神の人は王に答えた。「たとえ王宮の半分をくださっても、わたしは一緒に参りません。ここではパンを食べず、水も飲みません。主の言葉に従って、『パンを食べるな、水を飲むな、行くとき通った道に戻ってはならない』と戒められているのです。」(列王記上13:8-9)
預言者は北イスラエル王国のはるか未来に起こることをヤロブアムに告げたのち、王にこのように答えて帰路につきました。
預言者は戒めをどこまでも忠実に守る覚悟でした。どんな誘惑があろうと絶対に退けるつもりでした。
ところが、預言者は王宮の半分をもらってもと言っておきながら、たった1回の食事の誘いにのって、パンを食べ、水を飲み、行くとき通った道を戻ってしまいました。
その結果、獅子に切り裂かれて死んでしまいます。
ここに神様からはっきり示されたことからそれてしまう人間の典型的なパターンを見ることができます。
もし天的なビジョンを持っている方がいるならこの箇所を読んで悪魔の嘘から逃れてほしいと願います。
パンを食べるな、水を飲むな、行くとき通った道に戻ってはならない
『パンを食べるな、水を飲むな、行くとき通った道に戻ってはならない』というのは非常に風変わりな命令です。
そのため、神様がはっきりそのことを語られたからこそ預言者はその命令を神様からの戒めとして認識することができました。
ではそんなにはっきりとした命令、それを、守ろうとするかたい決意がありながらなぜ、命令違反が起きたのか。
それは、他の預言者が欺いたからです。
もう一人の預言者は言いました。
「私も預言者です。御使いがあなたをパンと水でもてなすように言われたのです。」
神の人はまんまとだまされ、神様の命令は解除されたのだと思い込み、もう一人の預言者について行きました。
ではもう一人の預言者はなぜ欺いたのか。
大した理由ではありません。ただ、ヤロブアムに預言した預言者と食事をしたいと思っただけです。それは全然大した理由ではありませんでした。
信仰者の弱点は敬虔を装った嘘偽りにだまされやすいことです。
非常に残念なことにクリスチャンの燃え上がる信仰の火を消すのは同じクリスチャンであることがほとんどです。
特に霊的な権威のある人の何気ないひと言が神様からのビジョンに歯止めをかけ、すべてを捨てて主に従うことをやめさせます。
あなたが主からいただいたビジョンに疑問を投げかけ、否定的な反応をする信仰者がいたとしても、真に受けないでください。
それは実は、全然大した考えもなく、主からの示しもなしに発した言葉かもしれません。
出る杭が打たれるのは教会も例外ではないし、閉鎖的な共同体では主からの示しを単に「突飛な考え」として退けるかもしれない。
また、牧師たちは当然牧場を守る責務があるから、悪意はないにしても、自分の教会の外にビジョンを持つことを妨げるかもしれない。
もし大した意味もないことのために主から示されたことをふいにするなら、それは獅子に切り裂かれて死んでしまうくらい残念なことではないでしょうか。
問題は人からなんと言われるかではありません。
反対を受けたか受けなかったかが決め手でもありません。
それが本当に主から示されたことなのかどうかが問題なのです。あなたに確信があるなら、御言葉以外、誰のどんな言葉も主からの示しに変えてはいけない。
最後まで抱き続けるなら主からのビジョンはやがて大きく花開くことになります。
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