信仰の働き、愛の労苦、希望の忍耐[Ⅰテサロニケ1章]

テサロニケの信徒への手紙一
スポンサーリンク

サムネイルは現代のテサロニケの街です。
三週間しか牧会できなかったテサロニケの信徒たちに、パウロは何を語ったのでしょうか?
※インターネット礼拝のメッセージだけを切り取ったものです。

信仰の働き、愛の労苦、希望の忍耐[Ⅰテサロニケ1章]

信仰の働き、愛の労苦、希望の忍耐[Ⅰテサロニケ1章]

YouTubeのチャンネル登録はこちらから!

【ノート】
テサロニケの信徒への手紙は使徒パウロがテサロニケの信徒たちにあてた手紙だ。テサロニケはマケドニアの都市だ。もともとは温泉という意味のテルマイという名前の都市だった。アレクサンドロス大王の死後四人の将軍が巨大なギリシア帝国を四分割したが、マケドニアを得たのはカッサンドロスだ。カッサンドロスはアレクサンドロス大王の腹違いの妹であるテサロニカを妻にしていた。そのテサロニカにちなんで、テサロニケとなづけられた。テサロニケは大都市であって、有名な港町でもあった。エステルの旦那さんとなったペルシアのクセルクセス王がヨーロッパに侵入した際には、テサロニケを海軍の本拠地にした。ローマの時代にも世界で有数の造船所があった。ローマの支配下でも、テサロニケは自由都市であって、独自の議会と行政官をもっていた。人口は20万人にのぼる。
テサロニケ教会を開拓したのはパウロ、シラス、テモテの三人だ。パウロたちがテサロニケに導かれたのは、第二次宣教旅行のときだ。パウロたちは小アジアで宣教しようとしていたが、神からマケドニア人の幻を見せられ、マケドニアに向かうことになった。トロアスから舩出し、まずはフィリピで宣教し、迫害を受けて投獄された後、テサロニケに移動した。パウロはそこで三回の安息日にわたって福音を語った。使徒17:2-3。パウロたちはたったの三週間しかテサロニケで宣教しなかったのである。しかし、この三週間に、大きな収穫が得られた。何人かのユダヤ人と多くのギリシア人が信じてパウロとシラスに従ったのだ。ところが、これをねたんだユダヤ人たちはならず者を抱き込んで暴動をおこし、パウロたちの宣教を妨害した。そこで、パウロたちは命からがら逃れて、べレアで宣教した。テサロニケのユダヤ人は執念深く、べレアにいるパウロたちのところまできて騒ぎを起こしたので、パウロはさらにアテネ逃れなければならなくなった。
アテネに逃れたパウロは、テサロニケの信徒たちのことが心配で頭から離れなかった。果たしてたった三週間しか牧会することができなかった若い教会の信徒たちが、あの執念深いユダヤ人たちからの迫害に耐えることができるだろうか。もしかしたら、テサロニケの信徒たちの信仰はもう風前の灯火かもしれない。そこで、テサロニケの信徒たちの様子を知り、信仰を励ますためにパウロはアテネからテモテを派遣した。テモテがもってきたしらせは良い知らせだった。テサロニケの信徒たちの信仰は生きていた。信仰が生きているかどうかが最も大事だ。その人がイエス・キリストに対する信仰さえ確かに持っていれば、ほかにどんな問題があっても大したことはない。やがてその人は死も苦しみも涙もない永遠の天国に行くことができる。しかし、テモテがもたらした報告にいくつか気になる内容もあった。テサロニケの信徒たちはキリストが再びこの世に来られること、つまりキリストの再臨について間違って信じていた。そのせいで、再臨前に死んだ信徒について嘆いたり、どうせすぐキリストが再臨して世界が終わるのだからと働くのをやめたりする人がいた。

そこで、パウロは筆をとった。テサロニケの信徒たちを励まし、パウロの彼らに対する愛を伝えるとともに、再臨問題について正しく教えるためだ。テサロニケの信徒への手紙は第一も第二もすべての章でキリストの再臨が触れられている。再臨、再臨、再臨づくしだ。このことから、パウロが三週間のテサロニケ滞在中に何を教えていたのかがわかる。パウロはキリストを信じ始めたばかりの人々にキリストの再臨を教えたのだ。パウロの姿勢を見習うべきだ。人々がつまずいてしまうことを恐れて、全然再臨について語らない人がいる。それは間違いである。信じたばかりの人に対しても再臨は大いに教えるべきものだ。再臨の教えについては、二つの側面がある。第一に、信じる人にどんな迫害に対してもゆるぎない信仰を与える。信じたばかりの人にすら強力な信仰を与える再臨は、なんとしてもしっかりおさえておきたい。第二に、間違って信じてしまったり、極端な行動に走ったりする危うさがある。この点は正しく、しっかりと学ぶことによってカバーすることができる。要は正しく理解すればものすごく良いものなのだ。無暗に嫌厭してしまってはならない。テサロニケの信徒への手紙を通してキリストの再臨について、正しく理解する者となろう!アーメン。
1節。「パウロ、シルワノ、テモテ」はテサロニケ教会を開拓した三人だ。シルワノというのはシラスのことだ。三人に対しては何の肩書もつけられていない。それはテサロニケの信徒たちであれば、彼ら三人のことを知らない人は誰もいなかったからだ。開拓してから何年もたっていない時期に書かれたこの手紙に、あえて仰々しい肩書をつける必要はなかった。パウロたちとテサロニケの信徒たちはお互いのことをよく知っていたのだ。あなたはご自分の教会の牧会者を知っているか?牧会者と信徒との間に親密な交わりがあることはよいことだ。見習おう。
しかし、テサロニケの教会が教会たるのはパウロたち三人にはよらない。テサロニケの教会が教会たるのは、「父である神と主イエス・キリストとに結ばれている」からだ。教会の開拓者たち三人はテサロニケの信徒たちのために命がけで働いたが、テサロニケの教会はパウロの教会とか、シラスの教会ではない。だからこそ、開拓者たちが三週間しかいなくても教会は存続できたのだ。開拓者たちがいなくても、教会は神と大牧者であるキリストご自身が面倒を見てくださる。牧会者に依存することなく、父なる神とイエス・キリストに堅く結ばれている私たちになろう。
「恵みと平和」があるように。恵みと平和はどちらもただ父なる神とイエス・キリストを通してのみ与えられる。恵みは、それを受けるに値しない人に対する神の愛の賜物。キリストからの恵みはいろいろあげることができるが、まずはキリストの十字架による罪のゆるしだ。平和は、イエス・キリストによって罪がゆるされ、神と和解した状態のこと。恵みと平和はイエス・キリストを信じている人であれば、すでに与えられているものだ。パウロはそれがいつも信徒たちにあるように祈っている。決して忘れてはならず、私たちの心から決して離してはならないものなのだ。
2-3節。パウロの感謝。「祈りの度に」。パウロは気が向いたら祈る、暇なときに祈るという人ではなく、絶えず、毎日忠実に祈る人だった。5:17。そのパウロが祈るときに必ず祈っていたのは執り成しの祈り=ほかの人のために祈る祈りであるということがわかる。パウロはテサロニケの信徒一人一人のことを思い起こして、彼らのために祈っていた。あなたは誰かのために祈っているか?あなたの祈りのリストの中に自分以外の人のことを加えることをおすすめする。神は感動してあなたの祈りも喜んで答えてくださるだろう。パウロのテサロニケの信徒たちを思い起こしての祈りの中心は「感謝」だった。テサロニケの信徒たちにも問題はあったが、パウロはその問題について嘆いたり、非難したりするのではなく、神に対しては感謝して、信徒たちに対しては優れた点をまずほめた。まず、ほめること、相手を認めることは後で指摘する問題点を受け入れやすくする。テサロニケの信徒たちの優れた点は「信仰によって働き」「愛のために労苦し」「希望をもって忍耐している」ことだった。信仰と希望と愛、この三つについてはⅠコリント13:13。信仰と希望と愛はいつまでも残る、つまり神が良しとされ、永遠の報いをもたらすものだ。信仰と希望と愛はクリスチャン固有の徳目だ。それらは目には見えないが、テサロニケの信徒たちに見られたようにその実を見ることはできる。信仰は働きに結び付く。信仰があるのに何もしない、消極的で腰が重いということはありえない。信仰がアグレッシブな行動を産むことはヘブライ人への手紙の11章の信仰の章に列挙されている。愛は労苦に結び付く。より骨の折れる行動をとることを可能にするのだ。私利私欲のために働く人や怖れにかられて働く人もいるが、信仰と愛のモチベーションは、いつもそれらよりも優れている。そして、希望は信仰の働きに妨害や思うようにいかないことが生じても、永遠を見据えて耐えることを可能にする。この三つが備わっていれば私たちは神の目的と計画においてどこまでも前進できるのだ。
4-5節。テサロニケの信徒たちは「神に愛され」「神から選ばれた」人々だった。テサロニケの信徒たちのほとんどは異邦人だ。「神に愛され」という言葉はユダヤ人がモーセやソロモンのように特に優れた人物にのみ適用した言葉だ。それが、今や最も卑しいと思われた異邦人にまで広げられた。彼らが神から選ばれた人々だったからだ。教会は神が人々を選び、召し出して、形成される。あなたはクリスチャン?それであればどのようにしてクリスチャンになったとしても、それは偶然ではない。あなたは神から選ばれた人だからこそ、クリスチャンになったのだ。
多くの場合、テサロニケの信徒たちがそうだったように、福音を聞いて、クリスチャンになる。その福音伝道が神からの招きなのだ。神の招きを伴う福音伝道は5節「ただ言葉だけによらず、力と聖霊と強い確信とによった」。力はデュナミス。聖霊の爆発的な力をさす。強い確信も聖霊によって与えられるものだ。御言葉と聖霊様の力が同時に働いたのだ。そのような福音伝道は神が人々を招くにあたって用いてくださるものとなる。パウロがここで言っていることは決して大袈裟な表現ではなく、「御承知のとおりです」と書いてある通り、伝道された側のテサロニケの信徒たちがうなずくものだった。
6節。テサロニケの信徒たちは、外では執念深いユダヤ人たちによる迫害によって、ひどい苦しみにあうことを覚悟しなければならなかったが、内側からは聖霊による喜びが満ちあふれていた。外には迫害、内には喜び。迫害と喜びが同時に存在するのは福音によってのみ生じることだ。テサロニケの信徒たちはまずパウロたちに倣う者となり、続いて主に倣う者となった。パウロたちが主に倣っていたので、パウロたちに倣うことは主に倣うことに通じたのだ。ここでパウロたちが伝道者として優れていた点は、自分たちを模範として躊躇なく前面に押し出すことができるくらい、クリスチャンとしてしっかりしていたことだ。「人間ではなく、神を見ましょう!」というのはもっともらしいことで一理あるが、模範となりえない自分の至らなさを容認してしまうものだ。しかし、本物の伝道者は模範的な信仰生活を通しても人々を感化させることができる。パウロはテサロニケの人々を感化させて、7節、ギリシア北部のマケドニア州とギリシア南部のアカイア州つまり、ギリシア全土のすべての信者の模範とさせることができた。

8-10節。テサロニケの信徒たちがどのようにギリシア全土に影響を与えたのか。第一に、伝道。「主の言葉があなたがたのところから出て」と書いてある。テサロニケの信徒たちは、伝道をするという点についてまでパウロたちに倣い、実践したのだ。「響き渡った」という言葉は雷鳴のとどろきを意味する。テサロニケの信徒たちは過酷な迫害を受けていたのに、逃げも隠れもせず、雷鳴がとどくようにギリシア全土に対して大胆に御言葉を発信していたのだ。第二に、回心。テサロニケの信徒たちの回心は評判になっており、9節に「彼ら自身がわたしたちについて言い広めているからです」とあるように、直接伝道しなくても劇的な回心の話が一人歩きして勝手に広まるようになっていたのだ。テサロニケの信徒たちの優れた回心について、3点。
1.パウロたちを歓迎した。「わたしたちがあなたがたのところでどのように迎えられたか」と書いてある。たとえ相手が優れた伝道者であっても、その人を拒絶してしまっては何も受け取ることができない。伝道者からどれだけのものを引き出すことができるかは伝道される側の態度にかかっている。その点、テサロニケの信徒たちがパウロたちを熱心に歓迎したことが評判になっていた。これは主が報いると約束されたことにあたる。マタイ10:41。
2.偶像から離れて、生けるまことの神に仕えるようになった。パウロはアテネが偶像だらけだったことに憤慨したが、それはテサロニケも同様だった。テサロニケの信徒たちは偶像とはっきりと決別して生ける神に方向転換した。それは生けるまことの神に出会うと偶像が価値のないものであることに気づくからだ。いままで何でこんなものを拝んでいたのか!?それで180度転換して神に仕えるようになる。
3.キリストの再臨を待望した。これがテサロニケの信徒たちの最大の特徴であり強みだ。キリストの再臨に備えることが生き生きとした信仰、堅固な信仰を築く。あなたはキリストの再臨に備えているか?二千年前のテサロニケの信徒たちが待望していたのであれば、二千年後にあたる私たちは再臨が彼らの時よりもずっと近いのだから、なおさら熱烈に待望する必要がある。その待望が天上の栄光へと私たちを導くものとなるだろう。キリストが天から来られるのを待ち望む私たちになろう。アーメン。

【お問い合わせ】
聖書に興味を持たれた方はお気軽にご連絡ください\(^o^)/
池袋では教会と聖書勉強会の集まりを持っています。

Email : jesus.christ.is.the.lord19860804@gmail.com
※メールで問い合わせる場合は受信設定でこのメールアドレス許可してください。

Twitter : https://twitter.com/Shuzo_Koita

Line : http://line.me/t
i/p/ICne2QGIuJ

Facebook : https://www.facebook.com/shuzo.koita

コメント

タイトルとURLをコピーしました