「神は短気を起こして人類を裁く暴君だ」と間違った神観を持つ人がけっこういます。それはサタンの嘘です┐(´-`)┌
神は誰よりも忍耐強いお方です!\(^o^)/
神の忍耐
【原稿】
聖書を読むとき、神が短気を起こして、性急に人々を裁こうとしておられるかのように誤解することがある。それはサタンによって与えられた間違った神観である。最初の誘惑のとき、サタンは善悪の知識の木の実は非常によいものなのに、神は私たちをだましてその善い物を与えようとしない意地悪なやつだと神を中傷した。サタンは常に私たちに間違った神観を植え付け、神が短気で意地悪な暴君であるかのように信じさせようとする。
神は実際には忍耐強いお方だ。聖書には主が自己紹介をされる箇所がある。そこで主は御自分をどのような方であると言われたか。出エジプト34:6-7。これが正しい神観である。主は憐れみ深く、恵みに富み、忍耐強く、慈しみとまことに満ちておられる!確かに罰すべき者を罰せずにはおかず、罪を三代四代まで追及なさる。しかし、慈しみは幾千代だ!神は愛である。Ⅰヨハネ4:8。そして愛の特徴は何か。Ⅰコリント13:4-7。愛は忍耐強いから始まっている。愛である神は忍耐強いお方だ!もちろん神は悪をそのままにはなさらない。神は正義をなさるお方だから、最終的には罪を罪として裁かれる。しかし、裁きを降す前まで神は最大限忍耐される。注意深く聖書を読むなら、神がいかに忍耐強いお方かを見ることができる。そしてどの裁きについても、裁きを逃れて救われた人がいる。それはアブラハムが告白した通りだ。創世記18:25。神は信仰者を区別して裁きから救ってくださる。
ノアの洪水のとき、神は忍耐された。神はノアの家族以外を洪水で一層された。神は決して気まぐれに洪水を起こされたわけではない。人類が手の施しようがないくらい堕落しきり、最早裁きを先延ばしにはできないというところまで忍耐された。創世記6:5,12。神は洪水を起こすまでどのくらい忍耐されたのか?創世記5章には系図が出てくる。そこには10人の名前が出てくる。洪水前人間の寿命は長かったので、どの人もかなり長生きしているが、一番長生きしたのは誰か?メトシェラだ!創世記5:27。969歳。では洪水はメトシェラが何歳のときに起きたのか?ノアが600歳のときに洪水が起きている。そこで計算すると、メトシェラが969歳で死んだ歳に洪水は起きた。メトシェラというのは槍の将軍という意味だ。古代の戦場では、将軍が死ぬとその他の兵が生き残っていても、その軍隊全体の敗北が決まる。槍の将軍であるメトシェラは、人類を洪水で裁く引き金として神に用いられた。そのメトシェラが一番長生きした。ここに神の御心がある。神は洪水の引き金となるメトシェラを最も長生きさせることで最大限忍耐された。969年も人類に悔い改めの猶予を与え、忍耐強く待ったのだ。その間人々はエノクやノアの家族を通して神の裁きについて警告を受けることができたが、すべてを無視してしまった。洪水によって滅びた。神はメトシェラが死ぬまで待った!そして神を信じるノアの家族は助かった。
カナンの7つの部族を滅ぼすとき、神は忍耐された。ヨシュア記にはヨシュア率いるイスラエルの民がカナンの先住民を滅ぼして征服することが書かれている。ヨシュア記を読んで「先住民を虐殺するなんて残酷だ!」と思い、つまずいてしまう人がいる。神がカナンの地に7つの部族を滅ぼすことを良しとされたのは、7つの部族の罪を裁くためだ。その罪に対する裁きを降すまでどれだけ待ったのか?創世記15:13-16。アモリ人というのはカナンの地の7つの部族を代表して書かれている。神は400年後にアモリ人の罪が極みに達するまで、裁きを控えられた。彼らはどのような罪を犯していたのか?偶像崇拝がさかんに行われていたことは言うまでもないが、そのほかにもひどい罪がさかんに行われていた。
レビ18:21-24。自分の子供を殺して偶像の神の生け贄にする、同性同士での性的関係、さらには動物との性的関係が行われていた。そこで神はアブラハムの時から400年忍耐された後、イスラエルを通して裁きを降したのだ。その際にも全員に裁きが降ったわけではなく遊女ラハブは助かった。信仰があったからだ。ヘブライ11:31。
そして神の忍耐はイエス・キリストにも見られる。神であられるイエス・キリストは忍耐の模範だ。イエス様の弟子たちは忍耐しなかった。群衆がイエス様のことをおかまいなしに押し寄せてくると、弟子たちは忍耐できずに投げ出そうとしたが、イエス様は最後まで忍耐強く面倒を見られた。サマリア人の村がイエス様を受け入れなかったとき、弟子たちは「主よ、天から火を降らせて彼らを滅ぼしましょうか」と言ったが、イエス様はそれを戒めた。そのときイエス様が火を降らせていたらそのあとのサマリアでのリバイバルはなかった!フィリポの宣教を通して大勢の人が救われた。使徒ヨハネは後でそれを見に行ったが、その時彼は「ああ、あのとき火を降らせないで良かった!」と思っただろう。ヨハネは滅ぼす火の代わりに聖霊の火をサマリアに降らせるうえで用いられた。イエス様は御自分を信じない人々にも忍耐し、救いに至るまで待たれた。そして、十字架の苦しみを耐え忍ばれたことこそがイエス様の忍耐を最もよく表わしている。それでは、人間相手ではどうか。イエス様は誰について最も忍耐されたか?イエス様が最も忍耐された相手は、全然忍耐しようとせず、ずっと一緒にいるのに少しも悟ろうとせず、「だれが一番偉いのか?」という議論ばかりしている弟子たちだ!イエス様は弟子たちのためにずっと忍耐しておられた。イエス様はなかなか成長しようとしない弟子たちと共に忍耐強くいてくださった。では、イエス様はいつまで弟子たちのために忍耐しておられたのか?マタイ28:20。イエス様は世の終わりまで弟子たちと共にいると約束しておられる!これは私たちへの約束でもある!イエス様は私たちがなかなか成長しないようにみえるときも、忍耐強く共にいてくださる。世の終わりまでずっと共にいてくださる。
イエス様が世の終わりまで、と言われたように神が裁きをくださずに忍耐するのは世の終わりまでだ。Ⅱペトロ3:8-9。キリストが再臨するとき、いまの世界は終わり、すべての人は裁きの座に立たされることになる。キリストはすぐに再臨すると思われていた。そこで、ある人たちは自分たちの感覚で「遅い!キリストが再臨するという神の約束はどうなったのか?」という。人間の感覚では遅いかもしれない。しかし、神の感覚では一日は千年であり、千年は一日だ。キリストが昇天されてからまだ二日くらいしかたっていない!決して遅くはないのだ。それでも自己中心な人はどうしてこんなに遅いのかと疑問を持つかもしれない。そこで、ペトロは先回りして答えた。神の御心は約束の実現を遅らせることではなく、一人も滅びないで皆が悔い改めるように忍耐することだ!神は一人たりとも滅びることを望んではおられない!だから、悔い改める時間を与えて忍耐しておられる!神はすでに2千年間も世界に悔い改めの機会を与えて忍耐してきた。
私たち個人個人に対しても、神は忍耐してこられた。私たちが罪を悔い改めて、イエス・キリストを信じて救われるその日まで、神は何年も私たちのために忍耐してこられた。Ⅱペトロ3:15。神の忍耐深さのお陰で私たちは救われたのだ。そして救われたあともイエス様はずっと忍耐強く共にいてくださる!ハレルヤ!忍耐強い主を賛美しよう!
このように神の忍耐によって救われ、日々を歩んでいるのだから、私たちも忍耐強い者となろう。神の約束の実現に対して、兄弟姉妹に対して、救われていない人々に対して忍耐しよう。忍耐はどこから得られるのか?忍耐は聖書を通して神からいただくことができる。ローマ15:4-6。聖書全体が私たちに忍耐を教えてくれる教材なのだ。そして、聖書の中でも特に忍耐の模範であるイエス様を見つめることが重要だ。ヘブライ12:2-3。私たちがイエス様に倣って忍耐することで、神の忍耐の時を終わらせられるように励もう。再臨についての御言葉によって示されているように、神はすべての人が悔い改めることを望んでおられる。神の御心を心とし、福音を伝え、大宣教命令を成就しよう。そうすれば、キリストが再臨され、世界に終わりが来る。マタイ24:14。この時の実現に向けて忍耐強く励む私たちになろう!
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