イエス様がくださる平和は、イエス様の平和です。
それは、世が与えるように与えるのではない平和です。
イエス様のくださる平和
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【ノート】
神様はあなたに平和の計画を持っておられる。エレミヤ29:11。神様があなたのために計画を立てておられる。しかも、それをちゃんと心に留めておられる。片時も忘れておられない。それは平和の計画、災いの計画ではない、将来と希望を与える。このことを信じよう。「私はみじめな敗北者として一生過ごすのだ」「私は何も変わることができない」「私は求めているものを何一つ手に入れることができない」「私は何も成し遂げることができない」「私は幸せな人生を生きられない」それはどんな計画を信じているのか?災いの計画を信じている。サタンの計画を信じている。
神様は平和の計画がある。あなたの将来は明るい。希望に満ち溢れている。このことを信じよう。これは真理であり、この通りに信じる者に起こっていく。神様の計画を信じて、神様に従う者になろう。神様の計画はサタンの計画よりもすばらしい。神様の計画は私の計画よりもすばらしい。私の計画は、私自身の足りない知恵や力に制限されたものに過ぎない。それを手放して神様の平和の計画を信じ、神様に従うのだ。そうすれば、いつも平和があり、将来と希望がある。
ここでいう平和は原語のヘブライ語ではシャロームだ。シャロームは平和以外に健康、安全、安息、繁栄、幸福、静けさという意味がある。つまり、神様があなたのために立てておられる計画はあなたが健康に生きることであり、安全に生きることであり、安息できることであり、繁栄することであり、幸せな人生だということだ。そのことを信じよう。神様が約束されていることを信じるなら、私たちは不安になったり絶望したり無気力になったりする余地がない。イエス様は「あなたがたにできないことは何一つない」と言われた。イエス様は「信じて祈れば求めるものは何でも得られる」と言われた。イエス様は「何よりもまず神の国と神の義を求めなさい。そうすれば、これらのものは皆加えて与えられる」と言われた。このことを信じるなら、何も心配しなくてよいことがわかる。神様はすばらしい未来を用意しておられる。将来はひたすら明るい。
朝起きるとき、希望に満ちて目覚めよう。朝起きた瞬間から神の子として愛されていて喜ばれている。気力がみなぎっている。力強く仕事に、家事に取り組むことができる。あなたの目は澄んで、聖霊様の炎が瞳の奥に燃えている。愛があなたを駆り立てていく。家族の関係はどんどんよくなる。人々は次々と救われていく。すばらしいところに前進を続けているのだと悟っている。まさに、その通りだ。イエス・キリストが共におられる人生はそういう人生だ。それではすべてが順風満帆で、何一つ苦労しないのか?そんなことはない。大変なことはある。しかし、神様の計画を沿っている者にとっては、大変なことすら有益だ。ローマ8:28。
神様はあなたの人生に平和の計画を用意しておられる。そして、神様はあなたの心に平和を与えたいと願っておられる。平和は具体的にどのように実現し、どのように私たちはそれをつかみ、体験していくことができるのか?平和はイエス・キリストを通して与えられる。これは預言されていたことだ。イザヤ9:5。平和の君。平和の君を信じれば平和を体験できるようになる。
イエス様は御自身の口で、私たちに平和を与えると約束された。ヨハネ14:27。世が与えるとはどんな与え方か?エレミヤ6:14。これはバビロン捕囚の前に偽預言者たちが口癖としていたことだ。偽預言者は、悔い改めなくても、御言葉を行わなくても、平和、平和と口にしていた。人々はそれにだまされて、「じゃあ今の生き方のまま何も変わらなくても良いのだ」と思った。その先にはバビロン捕囚が待っていた。つまり、世が約束する平和の先には滅びがあるということ。
また、世が与える平和としては他に何があるか?リスクを避けることを通して平和を得る。これで危ない目にあわないですむ。他の人と足並みをそろえることによって平和を得る。仲間外れにならない。変に思われない。物質的な豊かさによって平和を得る。これで老後も安心だ。保険に入ることによって平和を得る。これで万一の時に保障される。社会的地位を得ることによって平和を得る。これで人からなめられない。これらのことを全否定するつもりはないが、こうやってあらゆるものが身をかためたら、平和が得られるのか?それでも心配は尽きないのではないか?いったい誰がこれらを全部完璧にすることができるだろうか?これらを完璧にしたところで、いつまでそれを維持し続けることができるだろうか?罪の問題を何とかできるのか?できやしない。世が与える平和は不完全であり、ちょっとでも何かが欠けているとすぐに脅かされてしまうものなのだ。
イエス様が与える平和は、イエス様の平和だ。イエス様は「わたしの平和を与える」と言われた。イエス様はどんな平和を持っておられたのか?イエス様は嵐の湖の中でもぐっすり眠ることができた。嵐の中でも揺るぎない平和を持っておられたのだ。イエス様は悪魔から誘惑を受けられたときも、ファリサイ派やサドカイ派の人々が言葉尻をとらえて貶めようと議論を挑んできたときも、平然としておられた。敵を前にしても、人々から非難をされても、揺るぎない平和を持っておられたのだ。イエス様は弟子たちが不信仰に陥ったり、誰が一番偉いかと議論したり、慌てふためいたりしても、一緒になって動揺することはなかった。イエス様は人に影響されない平和を持っておられたのだ。イエス様は「狐には穴があり、空の鳥には巣がある。しかし、人の子には枕するところもない」と言われた。貧しい、過酷な生活をしていても、ぐっすりと眠れるふかふかな布団がなくても、イエス様は平気だった。イエス様は物質的な豊かさを超越した平和を持っておられたのだ。状況や環境に一切左右されない揺るぎない平和だ。イエス様はただ、十字架を前にして、ゲッセマネの園で祈る時に、その平和を失われた。なぜか?イエス様の平和は父なる神様との関係に根ざしたものだからだ。人類の罪を背負って十字架で死なれるとき、イエス様は父なる神様との関係が断たれた。それは、私たちが罪によって失われた神様との平和を回復するためだ。
この平和はもう私たちに与えられている。後はこの平和を体験するだけだ。ではどういうときに私たちは平和を体験できるだろうか?大きく四つのポイントがある。
第一に、罪の告白と聖霊様の満たし。Ⅰヨハネ1:9。ローマ14:17。
第二に、御言葉をもとに神様をとことん信頼する。イザヤ26:3-4。信仰は御言葉によって養われる。
第三に、イエス様の臨在を体験する。ヨハネ20:19。イエス様の臨在を体験すると平和を体験する。
第四に、感謝を込めて祈る。フィリピ4:6-7。感謝を込めて求めているものを神に打ち明けると、人知を超える神の平和が与えられる。思い悩みが吹き飛ぶ。
私たちはこの平和を他の人々に分け与えるように召されている。マタイ5:9。赦しと和解と一致をもたらす。私たちはもう神の子だが、平和を実現するとき、他の人々の目にも神の子だと映るようになる。伝道はイエス様の平和をもたらす働きだ。マタイ10:12。世が知らない平和がある。私たちはそれを持っている。それを体験しよう。それを他の人にも伝道を通して分け与える者になろう。アーメン。
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