ペンテコステ―教会の誕生日

イエス・キリストの教会
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ペンテコステの日に教会は爆誕しました!!(≧▽≦)
※誕生したのはカトリック教会でありプロテスタントは1517年だと勘違いしている方がいましたが、
キリストの体はあくまでもひとつです。

ペンテコステ―教会の誕生日

ペンテコステ―教会の誕生日

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【原稿】
ペンテコステは教会の誕生日だ。キリストと弟子たちのグループは教会の原型だったが、まだ教会と呼ばれていなかった。教会と呼ばれるには何かが足りなかった。そう、聖霊様だ。教会はペンテコステの日に弟子たちに聖霊様が降ったことで誕生した。聖霊降臨によって教会は誕生した。聖霊様は教会に不可欠なお方なのだ。教会は聖霊降臨によって誕生し、聖霊様に導かれて前進し、聖霊様の力によって成長していき、聖霊様の実を豊かに実らせるものだ。聖霊様は何の脈絡もなく、ある日突然降ったわけではない。弟子たちがぼーっとしていたら聖霊が臨んだのではない。聖霊降臨による教会誕生の背景は何か?そのことを知り、弟子たちに倣うことによって、私たちも聖霊様の力を豊かにいただく者となろう!
教会誕生の背景の第1に、聖霊のバプテスマについての約束があった。神が働かれるときは、必ず約束の御言葉に基づく。聖霊のバプテスマを授けることはイエス様の使命だった。その約束はバプテスマのヨハネの宣教にさかのぼる。つまり、新約の時代に与えられた最初のメッセージの中にすでにその約束はあったのだ。マタイ3:11-12。キリストがまだ公に活動される前に、バプテスマのヨハネは、自分の後から来られるキリストが授けるバプテスマは自分の授ける水のバプテスマよりもはるかに優れていることを明かした。水のバプテスマも悔い改めてイエス・キリストを受け入れた人は受けることを命じられている。イエス様も水のバプテスマを受けることは「正しいこと」と言われた。しかし、バプテスマのヨハネは、自分のことを「その方の履き物の紐を解く値打ちもない」と言った。履き物の紐を解くのは奴隷の仕事。水のバプテスマを授けることはキリストの奴隷にも満たない者でもできる働きなのだ。それに対してキリスト御自身が授ける聖霊のバプテスマは水のバプテスマよりもはるかに優れているに違いない!水のバプテスマは悔い改めに導くための象徴的、儀式的なものだが、聖霊のバプテスマは脱穀場を隅々まできれいにするとあるように、実際にその人を清める。聖霊のバプテスマには清める力がある。このように、キリストが活動される前からキリストが聖霊のバプテスマを授けることは明かされていた。ところが、イエス様の働きを追っていくと、イエス様がメシアとしての公の生涯の中で聖霊のバプテスマを誰かに授けたという形跡は全くない!イエス様は聖霊のバプテスマを誰にも授けないまま、十字架にかかられ、死んで、三日目に復活された。そして、復活した後、40日間弟子たちの前に現れ、神の国について話された。イエス様はそのとき、聖霊のバプテスマを授ける約束について話された。イエス様は忘れておられたわけではないのだ。使徒1:4-5,8。ここで、聖霊のバプテスマを受けると、キリストを証しするための力を受けることがわかる。力=デュナミス。ダイナマイトの語源。爆発的な力。聖霊のバプテスマを受けていなくてもイエス様の福音を宣べ伝えることはできる。人々を救いに導くことができる。しかし、聖霊のバプテスマを受けると、受けていない場合と比べてはるかに多くの収穫を得ることができるのだ!聖霊のバプテスマには清める力とキリストを証しするための力がある。

教会誕生の背景の第2に、キリストが天に昇られた。使徒1:9。キリストは聖霊のバプテスマを授けることなく天に昇られた。聖霊のバプテスマはイエス様が地上にいるときに授けるものではなく、天に昇られてから授けるものだった。キリストが天に昇らずに永遠に一緒にいてくれたらよかったのに!そう思う方もいらっしゃるかもしれない。自分たちの目の前でキリストが奇跡を行い、メッセージを語ってくれたらもっと信じれるのに・・・。実はユダヤ人たちもそう思っていた。ヨハネ12:34。弟子たちもこれと同じ思いだった。確かにキリストは永遠に一緒にいることになる。それはキリストが再臨された後だ。しかし、去って行かれる当のイエス様は、御自分がいなくなることは実は私たちにとって良いことだと言われた。ヨハネ16:7。弁護者=聖霊様。イエス様が肉体をもってこの地に永遠にいるよりも、聖霊様に選手交代した方が良いと言われた。どういう点でよいのか?イエス様がこの地におられたとき、ほとんどの人々はイエス様を信じなかったが、聖霊降臨の後は多くの人がイエス様を信じた。イエス様が目の前にいたらもっと信じれるというのは間違いなのだ。
イエス様が目の前におられるよりももっと良いのは、イエス様が私たちの内側に来られることだ。聖霊様は私たちの内側に住んでくださる。この方がずっと確信が持てるのだ。そして、イエス様がこの地におられたときはイエス様とその周りにいた弟子たちだけが宣教した。しかし、イエス様が天に昇られて聖霊様が来られてからはすべてイエス様を信じるクリスチャンが宣教をするようになった。しかも、イエス様を信じるだけでなく、聖霊のバプテスマを受けたクリスチャンは、イエス様がなさったよりも大きな御業に用いられた。ヨハネ14:12。こういうわけで、教会が誕生するにはイエス・キリストと聖霊様が選手交代される必要があった。

教会誕生の背景の第3に、弟子たちの熱い祈り会があった。イエス様は過越祭の時期の日曜日に復活してから40日間弟子たちの前に姿を現してから天に昇られた。そして、復活してから50日目の五旬祭=ペンテコステのときに聖霊が降った。ペンテコステというのはギリシャ語で50という意味だ。ではキリストが天に昇られてからペンテコステまでの10日間、弟子たちは何をしていたのか?イエス様の聖霊のバプテスマについての約束の御言葉を信じて、エルサレムにとどまって祈っていた。使徒1:13-14。120人の人々が約束の御言葉をにぎりしめて熱心に祈り続けた!いつまで祈ったのか?約束通り聖霊のバプテスマを受けるまでだ。使徒言行録に書いてあるような教会になるためにどうすればいいか?ここに答えがある。聖霊のバプテスマを求めて心を合わせて熱心に祈ることだ。与えられるまであきらめずに祈ることだ。このことを実践しよう。
これらのことが教会誕生の背景にある。1.聖霊のバプテスマの約束の御言葉だけを与えて、2.目に見えるイエス様が天に昇られ、3.残された弟子たちが約束の御言葉を信じて熱く祈った。

では、聖霊降臨と教会の誕生はどのように起こったのか?教会誕生のとき、第1に、しるしが伴った。使徒2:1-6。イエス様は五旬祭の日に聖霊様を降された。このことから神にとっても季節やイベントというのは意味のないことではないことがわかる。私たちはイースター、ペンテコステ、クリスマスなどを祝うが、神はそういうタイミングに合わせて働かれることはある。それは特別な日だった。しかし、聖霊様が降られた瞬間は何の前触れもなく、突然だった。十日間の祈り会でずっと何も起こらなかったのに、ある瞬間に突然聖霊様が降られた!何日も、それこそ何十日も熱心に祈り求めても何の兆候も見えないからと言って落胆することはない。その瞬間はいつも突然訪れる。まず、激しい音が天から聞こえ、炎のような舌が現れ、そして、炎の舌を受けた人々がほかの国々の言葉で話し出した。聖霊のバプテスマを受けるときには、はっきり「それ」とわかるしるしが現れるのだ!そしてそのしるしは舌に現れる。人間が最も過ちを犯しやすいのは言葉においてだ。舌を制御するのが難しいからだ。ヤコブ3:6-8。舌を制御できる人は一人もいない。しかし、聖霊様は舌を制御することができる!聖霊様が私たちの舌を制御し、言葉を語らせるのが異言だ。異言にはいろいろな種類があるが、ここではほかの国々の言葉で話すことだった。このことは五旬節のために多くの国々からエルサレムに巡礼に集っていたユダヤ人にショックを与えるしるしとなった。聖霊のバプテスマを受けた人々はみんなガリラヤの人だった。当時は外国語を習うというのが簡単なことではなかった。にもかかわらず、120人は巡礼者たちの故郷の言葉を流暢に話すことができたのだ。このように、通常ではありえないことが起きていることは明らかだった。しかし、それでも不信仰にとらわれている人の中には聖霊様の働きを嘲る人がいる。使徒2:13。どれだけすばらしい奇跡が起こっても難癖をつける人はいるのだ。そういう人がいても決して落胆してはならない。

教会誕生のとき、第2に、御言葉が語られた。しるしだけでは人々を信仰に導くことはできない。ペトロが聖霊様に満たされて声を張り上げて大胆に話した。弟子たちは復活したキリストを目撃する前、ユダヤ人を恐れて戸に鍵をかけて家の中に引きこもっていた。イエス様が十字架にかけられたように自分たちも危害が加えられたらどうしようと思ってぶるぶるふるえていたのだ。その同じ弟子たちがまるで別人のように大勢のユダヤ人がいる前で大胆に御言葉を語った。聖霊様に満たされると別人のように大胆になる。嘲る者は聖霊様の力を新しい酒と言った。確かに共通点はある。酒を飲むと人は大胆になる。ただし、普通の酒は酔うと罪を犯すのに大胆になるが、新しい酒と呼ばれた聖霊様は満たされると神の御心を行う上で大胆になるのだ。聖霊様に満たされて大胆に御言葉を語るものとなろう!ペトロは旧約聖書のヨエル書と詩編を引用して語っている。即興でこのように見事に御言葉を語ることができたのは、ペトロの頭の中での作り事ではなく、聖霊様を通して啓示された内容だったからだ。まずペトロはヨエル書を引用して自分たちは酒に酔っているのではなく、預言の成就だと言った。使徒2:17-18。新約時代の特徴はすべてが聖霊を受けることができるということ!聖霊のバプテスマの賜物はすべての人に対する約束なのだ!人それぞれ賜物は違う。ある人は預言、ある人は幻、ある人は夢を見る。そのように神様から豊かに啓示を受けることができる。 そのあとの内容は詩編の御言葉を引用しながらイエス・キリストの十字架の死と復活について語った。つまり、福音を語ったのだ。結論は36節。その結果はどうだったのか?

教会誕生のとき、第3に、爆発的に救いの実が結ばれた!使徒2:37-41。聖霊のバプテスマのキリストの証人となる爆発的力がここに現れている。その日のうちに三千人が仲間に加わった!成人男性だけで三千人なので、女性や子供を含めれば一万人近かっただろう。これがリバイバルだ。これはイエス・キリストが地上におられたときに起こらなかったことだ!そして、私たちも体験できることでもある。聖霊様についての約束の対象は誰か?39節。すべての人、すべての世代だ。そこには私たちも含まれている。そしてこの約束を信じて、アメリカでも韓国でも中国でもインドネシアでもアルゼンチンでもアフリカでもリバイバルが起きた。そして日本でも起こる!すばらしい約束が与えられていることを感謝しよう。主が約束された聖霊様の賜物を熱心に求め、リバイバルを起こす私たちになろう!

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