限界のない祝福の約束

福音&主題メッセージ
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神の子は、天のあらゆる霊的祝福がイエス様を通して与えられています。もう限界のない祝福を持っているのです。それが、地上の物理的な祝福に変換されるためには、御言葉が必要です。もっと言えば、最終的に御言葉に歩むことが大切です。聖書は、ある個所ではっきりとこれをすれば限界のない祝福が与えられると約束しています。

限界のない祝福の約束

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【ノート】
■天のあらゆる霊的祝福がイエス様を通して与えられている。エフェソ1:3。もう持っていると知ることがまず大事。祝福は御言葉を通して地上にもたらされる。御言葉に歩むことが大切。聖書にはこうすれば限界のない祝福を体験できる約束がある。まずそれを実践すべきだろう。それは、どこに書いてあるか?マラキ3:6-7。主は変わらない。だから、ヤコブの子らつまり、イスラエルも変わらず続いていく。教会も続いていく。イスラエルがイスラエルたるのは掟ゆえ。教会が教会たるは御言葉ゆえ。御言葉の通りに歩んでいなかったら立ち帰らなければならない。「どのようにして、私たちは帰ろうか。」指摘されないと気づけない。

■マラキ3:8-9。盗みを悔い改めなければならない。盗みは悔い改めなければならないのでは?主は十分の一をささげないことを盗みだと言われる。十分の一は神様のものだから。神殿にある宝物を盗むのと同じ。十分の一をささげるというのはクリスチャニティーのスタンダード。聖書に書いてあるから。左右の兄弟姉妹が十分の一をやっているか見ても無意味。見るなら私を見ろ。池袋マナ教会の模範として立てられているのは私。何の教派はやっていて、何の教派はやっていないとか無意味。「この民のすべてが盗んでいる。」イスラエルは全員やっていなかった。全員やってないなら仕方ない、とはならない。主は盗みだと指摘される。主は御自分を変わらないと言われた文脈で。主は今も変わらず盗みだと指摘される。盗みは必ず悔い改めなければならない。

■十分の一は律法であり、十字架の贖いによってもう文字通り守らなくて良くなったのではないかと思う人がいるかもしれない。十分の一は律法の産物ではない。誰が初めたか?私たちの信仰の父、アブラハム。まだモーセの律法がない時。ローマ4:16-17。アブラハムは父。われらはアブラハムの信仰に従う者、アブラハムの子。子は父を見て行う。創世記14:18-20。割礼前の出来事。パンとぶどう酒は聖餐を暗示。イエス様に似ている?そう、ヘブライ人への手紙にはイエス様のことを「メルキゼデクと同じような祭司」とある。ペルシャに対する大勝利は神によるもの。アブラハムはなぜすべてのものの十分の一を?勝利がすべて神からのものだと信じたから。信仰の模範。すべて神から。歴代誌上29:14。御手から受け取って差し出す。経済はすべて神から。申命記8:18。富を築く力はすべて神から。十分の十が神からだと認める。十分の一はその中でも神様のものであり、お返しする。十分の一は十分の十が神様から来ていることに対する信仰による。残る十分の九にも信仰が働き、神からのものとしての特別な守り、祝福が臨むようになる。

■マラキ3:10。私の家=神殿であり、今は教会。十分の一は礼拝のため。ネヘミヤ13:10-12。十分の一がささげられるかどうかは、神殿礼拝がどうなるかを左右した。神殿礼拝が盛んな時、イスラエルは栄え、神殿礼拝が見捨てられている時、イスラエルは衰えた。つまり、十分の一と連動していた。大勢の人々が救われることを願うか?リバイバルを願うか?十分の一が教会でささげられることなしにはありえない。救われた人の行き場として教会が必要であり、教会のミニストリーにはお金が必要だ。十分の一がささげられるなら、よい会場で集まれる、生活に困窮する人の支援を手厚くできる、メディアでの宣教、海外宣教ができる。

■マラキ3:10。唯一の試してみよというチャレンジ。神を試してはならないとある。これは唯一の例外。限界のない祝福が来るか試していい。御言葉の約束の中でも特に神様がその確実さを保証しているもの。ある人は車が与えられた。イエス様がすでに十字架の贖いによって天の窓を開かれた。しかし、主は変わらずに十分の一を限界のない祝福を体験する方法として定めておられる。マラキ3:11-12。なぜかお金がすぐになくなるということがなくなる。他の人々が幸せと思うくらい祝福される=未信者の伝道にもつながるということ。

■どうささげるか。箴言3:9-10。初物=最初にとれたもの。主を最優先する。いろいろ支払いを計算してではなく、まず主にささげるものを区別する。収入があったらなるべく早くささげる。

■マタイ6:24。献金は、金銭欲に勝利する主要な方法。神様でなくお金が目的ならお金が主人でありお金に搾取される。神は祝福したいが、お金の奴隷となって虐げられてほしくない。お金を目的とする人は祝福しない。お金に支配されずにお金を支配しよう。マタイ6:21。お金がどこにあるか、つまり何にささげるかが心をそのまま表す。お金を求めることは良い。神様のため、つまり、ミニストリーのためにだ。十分の一をささげる人は、ミニストリーのためにお金を求める。神は惜しみなく祝福することができる。

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