初代エルサレム教会の模範

イエス・キリストの教会
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初代エルサレム教会は教会の模範です!初代教会の活動を知ることで、私たちの教会のめざすべきところがわかりますd( •̀∀•́ )b

初代エルサレム教会の模範

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【原稿】
初代エルサレム教会は、教会の模範。初代教会は天国を先取りしたような教会だった。この教会がどのような教会だったかを知ることによって、私たちの教会の目指すべきところを知ることができる。初代エルサレム教会の優れた点を学び、見習おう。
初代エルサレム教会は聖霊降臨によってペンテコステの日に突然誕生した。メンバーは最初から3千人ほど!遠い国から来た巡礼者たちがそれぞれの故郷に帰ったとしても、かなりの人数が最初からいた。突然誕生したばかりの教会、メンバーのほとんどがイエス・キリストを信じたばかりの教会はしかし、非常に生き生きとしていた。使徒2:42-47。ここに初代教会の活動内容がざっと4項目あげられている。彼らはいずれの活動でも熱心だった。救いの喜びに満たされ、聖霊様によって心が熱く燃やされて熱心に活動していた。永遠の命が力に満ち溢れていた。

活動の第一は使徒の教え。使徒の教えといっても使徒たちが独自の教えを考えたのではない。使徒たちはあくまでも旧約聖書とイエス・キリストの御言葉を通して教えた。そして、使徒たちが聖書を書いた。だから新旧約聖書から教えたも同然だ。使徒たちは神の言葉を語ったのだ。使徒たちは聖霊様に満たされて力強く教えた。教会のメンバーは使徒たちが語る言葉に熱心に耳を傾けた。ここに御言葉への飢え渇きと、牧師と信徒間の麗しい信頼関係がそこにあった。
活動の第二は相互の交わり。教会は誕生したばかりだったので、ほとんどのメンバーが初めましてだった。にもかかわらず、彼らは聖霊様によって一つとなり、互いに愛し合っていた。どれくらい愛し合っていたのかというと、すべての財産を共有するほどだった。使徒2:44-45。彼らは私有財産を持たなかった!ここに共産主義者が実現したい社会が実現している!私有財産の放棄はどんなに優れた社会のシステムを構築しても実現できなかった。しかし、イエス・キリストの愛によって実現できるのだ!家族は互いに助け合って家計を支えるものだが、信仰による家族である教会単位でそれができた。彼らは頻繁に集まった。どのくらい頻繁にか?46節によると毎日!毎日一緒に礼拝をささげ、家ごとでパンを裂き=聖餐にあずかり、食事をし、神を賛美したのだ。
活動の第三は祈り。牧師との関係、信徒同士の関係だけでなく、神との関係も緊密だった!彼らが毎日心を一つにしてすることというのは、礼拝、聖餐、賛美、祈りといった神に向かうことが中心だった! 心を一つにして、熱心に祈るなら、その祈りは答えられる!ペトロがヘロデにとらえられて殺されそうになっていたとき、教会では熱心な祈りがささげられた。使徒12:5。その祈りの結果どうなったか?神が天使を送ってペトロを牢の中から出してくださったのだ!
活動の第四は伝道。使徒たちは機会があるごとに御言葉を伝えた。毎日、御言葉を伝えた。彼らには、しるしや不思議な業が伴った。生まれつき足の萎えた人が立ち上がる奇跡のような奇跡が起こったし、しまいにはペトロの影に触れるだけで人々が癒しと悪霊からの解放を受けた。使徒5:15-16。使徒たちはそういう奇跡によって人々の注目を集め、福音を伝える機会として用いた。使徒たちが語ったメッセージはいずれもイエス・キリストについてだ。旧約聖書のキリストについての預言を引用しながら、イエス・キリストの十字架の死と復活を大胆に伝えた。使徒3:15。そして、使徒たちはどれだけ迫害されても物ともせずに伝道を続けた。生まれつき足の萎えた人が立ち上がる奇跡の後、議会で厳しい取り調べた。議会の最高権力者たちに、もう二度と伝道してはならないと命じられた。それに何と答えたか?使徒4:19-20。「あなたたちの命令には従わない!」とあからさまに逆らっている!使徒たちはその後も少しもひるまずに伝道した。すると、今度は牢に入れられ、最高法院に引き出された。「駄目だと言ったのになぜ伝道したのか」と責められると。使徒5:29-30。それで一時は殺されそうになっていたところを神に導きで助けられた。しかし、鞭打ちに刑にあった。使徒5:40-42。使徒たちは迫害されたことを喜び、すぐまた毎日伝道した!永遠の命の恵みを確信していたので、死を恐れなかった。死を恐れない人を誰も止めることはできない!使徒たちはどんな目にあってもキリストを伝えることをやめようとしなかった。
熱心な活動をするために不要な活動をカットするも必要。初代エルサレム教会の最初期の活動内容を見ると、そこにないことがあげられる。会議だ。教会の運営は聖霊様の導きによってなされていたので、ほとんどの場合、会議が必要なかった。信徒たちが互いに愛し合っていたので、何の問題もなく、会議を行う必要はなかった。会議が必要になったのは問題が噴出したときだ。一回目の会議はヘブライ語を話すユダヤ人とギリシャ語を話すユダヤ人の間で財産の分配が不平等だったという問題に端を発する。この問題については単純だったので、長い議論をせず、使徒たちがリーダーシップを発揮し、配給のための7人の奉仕者を立てることによっておさまった。その結果、使徒6:7。問題を解決すればさらに教会が成長する!二回目の会議は使徒15章の使徒会議だ。このときには、異邦人が割礼を受けて律法を守る必要があるのかどうかという、より難しい問題についてだ。ヤコブがアモス書の御言葉を引用して結論を出した。そしてその結論は次のように伝えられた。使徒15:28。「聖霊とわたしたちは」とある。使徒会議での議論は聖霊様に導かれたものであり、御言葉に基づくものだった。中身のない会議はやめよう!会議のための会議はやめよう!せっかく集まるなら一緒に祈ること、礼拝すること、御言葉を学ぶことの方がはるかに重要だ。単純な問題やささいな問題は誰かがリーダーシップを発揮して提案し、さっさと決めてしまうがよい。どうしてもじっくり話し合わなければならない重要な問題については初代エルサレム教会にならって聖霊様と御言葉によって結論を出そう。

初代エルサレム教会の活動は決して完全なものではなかった。その活動内容を見ると、そこに欠けているものがある。大宣教命令の遂行だ!使徒たちもその他の弟子たちも、全世界に出ていって、すべての造られたものに福音を伝えなさいというイエス様の命令を忘れていた。彼らは初代エルサレム教会の交わりがあまりにもすばらしく、心地よかったので、いつまでもエルサレムにとどまってその交わりを楽しみたいと願った。それで、なかなか世界宣教に踏み出そうとしなかった。エルサレムの中では伝道したが、外に出ていこうとしなかった。そこで、神はエルサレムで大迫害が起こることを許された。神は迫害をも用いて、世界宣教を進められる!使徒8:1,4。ここでエルサレムの外で福音を伝えたのは誰か?使徒たちではない!使徒たちはエルサレムにとどまっていた。一般信徒が福音を伝えたのだ。世界宣教は一般信徒によって開始された。大宣教命令はすべてのクリスチャンに対する命令だ。私たち一人一人が何等かの形でそれに関わっていく必要がある。迫害の後も、初代エルサレム教会というのは、あくまでもユダヤ人中心、エルサレム中心の内向きなものであって、世界宣教に強い関心を持たなかった。そこで、神は新たにアンティオキア教会を起こして、バルナバやパウロを用いて世界宣教を進められた。そして、教会は次第にユダヤ人よりも異邦人の方が多くなっていく。ユダヤ人のクリスチャンのコミュニティは次第に数が少なくなり、3世紀から4世紀には消滅した。大宣教命令の遂行、これが初代エルサレム教会に最も欠けていたスピリットだ。宣教をしないなら栄えない。私たちはこの点使徒パウロのスピリットにならい、宣教にも関心を持つようになろう。教会として、国内に新しい教会を開拓することや海外宣教に対してもビジョンを持とう。自分自身が遣わされないとしても、まずは祈りからだ。

初代エルサレム教会にも欠けている点はあったものの、多くの点で現在見られる教会よりも優れている。では、私たちは初代教会のようにはなれないのか?決してそんなことはない。イエス・キリストが再臨されるのは、教会がしみもしわもその類のものが何一つない栄光の教会になるときだ。私たちは初代教会のようになり、またもっとすばらしい教会になることもできるということだ。そのことをめざそう。聖霊様の力を受けて、初代教会を見習って建て上げられていき、栄光の教会となる、私たちになろう!アーメン。

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