信仰は絶大な力を持つ神様からの賜物であり、誰でも持つことができるものであり、キリストとキリストの御言葉により成長し、告白によって使用し、試練によって明らかにされます。
私たちの信仰
【ノート】
人生で私たちが獲得する多くのものには、賞味期限がある。いつまでも残るものではない。食べ物や飲み物。衣服はぼろぼろになる。体の健康も。トロフィーやお金も朽ちていく。もし、人生がそういういつかなくなるもののために生きるなら、全く空しい人生になってしまう。
では、何のために生きるべきか?それはもちろん、永遠に残るもののためだ。永遠に残る3つのものがある。Ⅰコリント13:13。信仰と希望と愛だ。この3つはいつまでも残る。いずれも目には見えないものだ。そして、目には見えないものこそが永遠に存続する。
今回はそのうちの信仰について扱う。私たちには信仰があるだろうか?私たちは信仰をたくわえているだろうか?私たちは信仰を成長させているだろうか?私たちは信仰を使っているだろうか?私たちは信仰について知っているだろうか?私たち全員に信仰はあるが、それを十分に知らないし、未熟だし、扱えていないというのが実際のところだろう。
信仰は神からの絶大な賜物だ。信仰は私たちを救われた者とする。義とし、罪ゆるされた者とし、神の子とし、聖霊様を与え、新しく生まれさせ天国に属する者とするのは、全部信仰だ。ガラテヤ3:14。信仰があれば、何でもできる。からし種一粒ほどの信仰があれば山も動かせる。望むものを何でも手に入れられる。「信じて祈るならば、求めるものは何でも得られる」と書いてある。信仰は生かす。正しい者は信仰によって生きる。信仰なしでは一秒も生きられない。信仰は神に喜ばれる。信仰がなければ神に喜ばれることは不可能だとヘブライ11:6に書いてある。信仰はよりどころとなる。ユダ20。何ももっていなくても、信仰があれば大丈夫だ。信仰は私たちを強める。フィリピ4:13。信仰は攻撃からの守りとなる。Ⅰペトロ1:5。エフェソ6:16。信仰は悪魔に対する勝利をもたらす。Ⅰヨハネ5:4-5。信仰は喜びをもたらす。フィリピ1:25。信仰はあらゆる徳をもたらす。Ⅱペトロ1:5-7。信仰は大胆さを与える。エフェソ3:12。信仰は人を活発にする。ヤコブ2:17。生きた信仰は人を活性化させるということ!それなのに、信仰を使いこなせないというのは、もったいない!宝の持ち腐れだ。信仰を知り、成長させ、十分に使う者になろう。
信仰は誰でも持つことができる。まず、信仰という言葉をあまり難しく考えすぎないことだ。すべての人間が信仰の潜在能力をもっている。信じるということは私たちが日常生活の中で使っている。床屋さんを信頼してゆだねる、電車やバスを信頼して乗る。信仰とは、そういった信頼を神と神の御言葉である聖書に向けることだ。箴言3:5-6。信仰には行動と結果が伴う。床屋さんへの信頼する人は床屋さんに行っておとなしくしているという行動により髪をカットしてもらえるという結果が伴う。交通機関を信頼する人は交通機関を利用するという行動により、遠い場所にすばやく行けるという結果が伴う。神への信仰は御言葉の実践という行動によって表され、リバイバルという結果が伴う。
それでは、どうすれば信仰を持ち、成長させることができるのか?滝に打たれる修行が必要か?哲学をすることか?瞑想することによってか?そうではない。信仰は、キリストとキリストの御言葉から与えられる。信仰の始まりはキリストだ。ヘブライ12:1-2。イエス様のことを信仰の創始者であり、完成者であるとも書いてある。
ということは私たちが信仰を持って、成長させていく上で、ひたすらイエス様に頼ればよいことがわかる。途中まではイエス様から、途中からは別の教師からというのではない。ひたすら、最初から最後までイエス様から教わるのだ。そして、信仰はキリストの御言葉を聞くことによって生じる。ローマ10:17。聖書に親しむのだ。聖書をキリストの御言葉として受け取る。それらを何よりも信じる。子供のように素直に信じる。常識よりも信じる。人の常識は神の非常識だ。イエス様は人が口にする「常識」的な不信仰な言葉を聞いて驚く。世の知識よりも信じる。聖書には世の知識のことを「不当にも知識と呼ばれている反対論」と書いてある。感情よりも信じる。感情は不安定なものだ。感覚よりも信じる。感覚は人をだますことがある。状況よりも信じる。私たちが把握している状況はほんの一部に過ぎない。自分よりも信じる。自分で自分を欺いたことが何度あるだろう。
そこまで信じることができるだろうか?なんて心配してはならない。クリスチャンの救いは全面的にキリストにあやかることによって得られる。十字架の死、復活、昇天。実は信仰も、「私たちの信仰」でありながら、キリストの信仰にあやかるものだ。ガラテヤ2:16。日本語訳だとよくわからないが、これは直訳するなら、「キリストへの信仰」ではなく「キリストの信仰」によって義としていただくとなる。信仰は、信仰の創始者であり、完成者である方であるイエス・キリストの信仰にあやかるものなのだ。キリストの信仰は完成されたものだ!キリストの信仰が私たちを救い、私たちを生かし、奇跡を行わせるのだ。では、私たちの信仰ではないのか?私たちの信仰でもある。イエス様は「あなたの信仰があなたを救った」と言ってくださる。イエス様の信仰にあやかるものであっても、喜んで私たちのものとして認めてくださるのだ。
信仰とはどういうものなのか?信仰は見えない事実を認識させる器官だ。ヘブライ11:1。望んでいる事柄、見えない事実と書いてある。これらは さて、私たちは見えていないものが確かにあると確認するすべがあるだろうか?いろいろある。目をつぶっても、その対象をさわれば、確認できる。音については耳で確認っできる。においがするものについては鼻で確認できる。味については舌で確認できる。こう考えると見えない事実は目以外の多くの器官によって確認できる。しかし、五感というのはあまりにも制限がある。五感では霊的なことはほとんどとらえらえないし、離れたところや未来のことも全然とらえられない。五感だけで生きるのは非常に狭い世界で生きるということ。信仰が、五感の欠点を補う。信仰はある種の霊的な器官だ。信仰は五感のような器官だから、事実をはっきりとらえられる。神が生きておられること、天国があり、地獄があるということ、聖書の約束一つ一つが真実であること、それらがはっきりとわかる。そこにはもうあれこれ考えたり議論したりする余地がない。わかるのだ。そして、それらの見えない事実は、そのどれもこれもが肯定的なもの、私たちを強め、生かすものばかりだ。
信仰は告白することによって使用できる。口にすることに信仰は表される。それだけでない。不信仰も口によって発揮される。私はできない、と口にすれば敗北者になるし、自分には信仰がないといえば不信仰にとらわれることになる。箴言6:2。不信仰の言葉に気をつけなければならない。イエス様は「人はどんなつまらないことでも、裁きの日に責任を問われる」と言われた。だから、不信仰の言葉を口にするのではなく、日ごろから絶えず信仰告白をすることが重要なのだ。ローマ10:9-10。心で信じるだけではいけない。信仰は告白する、口にすることで発揮する。「イエス様は主である。」と口にする。「告白」とは、原語のギリシャ語では「同じことを言う」という意味がある。
「神の言われることを言う」とか、「証しで神に同意する」という意味だ。御言葉を告白するなら、私たちは問題に立ち向かうことができる。罪、病気、失敗、人間関係、仕事、その他どんな領域においても、神の御言葉によって言われていることを、口に出して言うならば力がある。病気の癒しについては、イザヤ53:5やマルコ16:18を告白する。御言葉は真実だ。私たちの感覚はどうであれ、たとえまだ痛みや症状があるように思われたとしても、御言葉が真実であることに同意しよう。御言葉はどんな時でも真実だからだ。私は主にあって癒されたと。すると、後から感覚の方もついてくる。いま、抱えている問題に対する答えとなる御言葉を聖書から探そう。その御言葉を堅く信じて告白しよう。告白しているのに、別の場面で疑いを口にしてはならない。それでは信じていることにならない。不信仰な発言は間違った告白だ。御言葉は常に真実である。ただ、真実な御言葉だけをひたすら告白しよう。
信仰は試されることで明らかになる。テストは嫌なものだ。でも、嫌だから避けるというわけにはいかない。学力にせよ、体力にせよ、テストをしなければ、その実力を十分にはかることができない。そして、テストがあるからこそ、それに備えて励む。がんばる。そして、成長することができる。だから、テストは嫌なものであっても、私たちにとって必要であり有益だ。信仰にとっては、試練がそうだ。信仰は私たちを守る。だから、試練によって、私たちの信仰の強度がよくわかる。試練にはいろいろある。長いこと待つこと、霊的戦い、挫折、患難、迫害、病気、大切な人やものを失うことなどだ。もちろん嫌だ。しかし、絶対に避けられない。しかも、私たちにとって有益だ。Ⅰペトロ1:7。試練に遭ったら私たちはこう告白しよう。テストの時が来た。今こそ、聖書に親しんで備えてきた信仰を発揮するチャンスだ。この試練は私が神の子として父なる神様から愛され、鍛えられている証拠だ。私はこの試練を信仰によって突破して、もっと成長できる。
神様からこの貴い信仰を与えられていることを感謝しよう。今日、決心した人は祈ろう。
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