリスマスは神の支配を示す。国々の指導者たちも、サタンも、天使たちも、神が支配しておられる。私の人生も、神が支配しておられる。人々による陰謀があり、サタンの策略があり、自然災害があり、人生には困難がある。しかし、神が支配しておられるので、最終的に神の計画が成就する。恐れることなく、失望することなく、神の支配に信頼して希望を持って生きよう。

クリスマスはキリストによる永遠の統治の始まり
クリスマスをきっかけに神は地上での支配を一層強めることにされた。それまで神はただイスラエルに対してのみ神だったが、御子イエス・キリストを送って、イエス様を信じるすべての者を御自分の民とすることにされた。ヨハネ3:16。こうして神の国は、イエス様を通して、地上に侵入し、拡大するようになった。1節では皇帝アウグストゥスが出てきて、2節ではキリニウスがシリアの総督だと書いてある。これらの情報は、この出来事がいつなのかを絞るための情報だ。年の数え方のことを紀年法というが、たいてい支配者の名前が時期を決める。旧約聖書では、ヨシヤ王の治世の第13年とか、ネブカドネツァル王が即位して二年目という表現が書かれている。聖書に限らず、古今東西そうだ。中国では皇帝の名前を元号した。日本は中国の元号を踏襲して、今は令和4年。しかし、支配者の統治を基準にして年を数える場合、必ず終わりが来る。令和もいつか終わる。人間の支配者には寿命があるからだ。ところが、一つだけ、支配者を基準にしながらも、絶対に終わらない紀年法がある。西暦だ。AD。Anno Dominiを略したもので、キリストの時代という意味。キリストの時代は終わらない。黙示録11:15。その統治は世々限りなく続く。キリストの時代は教会時代を通してずっと続き、患難期にも続く。千年王国ではキリストが全世界を実際的に支配するし、その後の新しいエルサレムでもキリストは支配し続ける。第二に、クリスマスはキリストによる永遠の統治の始まり。
もしキリストを知らなければ、せいぜいころころ変わる総理大臣を自分の指導者として見て、一喜一憂しなければならない。昔の人の話を聞くと田中角栄の時代は良かったという。最近の人では安倍さんを懐かしむかもしれない。最高の政治家が国を治めることは稀なこと。しかし、私たちには最高の王であるイエス・キリストがいつも共におられ、治めてくださることを感謝しよう。

クリスマスは王がお忍びで自分の民のところに来たもの
キリストが生まれたのは、皇帝の家ではなかった。ユダヤ人の中でも大祭司の名門の家や大富豪の家でもなかった。キリストは田舎町で貧しい大工の息子として生まれた。ヨセフとマリアの子だ。ヨセフは家柄として王家の末裔だが、もう没落して久しい。これは栄光の王が生まれる家庭としては、あんまりではないか。なぜキリストは貧しい大工の家で生まれたのか?それは、キリストがこの世に来られた目的によってわかる。王という存在は、一般庶民からはかけ離れた存在だ。王宮で家来たちに敬われて、召し使いたちに仕えられていると、一般庶民の生活がわからない。あまりにも庶民との感覚が離れてしまうと、平気で山のように増税を課して民を苦しめたり、世の中を混乱させる法律を作ったりして、暴政をふるう。そこで、いかに庶民の感覚を知るかが良い統治者となる上で求められるポイント。中国の伝説上の皇帝の尭という人物は、自分の統治がうまくいっているかどうかを知るためにお忍び町に出て、民の話に耳を傾けるということがあったという逸話がある。イエス様がなさったのは、話に耳を傾けるどころではない。御子はお忍びでこの世に来られ、イエスという貧しい人間の人生を体験された。クリスマスは王がお忍びで自分の民のところに来たもの。イエス様は王でありながら、貧しさを知り、痛みを知り、病を知った。知識としてではなく体験として知った。御自分の民を愛しておられるからだ。私たちを助けるためだ。ヘブライ2:18。イエス様は私たちの感覚がわかる。この方を統治者としていただくことができることを感謝しよう。

クリスマスの問題はキリストの場所がないこと
イエス様がこの世に生まれるとき、イエス様のための部屋がなかった。それで、イエス様は家畜小屋で生まれることになった。イエス様のための部屋がない!世はイエス様が来る備えをしていなかった。イエス様のための部屋を確保していなかった。クリスマスの問題はキリストの場所がないこと。私が子供のころ味わったクリスマスの問題点は、そこにイエス様の場所がないということ!クリスマスは、キリストとミサの合成語。キリストを礼拝するという意味。この方が来られたことを祝う日だ。それなのに、クリスマスはどんどんイエス様を追い出して、イエス様と無関係な要素ばかりが増えていないか。賛美ではないクリスマスソングが作られたり、恋人と過ごしたい日と思われたり、忘年会のようにとにかくバカ騒ぎをする日とされたりしていないか。そうなっている。クリスマスはクリスマスと呼ばれる前は異教の祭りの日だった。それはニムロドの誕生日だとされている。ニムロドは創世記11章に出てくる反キリストの最初の型だ。キリストが異教を福音化した結果、キリストの誕生を祝う日に変えられた。これはキリストによる勝利であり、キリストの誕生を祝う目的でクリスマスを祝うことは良いことだ。キリストが生まれたのは12/25ではないかもしれない。しかし、キリストが受胎したのは、12月くらいだった可能性が高い。今年の12/18は光の祭りであるハヌカーだ。神殿奉献記念祭という日本語でヨハネによる福音書にも出てくる。マカバイ戦争のとき、ユダヤ人はアンティオコス・エピファネスによって汚されてしまった神殿を奪還した。彼らは神殿を清め、8日間かけて再奉献した。
そのとき、汚されていないオリーブオイルは一日分しかなかった。しかし、そのオリーブオイルの油は尽きることなく、8日間の祭りの間中ずっと燃焼し続けた。だから光の祭りだ。イエス様は暗闇に覆われた地上を照らす光なるお方として来られた。その方が12月に受胎されたなら、12月にクリスマスを祝うことは理に適っている。それは良いが、世の中ではクリスマスは残念ながらまた異教的なものになってしまっているのが現状だ。私たちを通して世の人々のクリスマスの中にキリストが入る余地があるように。
クリスマスの問題はキリストの場所がないこと。私たちにはキリストの場所がいつもあるか。キリストを心の中心にお迎えしたか。そうすれば、イエス様による永遠の命が心に生まれる。心の隅々までキリストの場所として明け渡しているか。また、私たちの日々の生活のルーティンの中には、キリストの場所が確保されているか。祈りの時間、聖書を開く時間は確保されているか。

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