選択と集中

福音&主題メッセージ
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短い人生、手広くしすぎると何も成し遂げられません。
選択と集中が必要です。

選択と集中


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【ノート】
この一週間、神様から「選択と集中」という言葉を何度も語られた。調べてみると、選択と集中はピーター・ドラッカーが提唱した経営戦略のことだった。経営の場合、コア事業への集中投下をせよというもの。それを実践したゼネラル・エレクトリックが大成長を遂げたので、世界に広まった。しかし、これは人生にもあてはまる。実際人生は短い。だから、何でもできるが、あまりいろいろなことをし過ぎると時間がなくなってしまい、何も成し遂げられないということになりかねない。自分の持っている限りある時間、能力、財産といったリソースをいかに使うべきか、考えなければならない。多くの選択肢の中で最も良いものを選択して、そのことに集中することが必要だ。

一流のプロスポーツ選手は、自由時間をどう過ごすこともできるが、練習を選択し、練習に集中する。本番で成果を上げるためだ。どんなに才能のある人でも、その才能を磨こうとしなければ輝くことができない。一流は才能と努力の積み重ねの両方を兼ね備えている。野球選手の大谷翔平は日本ハムファイターズを日本一に導いた2016年のクリスマスイブの午前1時にバッティング練習をしていた。プロボクサーのメイウェザーは5階級制覇し、2015年のアスリートの年収世界一に輝いたことがある。「お前が休んでる時、俺は練習している。 お前が寝ている時、俺は練習している。 お前が練習している時、もちろん俺も練習している。」彼らは、何でも自由にできるとき、練習することを選択して集中しているので、大きな成果を上げた。

私たちがクリスチャンとして成果を上げたい事柄は、スポーツ選手とは違うが、共通して必要なことは選択と集中だ。それでは、特にどの分野について、何を選択して集中すればよいのだろうか?聖書がそれを教えてくれる。神様から「選択と集中」ということを教えられて、聖書がそのことについて多くを語っていることに気づいた。しかし、何を選択すればよいかわかったところで、人間はその選択がちゃんとできるだろうか、それに集中することができるだろうか。現代では、私たちの誘惑になりうるあまりにも多くの選択肢があるのではないか。また、「私には集中力がない!」という人もいる。そういう人でも、選択と集中をするにはどうすれば良いのか?

一つには、聖書の御言葉それ自体が、私たちに選択と集中をする力を与える。御言葉には実現させる力がある。イザヤ55:10-11。特に御言葉は人を造り上げる。Ⅰコリント14:3。「光あれ」と言われてその通りになった御言葉は、私たちに語られると、その御言葉が私たちの内で生きて働いてその通りに実現するように駆り立てる。「隣人を自分のように愛しなさい」と言われたら、私たちはその御言葉に動かされてそうする。「すべての民をわたしの弟子にしなさい」と言われたら、私たちはその御言葉に動かされて出て行って人々を主の弟子にしようとする。御言葉が選択と集中を命じるなら、私たちはそうするように突き動かされる。今日から私たちは主が「これだ」とされる選択を力強くし、そこにとどまる集中力が与えられる。
もう一つには聖霊様が選択と集中をできるようにする。もし私たちが自分の精神力によって選択と集中をしようとするなら葛藤を感じ、やせ我慢が必要になり、疲れてしまうだろう。しかし、聖霊様に導かれてするなら、主にある自由の中で最善の選択をし、そこにとどまれるようになる。サムエル上10:6-7。どうして聖霊様によって別人にされている人は「しようと思うことを何でもしなさい」と、全面的な自由が許されているのだろうか。
それは、聖霊充満な人が心から望むのは最善なことだからだ。私たちは自分から本当にしたいと願うことをするとき、全然疲れない、精神力がいらない、我慢が必要ない。思う存分それをすればよい。先ほどあげたアスリートたちも、実は練習が大好きな人たちだ。聖霊充満な時、私たちは神様と人を心底愛する。祈るのが大好きになる。賛美するのが、聖書を読むのが、献金するのが、教会に行くのが、奉仕をするのが、伝道するのが大好きになる。しろと言われなくても言われた以上のことをする。
この時間、聖書が語る選択と集中が必要な分野を大きく4つ挙げる。
第一に、神を選択して集中する。どの神を拝むのかということは、人間が選択することなのか?そう、人間が選択することだ。誰を自分の主人に抱くかということになるから、これ以上重要な選択はない。マタイ6:24。二人の主人に仕えることは完全に不可能だ。だから、実は多神教というのは最初から不可能だということ。日本では八百万の神なんていうことが言われているが、そんなに多くの神々にどうして仕えることができるのか。1日に一つの神を拝み、120年生きたとしても、43800の神しか拝めない。それでどうやってまともに仕えることができるだろうか?不可能だ。だから、漠然と多神教だという人は、実はどの神にもまともに仕えていない。どの神を信じるか選んで、その神に集中しないといけない。ところが、結構この選択をきちんとせずに、曖昧になってしまうことがありうる。それで、聖書では神を選びなさいと命じられている。ヨシュア24:14-15。あなたはどの神を選ぶか?当然主なる神様を選ぶ。ただ一人選ぶなら、最も偉大なお方であり、私たちを最も愛してくださる方であるべきだろう。主なる神様はまさにそうだ。天地万物を創造し、保持し、支配しておられる全知全能の方。御子をさえ惜しまずに与えてくださるほど愛してくださるお方だ。この方に集中しよう。集中するとはどういうことか?ヨシュア24:23。他の神々やオカルトを取り除くということだ。そして、心を尽くし、精神を尽くし、思いを尽くして、その方を愛するということだ。主なる神様を選択して、集中しよう。

第二に、人間関係を選択して集中する。誤解のないように申し上げるが、嫌な人との関わりを断ち切り、好ましい人とだけ関わろうということではない。聖書には、あなたがたはせめて、すべての人と平和に過ごしなさいと書いてある。そのすべての人の中には嫌な人も含まれる。イエス様が徴税人や罪人を愛して友達になったように、多くの人を受け入れられる大きな器が必要だ。それと同時に、イエス様はあらゆる人と深い交わりを持とうとはされず、12人の弟子たちのグループを作り、その中で深い交わりを築いていった。イエス様は12人を選択し、3年間12人に集中した。これが弟子訓練だ。イエス様ですら、人としてこの世におられた時、大群衆と同時に親しくなるということはできなかった。私たちも、時間的、空間的制約があるので、本当に親しい交わりを持てる人数は限られている。その限られた人々との関係を大事にし、集中するのだ。では、特に誰を大事にして一緒に過ごすべきか?家族だ。ここでいう家族は二種類ある。肉による家族と信仰による家族だ。どちらがより大事か?マルコ3:33-35。どちらかというと、信仰による家族がより大事だ。イエス様がそうされたように、周りにいるクリスチャンを大事にし、祈り合い、助け合い、支え合い、互いの向上に努める。ヨハネ13:34-35。これはクリスチャン同士で愛し合うということだ。これは一見するとあまりに内向きすぎて、こんなんじゃ大宣教命令を遂行できないのではないかと思うかもしれない。しかし、イエス様はむしろ互いに愛し合うことで大宣教命令を成就できると言っておられる。教会で互いに愛し合っているなら、ノンクリスチャンがそれを見て、私たちの内にキリストを見出すということ。それで仲間に加わりたいと思う。
それでは、肉による家族をどのように大切にするのか。全員信仰による家族に変えてしまうことによってだ。肉による家族が信仰による家族でもあれば、どちらを大事にすればいいのかという葛藤は生まれない。そして、肉による家族に対してできる最高のことが彼らを救いに導くということだ。福音を伝えて天国に行けるようにするということだ。
これについては約束がある。使徒16:31。この御言葉を信じ、家族が全員必ず救われると信じて福音の種を蒔くならば、絶対に収穫できる。自分の家族がどんなに頑なだったとしても、どんなに悪い人だったとしても関係ない。御言葉の約束は家族がどういう人かということに限定していない。家族の頑なさよりも御言葉の力の方がもっと強い。祈るときには絶対に聞かれると確信して祈ってよい。Ⅰヨハネ5:14-15。御心ならば、と祈らなくてよい。もう御心なのは確実だから。毎日宣言しよう。私の家族は全員救われる!
選択して集中する上では、カットするということも必要になる。そもそも仕事が忙しすぎて、家族を大事にできないということであれば、転職を考えなければならない。また、この人と会うといつも罪の誘惑に遭う、信仰を奪われてしまうという人がいれば、距離を置く必要がある。家族を愛して一緒に時間を過ごすことを選択して集中する者になろう。アーメン。

第三に、御言葉を選択して集中する。マタイ13:22-23。良い土地に落ちたら30倍、60倍、100倍の実を結ばせる。それを妨げるものとして、茨が御言葉を覆い塞ぐ。茨とは、御言葉以外の情報をさす。私たちは生きている限り、常に様々な情報にさらされている。インターネット、テレビ、会社や学校、友人からの情報などだ。それらを全部シャットアウトすることはできない。しかし、茨になってしまうまで成長することを防ぐことは可能だ。神様の御言葉を聞く上で、いつも妨げになっていることはないか。御言葉を開こうとすると、途端に代わりにしたくなることはないか?御言葉と衝突する私たちなりの経験、常識、知識が邪魔をしてしまっていることはないか?それらを取り除いていこう。習慣を少しずつ変えていくと良いだろう。朝、何をするか選択しよう。寝る前に、何をするか選択しよう。私たちは神の口から出る一つ一つの言葉によって生きる。それを悟っていれば、霊的に飢え渇きを感じるので、祈り、御言葉を求めてディボーションする。しかし、もしそのディボーションの代わりにしている余分な習慣があるなら、それがテレビを観ることであれ、ネットサーフィンをすることであれ、趣味活動であれ、仕事ぎりぎりまで寝ることであれ、それを御言葉に置き換えよう。少しずつやってみよう。肝心なのは、苦しい律法にしてしまうのではなく、収穫につながると悟って喜んですることだ。畑から茨を取り除くことを惜しむ農夫がいるだろうか?いない!実を結ぶのを邪魔しているのだから、躊躇なく取り除く。また、もし御言葉がはっきりと命じているのに、曖昧な態度をとってしまっていることが何か一つでもあれば、悔い改めて考えと行いを変えて御言葉に従う。その上で、御言葉に集中する。ヨシュア1:8。詩編1:1-3。ヨハネ15:7。主の御言葉を口ずさみ、思い巡らし、とどまる。これは聖書を開いた時だけにとどまらないだろう。聖書を閉じてからも、ディボーションした御言葉や普段から黙想している御言葉が思いの中に残っているはずだ。それらを思い巡らしながら一日を送る。移動中、食事中、仕事中に思い巡らす。ウェールズのリバイバルの火付け役として用いられたエヴァン・ロバーツは炭鉱夫だったが、ディボーションを愛した。あまりにもディボーションを愛するあまり、同僚にもディボーションをさせた。炭鉱の入口に立って、今日黙想する御言葉はこれだとして御言葉を授け、仕事が終わった後には「今日の御言葉からどんな悟りが与えられた?」と聞いて回った。
彼は26歳の若者で、神学校も卒業していなかったが、聖霊様の力に満たされて、悔い改めと聖霊充満についての単純な真理を説くと、皆が救われて1年に満たないうちに10万人が回心した。これが、ディボーションの結ぶ実の最たるものだ。そして、誰にもでもできるし、あなたにもできる。

第四に、感謝することを選択して集中する。Ⅰテサロニケ5:18。どんなことにも感謝しなさいと命じられている。これはどんなことにも感謝できるからだ。どんな悪いことに見えても、益となる点を見出すことができる。逆に、どんなに良いことについても、不平不満をつぶやく種とすることもできる。たいていは、嫉妬の罪が根底にある。貴く用いられても、他の人がもっと用いられたら嫉妬して不平不満を言う。おいしい食事を食べても、他の人がもっとおいしそうなものを食べていたら不平不満を言う。美人なのに、美人コンテストに優勝していないからとして自分の外見に不平不満を言う。大金持ちなのに、長者番付で一位ではないからとして不平不満を言う。奇跡を体験したのに、なかなか奇跡が起きなくなったと不平不満を言う。牧師に愛されているのに、新しく来た人に牧師が関心を持っていると嫉妬して教会に来なくなる。こういう人たちは、本当は恵まれている。本当は感謝すべきことが山ほどある。その不平不満はただの罪だ。でも、考えてみれば、こんなことに不平不満を抱くのは子供のようではないか?自分も受けているのに、他の兄弟がもっと良くしてもらっているのを見ると「弟だけ多めにもらえてズルい」「お兄ちゃんだけ立派なプレゼントをもらえてズルい」。大人になっても、多くの人が大人になりきれずに子供のころと同じような不平不満を抱えてしまっているのだ。どうしたらこんな不平不満を打破できるようになるだろうか?まず、自分が本当に愛されているのだと知ること。神はその独り子をお与えになったようにあなたを愛された。そして、自分が受けてばかりでなく、与える側に回ると、感謝をすることを知ることができる。
私たちには、選択ができる。どんなことについても、感謝をするという選択ができる。そして、感謝を欠かさない人に、神様は惜しみなく祝福したいと願われる。マーリン・キャロザーズというチャプレンがいた。彼は戦争に従軍していたチャプレンだが任地で癒しや奇跡に用いられた。マーリン・キャロザーズのカウンセリングはワンパターンでありながら的確だ。離婚の危機についても、経済的危機についても、病気についても、何についても、同じくアドバイスしかしない。「そのことを感謝しなさい」最初は馬鹿馬鹿しいと思うが、実際にそうすると、奇跡が起こる。あるいは、自分の心が変えられて、問題が問題でなくなる。感謝は何度してもまずいことはない。繰り返し、主がしてくださるあらゆることに感謝をささげよう。私たちはどんなことがあっても、感謝することを選択し、集中しよう。

地上の短い人生を全うするべく、選択と集中をしよう。御言葉があなたの内で働いて、聖霊様の導きによって喜んで、あなたは選択と集中をし、豊かに実を結ぶ濃密な時間を過ごすことができる。

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