あなたは王です!

王、祭司、預言者
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【ノート】
イエス様はキリストだ。キリストとは油注がれた者という意味。旧約聖書では、油注ぎは神からの特別な使命を担う人々を任命するためになされた。その対象は主に王、祭司、預言者だ。イエス・キリストは、王、祭司、預言者すべてにあたる。イエス・キリストは王だ。東方の博士たちは「ユダヤ人の王としてお生まれになった方はどこにおられますか?」とイエス様のことを尋ねた。十字架の罪状書きは「ナザレのイエス ユダヤ人の王」だ。黙示録を読むと、イエス・キリストのことを王の王、主の主と書いている。大勢王がいる中でもイエス・キリストはさらに彼らの王なのだ。
では、新しい世界において王の王であるイエス様のもとにいる王たちとは誰にあたるのか?日本の天皇や、イギリスやスペインやタイといった国の国王たちか?いや、そうではない。それは世の国の王たちであって、イエス・キリストの王国での王たちとは別だ。キリストの王国での王たち、それは私たちだ。私たちは王だ。ペトロ第一2:9。さらに黙示録1:6。これらの御言葉を読むなら、私たちは将来、王になるのではなく、すでに王とされていることがわかる。いや、でも王なら、いつ王座につくことがあるか?いま着いている!エフェソ2:4-6。私たちはすでに天の王座についている。キリストと結ばれている者は、キリストの死、復活だけでなく、天での栄光も共有する。

王であるということは非常に誉れあることだ。重要人物だ。だから、クリスチャンは決して「自分なんて大した者ではない」などと一瞬でも思ってはならない。それは悪魔の嘘であり、神の御言葉を否定することだ。クリスチャンは王としての性質を備えている。お金がないように見えて、天のあらゆる霊的な祝福によって常に満たされ、満ち溢れている。質素な服装をしていても、義の衣を身にまとっている。教養がないように見えて、天の国の帝王学を学んだ学者である。目立たないように見えて、地の塩、世の光として影響力を発揮する。無防備なように見えて、天使たちがSPとして守っている。力がないように見えて、天と地の一切の権能を授かっているイエス様から権能を与えられている。いまはイエス様の茨の冠のように、苦しみが冠として与えられるばかりかもしれないが、行く行くは御国における栄冠を受けることを希望とする。
すばらしい特権の数々だ。しかし、浮かれてばかりいてはならない。王座には大きな責任が伴う。特権が大きければ責任も大きい。特権が与えられていれば、自動的に立派な王ということになるわけではない。特権に応じた責任を果たす王が立派な王だ。
私たちは王としてどのような責任が果たすべきなのか?王たる者の心得を御言葉から学ぼう。
第一に、王たる者は主だけを礼拝する。特権を与えてくださった王の王、主の主に従うことが、特に御国の王として最も重要なことだ。イスラエルに立てられた王たちが列王記でどのように書かれているのか。王たちは良い王と悪い王に分けられる。悪い王の基準はイスラエルが南北に分裂した後、北イスラエル王国に最初に立った王のヤロブアムだ。どの悪い王もヤロブアムの罪を犯したということが書かれている。ヤロブアムの犯した罪は金の子牛を造ってベテルとダンに置き、拝ませたことだ。つまり、偶像崇拝の罪だ。それはシナイ山でイスラエルが金の子牛を造った罪の再現だ。そのほかにも天の万象を拝んだり、バアルとアシェラなど、ほかの国々の神々の像を導入して拝ませたりしたのが悪い王たちの罪だ。良い王の基準はダビデだ。ダビデも罪を数多く犯した人だ。自分の忠実な部下のウリヤの妻と不倫した上でウリヤを殺したり、イスラエルの人数を数えたりした。しかし、ダビデはそれでも神の御心に適った者だと主から言われている。
ダビデは優れた統治者となるための秘訣を遺言として書いている。サムエル上23:2-4。クリスチャンの権威は主を畏れ、主に聞き従うことによって与えられ、保たれる。

第二に、王たる者は品位を保つ。品位というのは、気高さ、人徳、品格が備わっていて、尊敬に値する様。私たちは王たちが暴言や下品な言葉を吐いたり、わがままを言ったり、否定的な感情をあらわにしたりすることを滅多に見ない。天皇がそういう態度をとったところを見たことがあるか?ないだろう。王も王室の人々も、内心はどうであれ、非常に洗練された言葉を語り、文化を持ち、常に品位を保っている。軽率なことはしない。王たるものにふさわしくない言動をとらない。それは王たる身分の何たるかをよく心得、日ごろから訓練してできることだ。それは御国の王たちも同じこと。私たちも王たる身分であることをよく心得、自分自身を訓練しなければならない。品位を保たなければならないということは、繰り返し言われている。教会の中で誰か人を指導者や奉仕者に立てる場合、全員に対して強調されているのが品位だ。教会のトップレベルの指導者の役職として「監督」という役職がある。Ⅰテモテ3:4。監督は品位を保たなければならない。奉仕者はどうか?Ⅰテモテ3:8。奉仕者も品位を保たなければならない。男性と女性に違いはあるのか?Ⅰテモテ3:11。女性の指導者、奉仕者も同じように品位を保たなければならない。そして、すべてのクリスチャンが品位を保たなければならない。ローマ13:13-14。品位は外側だけをそれらしく取り繕って身に着けるものではなく、心を清め、キリストの性質を身に着けるによって身に着く。

第三に、王たる者は節制する。王は支配者、つまりコントロールするもの。王がまず支配するのは自分自身だ。セルフコントロールから始める。律法書には、王についての規定がある。これは私たちのための規定だ。申命記17:15。主が選ばれる者というのは、天地創造の前から選ばれているクリスチャンをさす。信仰がなく、クリスチャンではない者をクリスチャンとして扱ったり、教会の指導者にしたりしてはならないということ。申命記17:16。まずは、馬を増やすな。その主要な理由はエジプトと関わってはならないからだ。エジプトは世をさす。このことから私たちは、世も世にあるものも愛してはならない、深く関わってはならない、世のこと全般について節制する必要があるということがわかる。申命記17:17。これは性欲や金銭欲を節制しなければならないということ。全然持ってはならないということではない。配偶者は一人持つのは良いし、金銭も大量でなければ貯金しても良い。では、どうすればこういう規定を守ることができるのか?それは御言葉を繰り返し読み続け、主を畏れることを学ぶことで可能だ。申命記17:18-20。この御言葉の通りにすれば安全だが、この通りにしなかった人が王国を凋落させてしまうことは歴史が証明している。ソロモン王はダビデから王座を譲り受け、栄華を極めたが、これらの規定を全部破った。馬をエジプトから輸入したし、大勢の妻をめとったし、銀や金を大量に取得した。それで、ソロモンの次の代に王国が分裂してしまった。私たちはそういう失敗をせず、王たる者にふさわしく節制する者となろう。

第四に、王たる者は愛の支配を広げる。王の王であるイエス・キリストは御自分の支配の領域に満足しておられなかったし、今も満足しておられない。イエス・キリストは世界征服を望んでおられる。すべての民を御自分のものにすることを望んでおられる。マタイ28:19-20。私たちの王としての特権はこのためにこそ、与えられている。世の王が支配領域を広げようとすれば、基本的には軍事力によるしかない。力でゴリ押しする。イエス・キリストのやり方は違う。イエス・キリストが命じられた方法は愛による征服であり、それは主に伝道と奉仕によって行われる。
つまり、イエス・キリストの福音を言葉と力によって伝えることと人々に仕えることだ。マタイ20:25-28。イエス・キリストがそうなさったように、仕えて仕えて仕えまくることによってイエス・キリストの愛を示して人々を勝ち取る。ヨシュア記13:1。まだまだイエス・キリストの支配が及んでいない人々、領域はたくさんある。日本についていえば99%がそうだ。私たちは王として、キリストの下に天下統一することを目指していこう。王の王が私たちと共にいて勝利を与えてくださる。そして、来るべき新しい世界では名実共に統治者となる。
黙示録2:26-27。あなたは王です。王たる者としての特権と責任を担って、キリストと共に勝利を得る者となろう。

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