ヤハウェ・ラファ

神の麗しい御名と称号
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神は私たちを癒す主です。命をもたらす木によって、苦々しい世の水を命をもたらす甘い水に変えてくださいます。

ヤハウェ・ラファ

ヤハウェ・ラファ

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【ノート】
新旧約聖書で、神は多くの御名によって御自身を現された。それらの御名の一つ一つには神の偉大な性質が込められている。私たちは御名にこそ希望を置く。詩編52:11。御名を知れば知るほど、私たちの希望はより大きくなる。主なる神の個人名であり、神の自存性を示すヤハウェとの合成語の御名として、最初に示されたのはヤハウェ・イルエ。神が自ら罪の贖いの生け贄を備えてくださることを示した。2番目の合成語の御名はヤハウェ・ラファだ。ヤハウェ・ラファという御名はイスラエルが出エジプトした直後に示された。紅海が真っ二つにわかれてイスラエルは乾いたところを通り、同じように通ろうとしたエジプト軍は海に飲み込まれて壊滅した。そこで、イスラエルは主が与えられた勝利を喜び歌い、意気揚々としてシュルの荒れ野を歩いていた。出エジプト15:22-26。「いやす主」がヤハウェ・ラファだ。ラファは、いやし、回復、医者という意味がある。イスラエルがヤハウェ・ラファという御名を啓示された出来事を通して、神の偉大な性質を2つ知ることができる。

第一に、ヤハウェ・ラファは苦い水を甘い水に変えてくださる。意気揚々と歩き始めたイスラエルだったが、荒れ野を三日間歩くと、のどの渇きが限界に達した。人間は三日間のまないだけで死んでしまうはかない存在なのだ。渇きというのは人間の欲求の中で最も強いもので、これが満たされないことには大きな苦痛を伴う。もう三日前のエジプトに対する大勝利のことはすっかり忘れてしまい、いまの渇きの苦しみだけがすべてになった。そこに、もうこれ以上は耐えられないというところで、オアシスを発見した。イスラエルは歓喜してオアシスに近づいた。ところが、水は苦くて飲むことができないものだった。飲めない水は自分たちをあざ笑っているかのようだった。マラの水は世が与える苦々しさをさしている。一見すれば命を与えるようだが、実際には苦しみと死しか与えない。渇きはいやされず、満たされない。そこで民はモーセに向かって「何を飲めばよいのか」と不平を言った。モーセは何をすればいいか知っていた。モーセは主に向かって叫んだ。主に向かって叫べば解決は与えられる。イスラエルが荒れ野で生きるために必要なものはすべて、主に向かって叫ぶことによって与えられた。飲み水だけでなく、食べるものは天からマナとうずらが与えられ、着るものは古びないように40年間守られ、進むべき道は雲の柱と火の柱が導いた。神の民は、人生のすべての事柄について、偶然、神と関係なしに獲得してはならない。主に向かって叫び、主に祈り求める中で獲得しなければならない。人生のすべてのことについて、主により頼むのだ。問題にぶつかっているか?不足があるだろうか?主に向かって叫ぼう!主はモーセに一本の木を示された。その木はすぐ近くにあった。その木を水に投げ込むと苦かった水は甘くなった。そのすぐ近くにあった木は十字架を暗示している。私たちは解決を得るために遠くまで行く必要はない。私たちが求めさえすれば、神の解決である十字架は目の前に示される。ガラテヤ3:1。主イエス・キリストの十字架が私たちの心にもたらされるとき、私たちの内にある苦い罪と死の水たまりは甘いものに変えられる。十字架にはすべてを逆転する力がある。世がもたらす苦しみと死の水たまりすら、十字架は甘みと命を与えるものに変える。渇きはいやされる。ヨハネ7:37-38。十字架の川は私たちの心から外にまで流れ出て、苦々しい世にまで影響を与える。私たちの心に与えられる命をもたらす木と命の水の川は、やがては私たちの永遠の住処でも見られるものだ。黙示録22:2。私たちは値なしに木と水による恵みをいただくことができる。

第二に、ヤハウェ・ラファは罪による病気を癒す医者だ。イスラエルは神が十の災いによってエジプトを打つことを目撃した。そこには、疫病の災いが含まれていた。もし、イスラエルがヤハウェ・ラファに聞き従うなら、エジプトに下した病気から守られる。健康が守られていることは、神からの保護によるものであることを覚えて神に感謝しよう。しかし、もし聞き従わないなら、イスラエルとエジプトを区別するものはない。イスラエルに対する保護は取り去られ、背きの罪の罰として病気がもたらされる。実際にイスラエルは何度も打たれた。
不平不満の罪によって病気になることがある。荒れ野で「肉が食べたい!」と大声で不満を言った人々は主から与えられたうずらの肉をむさぼっている間に疫病で打たれて死んだ。モーセとアロンに反逆したコラたちが神に打たれて死んだことに不満を言った人々は疫病で打たれて1万4千700人が死んだ。高慢の罪によって病気になる人々がいる。ミリアムは神が選んだモーセのリーダーシップに対していちゃもんをつけて自分もモーセと同格に扱われるべきだと思い上がったので皮膚病にかかった。思い上がって人口調査をしたダビデの罪によってイスラエルは疫病で打たれた。南ユダの王ウリヤは思い上がって祭司にしかゆるされていない香をたく奉仕を勝手にしたので皮膚病にかかった。神が打つのはイスラエルだけではない。神は御自分に反逆する全世界をうつ。イスラエルから神の箱を奪ったペリシテ人は疫病に打たれて死んだ。ハルマゲドンの戦いのときには、イスラエルに敵対するすべての軍隊が恐ろしい疫病で打たれる。このことから罪と病気には深い関係があることが分かる。不平不満の罪、高慢の罪、反逆の罪が病気の引き金になっている。神との間の悪い状態がそのまま肉体にあらわれて病気になる。だから、病気にかかったら、神の御前にへりくだることが必要だ。神は病気もいやしもお与えになることができる。アサ王は足の病にかかったが神の御前にへりくだらずに人間の医者に頼ったので癒されなかった。ヒゼキヤ王は神の御前に泣いて祈ったので、神はヒゼキヤを癒しただけでなく、寿命を15年延ばされた。もちろん、すべての病気が特定の罪に対する罰として与えられるわけではない。しかし、病気になったときはまずへりくだろう。ヤコブ5:15-16。

旧約聖書でも癒しと回復の奇跡は預言者エリヤやエリシャ、バビロン捕囚からの帰還によるユダヤ人の国家の回復についてみることができる。しかし、ヤハウェ・ラファが最も偉大な医者として御自身を現したのはイエス・キリストによってである。イエス・キリスト御自身がヤハウェ・ラファだ。イエス様は御自分が医者であるといわれた。マルコ2:17。イエス様は病気の原因である罪から私たちを救うことができるお方だ!病気の癒しについてはもっとたやすいことだった。イエス様は重い皮膚病の人、熱のある人、悪霊による精神病の人、癲癇の人、中風の人、出血が止まらない人、腰が曲がった人、手の萎えた人、目の見えない人、耳が聞こえない人、長年寝たきりの人、死んだ人を癒された。そしてイエス・キリストは私たちも癒してくださる。癒しは主が打たれた傷にある。Ⅰペトロ2:24。ペトロがアイネアのいやしに用いられたとき、誰がいやしてくださると言ったか?使徒9:32。癒すのはイエス・キリストなのだ。癒しが必要か?そうであればへりくだって主イエスによって癒しを求めよう。

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