神様への畏れをもって生きることは聖なる生活をする上で非常に重要な要素です。
知恵の書である箴言では、「主を畏れることは知恵の初め」と書かれています。
では、どうすれば神様を畏れて生きることができるのでしょうか。
神様を畏れて生きるためには
それは、その方の目が常に注がれていると意識することです。
私は神様の目が注がれているとわかるときは、神様を畏れることができます。
しかし、ひとたび神様の目が自分に注がれているという意識を失うと、神様への畏れもなくなってしまうことに気づきます。
その方の目は私たちが家で1人でいるときも、満員電車に乗っているときも、職場で仕事に没頭しているときも、大勢の人ごみの中をかきわけて歩くときも注がれています。
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