真実な御言葉が忠実な奉仕の土台です。
御言葉に基づいて忠実に仕える
【ノート】
クリスチャンは、キリストに仕えるように召されている。キリストに仕える上で要求されるのは、忠実であること、自分が信頼に値する者であることを証明することだ。信仰というのは信頼に値する者であることを証明する点で問われる。それでは、私たちはどういう点で忠実であることが求められるのか?私たちは、御言葉を忠実に行うことが求められる。
単なる人間の言葉や、自分自身の思いつきについては、どこまでも忠実である必要はない。人間であれば、詐欺やいじめやパワーハラスメントをしてくる悪い人もいる。そういう人のいいなりになって、その言葉を忠実に行っていたら、身が持たない。それは主から求められていない。また、自分自身の思いつきであれば、忠実でない方が良いこともある。「宝くじで絶対に1等に当選する!」と思いたったとしても、その実現に向けて忠実に励むべきではない。そんなことをしても自己満足にすぎないし、場合によっては身を滅ぼすことになる。
キリストに仕えるのだから、私たちは主の御言葉を行うという点で忠実でなければならない。私たちが忠実であるべき内容は聖書の御言葉に書いてある。だから、主に仕えるべく奉仕をしようと思ったときは、何かしらの聖書の御言葉に基づいて、それを行うようにしよう。そうすれば、それは人間の言葉を行うのでも、自分の思いつきでもなく、主から命じられたことを忠実に行うことになる。その奉仕は主が命じられたことなので、大変なことがあったとしても、いい加減にしたり、不平不満をつぶやいたり、途中で簡単に投げ出したりしないのだ。もし、このことを怠ってなんとなく何かの奉仕を始めるなら、自分の考えなのか、人の言葉なのか、御言葉で主から命じられた奉仕なのか、わからなくなる。そして、なんとなく始めたので、なんとなくやめる、ちょっとうまくいかないと中途半端に投げ出すということが起きてしまう。そうならないように準備をしよう。
まず前提として、何らかの奉仕をしたいと思うのは、主がその志を与えてくださったからだ。フィリピ2:13。その上でその奉仕をすることを主が御言葉で示しておられるものなのかどうかを、聖書を開き、確認するのだ。御言葉が与えられたらその御言葉をにぎりしめて主に仕える。御言葉を通して、主からの志がますます確かなものとなり、その奉仕を忠実に全うすることができる。
御言葉は私たちが忠実に行う価値がある。なぜなら、御言葉は真実であり、信頼できるからだ。テモテへの手紙ⅠとⅡ、テトスへの手紙は牧会書簡と呼ばれる。テモテとテトスはどちらも使徒パウロに従って、伝道牧会をした人々だ。つまり、重要な奉仕を担っており、特に忠実に仕える責任のある立場の人々だ。この短い牧会書簡では、合計6回も「この言葉は真実です」という御言葉が出てくる。Ⅰテモテ1:15。この真実はpistosだ。Pistosには誠実、忠実、信頼できるという意味がある。御言葉が真実なので、私たちは御言葉に忠実でなければならないのだ。パウロは重要な奉仕を担うテモテとテトスがキリストに忠実に仕えられるように、真実な御言葉を書簡を通して与えたのだ。真実な御言葉が私たちを忠実な者にする。御言葉が忠実な奉仕の土台を築く。
御言葉が真実であることは、主と主の天使からも聖書の締めくくりの黙示録ではっきりと断言されている。黙示録21:5。主は預言者や使徒に信頼できる真実な言葉として聖書の御言葉を書かせたのだ。黙示録22:6-7。「預言者たちの霊感の神」と書いてある。聖書は主が与えられる霊感によって書かれた真実な言葉だ。真実な御言葉に基づいて忠実に仕える者となろう。
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