神様のあたえる夢は信じがたいものばかり

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聖書には夢がたくさん出てきます。

聖書に登場する夢で、意味のないものは一つもありません。

ある夢は未来についての警告であり、またある夢は希望を与えるものだったりします(´∀`)

だから、私たちが見る夢、抱くビジョン、与えられる預言の言葉についても、よくよく心に留めている必要があります。

しかしながら、神様から与えられる夢を心に留めるのは簡単ではありません……ヾ(・ω・`;)ノなぜなら……

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神様のあたえる夢は理解しがたいものばかり

なぜなら、神様のあたえる夢は理解しがたい、信じがたいものばかりだからです。

ヨセフ、彼が年長の兄弟たちや両親たちに自分が家族の支配者となることを暗示する夢についてシェアしたとき、誰の目からも父親から甘やかされて思い上がっているようにしか映りませんでした(´ヮ`;)

預言者エリシャがサマリヤが敵に包囲されて大飢饉に見舞われていたときに「あすの今ごろには小麦や大麦が大安売りされる」と預言したとき、それを聞いた人は「天地がひっくり返ってもそんなことはあるまい」と完全に馬鹿にしました。

ファラオやネブカドネツァルが見た夢は神の人以外誰にも解釈ができないほど奇妙なものでした。

ペトロに与えられた汚れた動物の入ったかごの幻はユダヤ人の慣習からするとありえない非常識なものでした。

神様が与える夢はみんなそうなのです。

なぜでしょうか(・_・?)

神様は新しいことを行い、砂漠に道をしき、荒れ野に大河を流れさせる方だからです。

神様は新しいことを行うときに人間を用います。

しかし、人間にとっては新奇なことであり、なじみのないことであり、信じがたく理解しがたいことなので、残念ながら多くの人が神様が見せてくださったものを捨ててしまいます。

そうならないために、神様がありえないような夢を見せてくださったとき、いかにも実現しそうにない預言を聞かせてくださったとき、それを心に留めましょう。それは神様からの奇跡の世界への招待状かもしれないからです。

信仰を持ってその招待状を受けるなら、いつの日か約束の実現を見ることができます。

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