なぜ地獄や裁きについて語るのか?

福音&主題メッセージ
スポンサーリンク

なぜ地獄や裁きについて語るのか?

なぜ地獄や裁きについて語るのか?

YouTubeのチャンネル登録はこちらから!

【ノート】
なぜ地獄や裁きについて語るのか、たまに聞かれることがある。そういう話は聞きたくないと。私もあなたが聞いて喜ぶと思って話していない。目的はあなたを喜ばせるためではない。最近も別々の機会に何度か聞かれた。なぜ地獄や裁きについて語るのか?それは非常にシンプルな話。あなたが救われるため。救いの確信がある人はこういう質問をしない。救いの確信がある人にとって、地獄や裁きを語る理由は尋ねなくてもわかる。彼らは自分たちが地獄から救われたことを知っているので、地獄について警告することの重要性がわかるし、もう地獄から救われているので、地獄の話をされても嫌がらない。もう救われている。「なぜそんな話をするのか?そういう話はするな」というのは、救われていないか、救いについて曖昧な人だ。普通そういう人はもし何事もなければそのまま地獄に行くことになるおそれがある。そうならないためには、何かしらの警告が必要だ。その警告に聞く耳を傾けるなら、救いに対して飢え渇き、ついに霊的な新しい誕生を経験して地獄を避けることができる。私たちが最も耳を傾けなければならないことというのは、たいてい最も耳を傾けたくないことだ。

恐ろしいものには警告が必要だというのは誰でもわかる。警告すべき人が警告しなかったらとんでもないことになる。猛毒の薬品が入っている容器がある。その容器には警告の表示が貼ってある。「猛毒」とか「危険」とか「死んでしまう」とか書いてある。その薬品の持ち主が「この表示は脅しているように見えるし、人に喜ばれない」と言ってシールを剝がしたらどうなるか?その人の中ではすっきりするかもしれないが、その容器に接触する可能性のあるすべての人を危険にさらすことになる。そして、何かあったらその薬品の持ち主は管理責任を問われるだろう。

あるいはこの先に断崖絶壁があると知っている人がいる。誤ってそこから転落すれば死んでしまう。その人が見ている前である人が断崖絶壁に向かって走っていた。そのままの勢いで走ったら途中で止まれずに死んでしまう。危ない。しかし、そのことを知っている人が「彼に注意したら脅していると思われるかもしれないし、煩わしく思われるかもしれない。それよりはこのまま自由に走ってもらった方がいい」と思って注意しなかったらどうなるだろう。走っている人が死んでしまう!

あるいは自分の子供が交通量の多い道路を一人で左右を見ずに横断しようとしたり、台所の包丁を使って遊んだりしているとする。非常に危ない。ところが、もし親がそれを知っていながら「私の子供には自主性を持たせたい。注意したら嫌がられるかもしれないし、いじけてしまうといけない。だからそのままにしておこう」とするならどうなるだろうか?遅かれ早かれその人はわが子を失ってしまうだろう。

このように、危険を知っていながら、警告をしないのは愛がないこと、とんでもないことだ。多少嫌がられたとしても、何らかのアクションを取らなければならない。そして、地獄はたとえにあげたどのようなものよりもずっと恐ろしく、絶対に行ってはならない場所だ。地獄での苦しみはもっと大きく、永遠に続くからだ。

聖書で一番地獄や裁きについて話されたのは誰か?ダントツでイエス・キリストだ。イエス・キリストがなさる話のほとんどは天国についてと地獄についてだ。イエス・キリストは地獄について、裁きの日について、滅びについて直接的にもたとえ話の中で間接的にも何度も語られた。だから、もしイエス・キリストに倣って御言葉を語るなら、天国や救いについて語ると同時に、地獄や裁きや永遠の滅びについても語るのは当然だ。それを語るなというなら、その人は結局イエス・キリストに反対していることになる。

イエス・キリストが地獄について語られたのは、イエス・キリストが誰よりも地獄のことをよくご存知であり、誰も地獄に行ってほしくないからだ。もし人が地獄に落ちるなら、その人のため、イエス・キリストが死なれたことが無駄になってしまう。クリスチャンが伝道をする理由の一つも、その人が地獄に落ちてほしくないからだ。その伝道で地獄についてどの程度語るかは別としても。
私もそうだ。私が新しい誕生を体験したときはっきりと悟ったのは、「自分は当然に地獄に落ちるべき罪人だったのにイエス・キリストの十字架を通して救われた」ということだった。それまではよくわかっていなかった。罪、地獄、裁きというのは聖書を読んで頭では理解していたけども、啓示されてはいなかった。まだ光があてられていなかった。水のバプテスマを受けてからもしばらくはそうだった。新しい誕生を体験したときに初めてわかったのだ。

地獄について多くを語らなくても伝道はできるかもしれない。伝道にはいろいろな方法があるから。しかし、私が知る優れた伝道者の多くは地獄について語る。ジョナサン・エドワーズは「怒れる神の御手の中にある罪人」というメッセージをしてアメリカに最初の大覚醒運動を起こした。メソジストの創設者のジョン・ウェスレーも、リバイバリストのチャールズ・フィニーも地獄について語った。こういう有名な人々でなくても、私の個人的に知っている伝道者でも伝道が上手な人は地獄についてよく語る人。その人は「あなたが今死んだら地獄行きだよ」とストレートにいう。

信仰に全く無関心な人に対する最も効果的な伝道は最後の審判や火と硫黄の燃える池について語ることだ。そのことを語らない限り地獄に落ちるまで全く関心を持たないであろう人に、関心を持たせることができる。そして、そうやって信じた人は明確な回心をしやすい。福音を受け入れる順番は、まずは罪と地獄と裁きを知り、その次にイエス・キリストへの信仰が与えられて罪の赦しを体験し、神の愛を知るというものだ。人は忘れやすく、すぐに世のことに心をとらわれてしまうので、地獄について語り過ぎるということはない。その人が確かに救われるまでは語るべきだろう。

これからも天国や救いについて語るだけでなく、地獄や裁きについても語り続ける。もし聞きたくなければ、あなたにはチャンネル登録を解除して、もう二度とメッセージを聞かないという選択肢がある。そして、耳障りのよいことだけを語るメッセンジャーを見つけて、その人の話だけを聞くようにするのだ。そういう人のことについては、聖書にも書いてある。Ⅱテモテ4:3-4。それは真理に目を背けることであり、妥協であり、自分の永遠の運命を危険にさらすことになることだ。

地獄は存在する。地獄は恐ろしい場所だ。地獄に行ってはならない。罪を悔い改めて、あなたのために遣わされたイエス・キリストを信じて救われることをおすすめする。

【お問い合わせ】
聖書に興味を持たれた方はお気軽にご連絡ください\(^o^)/
池袋で教会と聖書勉強会の集まりを持っています。

Email : jesus.christ.is.the.lord19860804@gmail.com
※メールで問い合わせる場合は受信設定でこのメールアドレス許可してください。

Twitter : https://twitter.com/Shuzo_Koita

Line : http://line.me/ti/p/ICne2QGIuJ

Facebook : https://www.facebook.com/shuzo.koita

コメント

タイトルとURLをコピーしました