※奇跡レポートの記事を走り書きに移管しました。
D・L・ムーディー(1837-1899)は幼いころに父をなくし、貧しい家庭で母親1人の手に育てられました。小学校卒業程度の学力しかなく、英語の文法もしばしば間違えるほどでした。
全世界よりも貴い恵みの授与 (D・L・ムーディー)
靴屋のセールスマンをしているとき、クリスチャンのオーナーにイエス・キリストの福音を聞き、信じて受け入れます。それから、神様のために何かしたいということで、牧師に「日曜学校をやらせてほしい!」と頼みました。「15人集めることができたらやってみなさい」と許可がおりたので、ムーディーは街中の子供たちをかき集めて日曜学校をスタートしました。ムーディーの日曜学校はたちまち評判になり、それをきっかけにミニストリーが次第に大きくなりました。シカゴで教会を始め、伝道者としても大陸中を巡って大活躍しました。ムーディーは自分の働きの成果に満足しました。
ところが、あるとき、教会の3人の婦人から、「私たちはあなたが聖霊の力を得ることができるように祈っています」と言われました。ムーディーは不思議に思いました。「なぜ他の人のために祈らず、私のために祈るのですか。私はすでに聖霊の力を得ているのに、なお、私のために祈るのですか。」ムーディーはこの出来事を深く心にとめました。やがて、霊的な飢え渇きが激しくなり、そのままの霊性では満足できなくなりました。
ちょうどそのころ、1871年10月8日、シカゴ大火と呼ばれる大火事が起き、10万人が家を失い、250人の人命が失われました。ムーディーの飢え渇きはいよいよ激しくなりました。ある日のこと、ムーディーはニューヨークの街を歩いているとき、突然それを受けました。
「私はその日の出来事を言葉で表現できません。だから、私は今日までめったにそのことを人にはなしたことがありません。それを語ることはあまりにも神聖過ぎます。私はただ神が御自分を私に現してくださったというしかありません。そのとき、私はもう神の愛の圧迫を耐え切れないほど受けて、『どうぞ神様、私の上から御手を取り除いてください』とお願いせずにはいられませんでした。その後、私は普段どおり説教に行きました。その説明も以前と何ら変わったところはりませんでした。私は新しい真理を提供できたとは思いません。しかし、どういうわけか、数百の人が悔い改めるという状態でした。私は全世界を与えると言われても、以前の小さな恵みの状態に戻りたくありません。その体験の前の状態というのはゴミクズに過ぎないからです。」
そのあと、ムーディーはイギリスに行ってメッセージを語りました。神の御霊が1人1人の心を探っていることを感じました。大して祈って備えたわけでもないのに、なぜそのように感じたかわかりませんでした。説教の最後に、「クリスチャンになりたい人は立ち上がってください」と言うと数百人の聴衆全員が立ち上がりました。
ムーディーは驚きました。アメリカでもこれほど多くの人が信仰を決断することはなかったからです。多分この人たちは私が言ったことを理解していないのだろう、と考え、今度は「では、クリスチャンになりたい人は質問室に入ってください」と言うと、全員がぞろぞろ入っていき、席が足りないほどでした。ムーディーは、そんなはずはないと思い、「熱心に求めている人は立ち上がってください」というと今度も全員立ち上がりました。ムーディーはどうしたらいいかわからなくなり、「どうしてもクリスチャンになりたい人は明日また来て、教会の牧師を訪ねて下さい!!」と言いました。翌日はもっと大勢の求道者がつめかけ、隙間もないほどでした。
こうしてムーディーは聖霊の力によって生涯で100万人の救いに用いられました。
■出典 : ムーデー伝
著者 : パウロ・ムーデー
出版 : 生命の光社
■関連書籍 : 聖霊の力
著者 : D・L・ムーディー
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