キリストの花嫁

イエス・キリストの教会
スポンサーリンク

教会はキリストの花嫁であり、花婿が迎えに来るのを待ちます。

キリストの花嫁

キリストの花嫁

YouTubeのチャンネル登録はこちらから!

【ノート】
教会はキリストの花嫁だ。キリストがこの世に来られた目的の1つは花嫁を見つけて結婚するためだ。最初にすることというのは最後まで貫かれるというのが聖書の原則。キリストが最初に奇跡を行ったのはいつだったか?ガリラヤのカナでの結婚披露宴の時だ。そのとき、イエス様は弟子たちと共に出席していた。イスラエルの披露宴は一週間続く。その間にぶどう酒が切れてしまった。ぶどう酒がないことは新郎新婦にとって恥であり、人生最大のお祝いが台無しになる。イエス様はどうされたか?イエス様は水をぶどう酒に変えて新郎新婦を危機から救った!イエス様が結婚披露宴で最初のしるしを行われたのは、イエス様のミニストリーは結婚と深い関係があったからだ。

日本でも、たいていの場合、結婚の前に婚約をする。イスラエルの場合は、結婚するまでは一緒になることはないが、婚約をすれば夫婦とみなされる。婚約をするとき、男性は女性に杯を差し出す。女性がその杯から飲めば、婚約が成立する。それでは、キリストは花嫁との婚約をしたのは、いつか?最後の晩餐の席だ。マタイ26:27-28。聖餐によってキリストは教会と婚約した。プロポーズの言葉は「あなたの罪のために血を流して死にます」だ。ここにキリストと教会の婚約が成立した。あなたはキリストの杯を受け取ったか?もしそうであればあなたも教会の一員としてキリストと婚約したのだ。
婚約成立後、イスラエルの習わしでは、一緒になるまで約1年間準備をする。花婿は花嫁を迎えるための家を整え、準備ができたら花嫁を迎えに行く。婚約がなされた最後の晩餐の席でイエス様はなんと言われたか?ヨハネ14:2-3。イエス様はこういったあと、教会を置いて天に昇られた。
だから、教会はいま、婚約後、花婿キリストが来るのを待っている期間である。花嫁である教会もキリストが来るのを準備しなければならない。花婿キリストはある日突然来られる。私たちは、キリストが喜んで迎える教会とならなければならない。キリストはどのような教会を迎えに来たいだろうか?

第1に成熟した愛でキリストを愛する教会。あなたはキリストを愛しているか?キリストはあなたを死ぬほど愛している。イエス・キリストはあなたのために御自分の命を捨てるほど愛しておられるのだ。あなたはどうか?キリストは未熟でわがままなちっちゃい子供を花嫁にしたいとは思わない。成熟した花嫁のキリストに対する愛というのは、単なる恋愛ではないし、ちょっとした感情のきまぐれ、すぐに冷めてしまうものではない。それはコミュニケーションを伴う愛であり、献身的な愛であり、一途な愛である。キリストの花嫁はキリストの御言葉に耳を傾ける。愛するキリストの口から出る御言葉を慕い求めてやまない。ベタニアのマリアが主の足元で真剣に御言葉に耳を傾けた姿に花嫁の霊性を見ることができる。その姿を見てキリストは感動し、働き者のマルタの非難を退けてマリアを褒めた。ルカ10:42。日曜日の礼拝で御言葉に耳を傾けるだけでなく、平日も毎日キリストへの愛に燃えて聖書を読む。愛するキリストのことをもっと深く知りたいからだ。そして、愛するキリストの御言葉は花嫁の心に大きな喜びをもたらす!キリストの花嫁はキリストに祈りをささげる。キリストの花嫁が祈る中心的な内容というのは「お金がほしい」とか、「成功したい」というものではない。心から愛する人に対して「お金くれ、お金くれ」とばかりは言わない!そういうことを祈るのも良いが、それよりももっと祈るのはキリストへの感謝と賛美だ!そして、純粋なキリストとの交わりが祈りの大部分を占める。ダビデの祈りの中に花嫁の霊性を見ることができる。詩編27:4。では自分の願いはというともっとキリストの役に立ちたい。私を用いてください!という内容。キリストの花嫁はキリストのことを話さずにはいられない。自慢のキリストについて黙ってはいられない。クリスチャンがキリストの話ばかりするのはそのせいだ。雅歌のおとめは恋人を自慢する姿に花嫁の霊性を見る。雅歌5:10-16。伝道というのはそういうものだ。このキリストの愛のすばらしさをほかの人たちに少しでもそれを知ってほしい!
第二に、ウェディングドレスを準備する教会。ウェディングドレスがないと挙式はできない!キリストの再臨まで、キリストの花婿はウェディングドレスを用意する。ウェディングドレスの作り方が黙示録19:8に書いてある。クリスチャン一人一人の正しい行い、それがウェディングドレスの生地をつくる!私たちがキリストに従って行うこと、あるいは行わないことがウェディングドレスをつくる。ウェディングドレスの生地は偉人伝にのるような偉業ばかりでなく、むしろ小さなことが多いだろう。ひとことの励ましの言葉、泣いている友人と一緒にいてあげること、プレッシャーを受けている人に笑顔を向けること、目立たないけども忠実な奉仕、そういうものがウェディングドレスの生地だろう。ウェディングドレスには行いの生地以外のもう1つ性質がある。エフェソ5:25-27。ここでキリストは教会を御自分の妻と見ていることがわかる。そして、キリストは花嫁がしみやしわやそのたぐいのものが何一つない聖なる影響に輝くものとなって式場に共に立つことを望んでおられる。もちろん、しみやしわがないというのはウェディングドレスを暗示している。その特徴は清さだ。清さがウェディングドレスを立派に仕上げる。それは、あらゆる偶像崇拝、占い、オカルトといった悪霊にかかわることから遠ざかってキリストだけを愛する清さだ。そして、世にある肉の欲、目の欲、生活のおごりから遠ざかってキリストだけを愛する清さだ。どうやったらそのような清さを身に着けられるのか?私たち自身には自分を清める力はない!それは26節にある通り、キリストが与えてくださる言葉を伴う水の洗いによってだ。言葉は聖書の御言葉。水の洗いは聖霊様だ!キリストがくださる御言葉と聖霊様に親しむことが私たちを清くする。こうしてウェディングドレスの準備が整ったらキリストが来てくださるだろう。ウェディングドレスにはヴェールがある。だからウェディングドレスを着ていると花婿の姿が良く見えない。そのように私たちにもすばらしいキリストの一部しか啓示されていない。しかし、そのときには顔と顔をあわせてみることができる。Ⅰコリント13:12。

第三に、キリストの再臨を待ち望む教会。私たちはろくに準備ができていないのにキリストに来てくださいということはできない。未熟で幼稚でわがままで汚れたままで全然キリストを愛しておらずウェディングドレスも準備していないのに、花婿キリストに「来てください!」ということができるか?できない!準備ができている教会だけがキリストの再臨を切望することができる。黙示録22:17。聖霊様と準備ができた花嫁が声を合わせてキリストを呼び求めるとき、キリストはおいでになる。そのようにキリストを呼び求めることは感動的なことではないか?この呼び声に感動する者もマラナタ、主よ、来てくださいと叫ぶようにすすめられている。準備を整えてキリストを呼び求める教会になろう。

キリストが教会を迎えに来られると、教会、つまり準備ができているクリスチャン一人一人は空中にあげられ、キリストとお会いすることになる。それが携挙。そして、喜びが爆発する婚礼を迎えることになる。黙示録19:7。マラナタ、主よ、来てください。

【お問い合わせ】
聖書に興味を持たれた方はお気軽にご連絡ください\(^o^)/
池袋では教会と聖書勉強会の集まりを持っています。

Email : jesus.christ.is.the.lord19860804@gmail.com
※メールで問い合わせる場合は受信設定でこのメールアドレス許可してください。

Twitter : https://twitter.com/Shuzo_Koita

Line : http://line.me/t
i/p/ICne2QGIuJ

Facebook : https://www.facebook.com/shuzo.koita

コメント

タイトルとURLをコピーしました