エル・オラム

神の麗しい御名と称号
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未来を託すことができるお方です。

エル・オラム

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【ノート】
イエス様に教えられた通りに御名を崇めさせたまえと祈る私たちは、御名を知らなければならない。今回知る神の麗しい御名は、アブラハムが大成功しているときに呼んだ御名だ。
アブラハムは神の約束が実現するのを見つつあった。アブラハムが百歳のとき、サラが九十歳のときに神が約束された子、イサクが生まれた。神の約束に基づいて自分に与えられた祝福を受け継ぐ正当な嫡子が生まれたのだ。アブラハムは遠いカルデアのウルからカナンの地にやってきた寄留者に過ぎなかった。寄留者というのは普通、よそものなので、土着の住民に嫌われてしまい、肩身の狭い思いをする。生活するだけでも非常に苦労する。だから、律法書には寄留者を援助するようにと神の憐れみ深い掟が何度も出てくる。そんな寄留者の身分にもかかわらず、アブラハムは栄えた。あまりにアブラハムが栄えたので、ペリシテ人の王アビメレクから恐れられ、ベエル・シェバで契約を結ぶに至った。主なる神はいよいよアブラハムを祝福し、息子だけでなく、約束の地で王にも恐れられるほどの勢いを持つようになった。アブラハムは神からの祝福に感謝して神を礼拝した。そのときに神を新しい御名で呼んだ。

創世記21:33。アブラハムはまずぎょりゅうの木を植えた。ぎょりゅうは成長すると4mから高いものでは最大18mくらいまでになる。ぎょりゅうはどこでも育つ、非常にしぶとい植物だ。砂漠の中であっても少しだけ水のある場所であればぎょりゅうは育つ。根を深くまではり、深い場所から水を吸収することができるからだ。その葉の成分は空気中の水分を吸収するので、露をしたたらせる。ぎょりゅうの木の陰に身をさけると葉の露が蒸発するので、周囲よりもずっと涼しい。アブラハムはベエル・シェバにぎょりゅうの木を植えた。植林をしたのだ。植林というのは未来のためにするものだ。ぎょりゅうは比較的早く成長するとはいえ、植林してからその木陰で休めるようになるまでは何年もかかる。アブラハムは自分や子供のイサク、そしてそのあとの世代に至るまで、まさにこれから成長していくぎょりゅうの木のように約束の地で神の祝福を受けて栄え続けることを願ってぎょりゅうの木を植えた。そして、アブラハムは「永遠の神」という御名を呼んだ。原語のヘブライ語ではエル・オラムだ。私たちの未来が繫栄するかどうかはエル・オラムからの祝福にかかっている。植えたばかりのぎょりゅうの木もやがては枯れるだろう。本当に未来をたくすことができるのは永遠に生き続けるエル・オラムだ。神は永遠であり、始まりも終わりもないのだ。エルは神あるいは力。オラムは永遠という意味のほかに、いつも、絶えず、ずっと続く、長期間、太古の昔、世界の初めから終わりのない未来までという意味がある。

この御名から神の優れた点をあげて神を賛美しよう!ハレルヤ!アブラハムのエピソードからすぐにわかることは、第1に、エル・オラムは未来をたくせるお方。自分の未来だけでなく、自分の家族や友人知人の未来、教会や国家の未来についてもエル・オラムにたくすのだ。人間は自分よりも強いものをあてにする。だから、世の中の指導者に望みを置く人も多い。億万長者、政治家、著名人といった財界や政界や芸能界などで活躍する人に未来を託すわけだ。もちろん彼らにも多少影響力はあるし、学ぶこともあるだろう。選挙に行って、指導者を選ぶために投票することはいいし、指導者のために祈ることも必要。しかし、そういう人々に自分の未来を全面的にたくしてしまうことが、どれだけ愚かなことであるかを聖書は教えてくれる。詩編146:3-4。彼の思いも滅びると書いてある。この「思い」は計画や目的とも訳すことができる言葉だ。大活躍していて賢く見える人間たちの知恵による計画というのは、短い寿命と共に滅びてしまう空しいものだ。彼らの計画が本当に優れたものなのか、一年後、十年後、百年後、千年後にも通用するものなのかは誰もわからない。しかし、エル・オラムには永遠の計画がある。エフェソ3:11。神は天地創造の前からイエス・キリストによる救いの計画を立てておられた。永遠の計画をお持ちのエル・オラムにこそ、永遠の未来を全面的に託すことができる!それが誰であっても人間に未来を託してはならない。アブラハムは人間の王アビメレクとの契約ではなく神との契約、永遠の計画に基づく契約に未来を託した。アブラハムのようにエル・オラムに未来を託す私たちになろう!アーメン!

第2に、エル・オラムは変わらないお方。すべての造られたものは、時間の経過と共に変わってしまう。変わってしまうということはずっと信頼を置くことはできないということ。ペリシテ人の王アビメレクはアブラハムと契約を結んだが、ペリシテ人は態度を変えて、契約を破って、何度もアブラハムの子孫たちを圧迫した。人間は変わってしまうので信頼できない。しかし、エル・オラムだけは変わらない。そもそも時間はエル・オラムが創造したもの。エル・オラムは時間を創造する前から存在しておられた。だから、エル・オラムは時間には一切しばられない。エル・オラムのご性質、エル・オラムの御言葉、エル・オラムの王国は永遠に変わらず、永遠に終わらない。エル・オラムは永遠に良いお方であり、永遠の愛で私たちを愛してくださり、永遠に続く力であなたをささえてくださり、永遠にイエス・キリストの血潮による契約を守ってくださり、永遠に真実で正しくあられる。この方に私たちは永遠に信頼を置き続けることができる。詩編90:1-2。神は世々変わらない。どの時代も神は変わらない。アダムの時代もノアの時代もアブラハムの時代もモーセの時代もダビデの時代もキリストの時代もルターの時代もウェスレーの時代も過去にリバイバルが起こったそれぞれの時代もあなたがいま生きている時代も、神は変わらない。そして、イエス・キリストも同じくエル・オラムだ。ヘブライ13:8。変わることのないエル・オラムに永遠に信頼を置き続けよう!アーメン。

第3に、エル・オラムは永遠の命をくださるお方。エル・オラムが与えてくださる最高の賜物は永遠の命だ。エル・オラムは御自分が永遠に生き続けるだけでなく、私たちをも永遠の命にあずかることができるようにしてくださった。エル・オラムはイエス・キリストを通して招いてくださっている。ヨハネ3:16。この命というのは霊魂が不滅だというだけのものではない。すべての人は霊魂が不滅だ。しかし、すべての人には罪があるので、死んだ後は地獄に落ちて永遠に苦しむことになる。私たちの罪は私たちのために十字架で血を流して死んでくださったイエス・キリストを信じて受け入れることでゆるされる。これが、私たちの救いのための神の永遠の計画である。イエス・キリストを信じることで血潮による永遠の契約を神と結ぶことになる。
それでは永遠の命は死んだ後に地獄ではなく天国に行けるようになることなのかというとそれだけでもない。永遠の命は、父なる神とイエス・キリストとの交わりだ。ヨハネ17:3。それは私たちが天国に行く前に、イエス・キリストを瞬間から私たちのうちで始まる。このようなすばらしいエル・オラムに対して、私たちはどのような態度をとるか?永遠の礼拝だ。永遠の礼拝は私たちの当然の反応であり最高の特権だ。詩編86:12。

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