新しい地を勝ち取る

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新しい人は神の計画に用いられます。

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【ノート】
2021年が始まった!新しい年!神はすばらしい場所、すばらしい未来に私たちを召しておられるに違いない。神の計画はいつもすばらしい!ローマ8:28。神はこの年に私たちに勝ち取らせたい土地を用意しておられ、そこに私たちを召しておられる。イザヤ54:2。それは私たちの信仰の成長であり、内なる人の成熟であり、賜物が増し加わることであり、祈りの答えをつかむことであり、人々が救われていくことであり、霊的、経済的、社会的に新しい領域を勝ち取っていくことだ。それは神の教会に対する召しであると同時に、個々人に対する召しでもある。私たちの中で無関係な人は誰もいない。

あなたは神の召しに応えて、神がお与えになる未来を手に入れたいか?きっと勝ち取りたいと思う。では、私たちが何もせずにぼーとしていても、神のすばらしい計画を2021年に実現し、神が与えようとしておられる地を勝ち取ることができるのか?そうではない。そこには戦いがある。私たちは信仰によって戦いに勝って、祝福を勝ち取る。イスラエルを見ればわかる。イスラエルの歴史はすべて私たちクリスチャンへの教訓だ。ローマ15:4。かつて書かれたこと、旧約聖書!旧約聖書でのイスラエルの歩みは私たちに教訓を与える。イスラエルの歩みから神の計画を実現するすべを見ることができる。

神が新しい地を与えるという実現については、イスラエルの約束の地カナンの征服についてみればわかる。カナンの地を与えるという約束は、信仰の父と呼ばれ、最初に名指しで神様から召された人であるアブラハムに与えられた。それから400年後、神はモーセを通してアブラハムの子孫であるイスラエルをエジプトでの奴隷状態から解放し、いよいよ約束の地に導くことにされた。この約束の地について、聖書では何と書いてあるか?申命記11:9-12。まず、主が与える誓われた土地だ。ということは信仰さえあれば確実に手に入れることができる。次に乳と蜜が流れる土地だ。乳と蜜とは何か?乳は家畜からとれるので、それだけ家畜を育てる牧草が豊かにある。蜜はみつばちか、ナツメヤシの実を意味する。いずれにせよナイル川周辺しか農業ができないエジプトと比べて豊穣の土地だったに違いない。そして、野菜畑に水をやらなくても、雨で潤う。あまり手入れしなくて良い土地。なぜなら、主の目が常に注がれているからだ。その特徴は豊かであること、主の統治がある主の御国だということだ。この地を、神はイスラエルに与えたかった。私たちにとって約束の地を勝ち取ることは、2021年に主が私たちを統治し、私たちに与えたいものをすべて手に入れた最高の未来。私たちの人生全体でいえば、神からの召命を全うし、この地に御国を実現することだ。

では、どうしたらこの約束の地を勝ち取ることができるのか?約束の地を勝ち取るためには、約束の地まで行く必要がある。エジプトから約束の地のカナンまでどのくらいの距離があったのか?約400km。ゆっくり進んでも1ヶ月くらいで到達できる。では、イスラエルはどのくらいかけて約束の地に行ったのか?40年だ。しかも、エジプトを出た成人男性の中で約束の地に入れたのは何人か?ヨシュアとカレブのたったの二人!民数記でエジプトを出た直後のイスラエルの民の成人男性の数がカウントされている。約60万人。約束の地に入れた割合は30万分の一!え!?そんな少ない人数に入れるのか?これはいったいどういうことなのか?心配しないで。ヒントは出エジプト13:17-18。イスラエルが進むルートを決められたのは主なる神だ。神は近道ではなくあえて荒れ野を遠回りされることを選ばれた。それは、イスラエルが戦わねばならぬことを知って公開し、エジプトに帰ろうとするかもしれないと思ったから。ここから何がわかるのか?
イスラエルは備えられていなかったので、約束の地をすぐに手に入れることができなかった。私たちが備えられていないと、神は私たちを祝福したくても祝福することができない。約束の地に入るのに長い年月がかかってしまう!逆に、もし私たちが備えられていさえすれば、私たちは一か月足らずでも約束の地に入ることができる。さっそく今月1月から神が与えようとしておられるすばらしい計画を次々と体験していくことができる。私たちはいままでが嘘のように超高速スピードで祝福を体験できる。備えられてさえいればいい。

「でも、約束の地に入る30万分の一になるのは難しいのではないか?」これは、クリスチャンのうちの30万分の一しか約束の地にあたる域に達することができないということではない。イスラエルの民は、何かちょっとした試練にぶつかると、出エジプトしたことを後悔してエジプトに帰ろうとした。エジプトとは何か?悪魔に支配された世だ。クリスチャンにとっての出エジプトはイエス・キリストを信じて罪の奴隷から解放されて世に属さなくなることを意味する。紅海をわたることは水のバプテスマだ。しかし、クリスチャンは救われても、古い性質が残っていることがある。聖書では古い人と書いてある。そういうクリスチャンは水のバプテスマを受けた後でも、「世に属する者に戻りたい!世の楽しみを味わいたい!」と思うことがある。クリスチャンが神のすばらしい計画を体験するためには、古い人を脱ぎ捨て、新しい人を着なければならない。古い肉的な性質がキリストと共に十字架につけられて死んで、キリストの復活の新しい命に生きるようにならなければならない。エフェソ4:22-24。これはクリスチャンに対する内容。私たちは完全に古い人を脱ぎ捨て、新しい人として生きているだろうか?イスラエルについていえば、出エジプトしたばかりのとき、新しい人となっている割合が30万分の1しかなかった!それで40年間の荒れ野での生活の中で、古い人はみんな死んだ。申命記2:14-15。荒れ野で古い人がみんな死んだ。荒れ野とは、神への従順の訓練を受ける場所だ。荒れ野で私たちの古い人が完全に死に、新しい人に入れ替わる。そして新しくなったイスラエルは全員約束の地に入ることができた!100%!古い人は神の約束の実現を見ることが絶対にできないが、新しい人になると神の約束の実現に確実に預かることができる。約束の地に入った後は、ほとんど破竹の勢いで勝ち続けて、あっという間にすべて占領することができた。もちろん、約束の地の占領についても何の問題もなかったわけではない。アカンという一部の人の不従順があったし、ギブオン人の計略に陥ったこともあった。また、すべての地を占領しないまま、戦いをやめてしまった。そういう詰めの甘さを見ることができる。しかし、約束の地を勝ち取る上で最も大きな難関は約束の地に入るにふさわしく整えられることだ。

では、私たちが脱ぎ捨てなければならない古い人にはどのような性質があり、新しい人にはどのような性質があって、どうすれば新しい人になれるのか?大前提として私たちを荒れ野で変えてくださるのは主であり、私たちには主に協力することが必要。ローマ12:2。これを踏まえた上で特に私たちの何を変えていただく必要があるかを見よう。

第一に、心の栄養が変えられる。イスラエルはエジプトで食べていたものが忘れられなかった。民数記11:4-5。もし私たちが世のもので自分を養おうとするなら、古い人が強くなってしまう。肉やにんにくが食べちゃだめというわけではない。世的な価値観を心に植えつけるものと距離を置くことが必要。どうしても入ってきてしまう情報については心にフィルターをかけて影響を受けないようにする。では、その代わりに何を心の栄養とするのか?申命記8:3。マナだ!
イスラエルの新しい人たちの特徴はマナしか食べたことがない!エジプトの食べ物の味を知らないこと!マナは主の御言葉をさしている。主の御言葉は深く味わうなら蜜のように甘いもので、私たちの心を喜ばす。主の約束の御言葉が私たちの心を占めるようになる。世のものを欲しくなくなるくらい、主の御言葉を深く味わうなら、古い人が死んで、新しい人が生きるようになる。

第二に、アイデンティティーが変えられる。イスラエルの古い人は奴隷としてのアイデンティティーが抜けなかった。自分はいつも弱い者、虐げられる者、支配される者というふうに思い込んでいた。それで、世との戦いに直面するときに怖気づいてしまうのだ。カデシュ・バルネアという場所でイスラエルはカナンの地に偵察隊を送った。偵察隊は12人でそのうちの2人がヨシュアとカレブだった。ヨシュアとカレブ以外の10人の偵察隊は古い人たちだった。彼らは自分たちのことを何と言ったか?民数記13:32-33。いなご!古い人のアイデンティティーは奴隷、いなご、いつも踏みにじられ、戦う前から敗北する者。では、新しい人のヨシュアとカレブはなんといったか?民数記14:9。逆に敵が我々の餌食だと言った。ヨシュアとカレブだけが十人の偵察隊よりも特別強かったわけではない。ヨシュアとカレブは自分たちの実力ではなく、主が共におられる特別な神の民としてのアイデンティティーに基づいて語った。主は敵よりも強い。クリスチャンはアイデンティティーが清められる必要がある。罪の奴隷、敗北者、いなご、そういうものは過去のものだ。いまは神の子、神に愛されている者、聖なる者、圧倒的な勝利者、王の系統を引く祭司だ。正しいアイデンティティーを持つとき、新しい地を勝ち取ることができる。

第三に、言葉が変えられる。イスラエルの古い人たちの特徴は不平を口にすることだ。民数記14:1-2。私たちはどこで何を語るにせよ、独り言であれ何であれ、語る言葉に気を付けなければならない。古い人が顔を出すことがあってはならない。新しい人は御言葉を信じている。新しい人は御言葉に基づいて言葉を語る。それでヨシュアとカレブは必ず勝てると断言することができた。ほかの人の信仰を励ます言葉を勝てることができた。新しい人が特にどんな語る言葉を語るかについて、エフェソ4:29。

2021年、主によって完全に新しくされて、主が与えようとしておられるものをすべていただくことができる年としよう。そして、私たちの人生での神の召命を完全に全うする者となろう。

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