エルサレムの使徒会議[使徒15:1-21]

使徒言行録
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神の子たちの会議はエゴを戦わせるものであってはなりません。神がなさったことや、神の導き、神の御心、神の御言葉に焦点をあて、聖霊様に導かれてリーダーが結論を出すものなのです。

エルサレムの使徒会議[使徒15:1-21]


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【ノート】
■1-5節。ある人々がユダヤから下って来てパウロとバルナバの教えを否定するようなことを教え始めた。「割礼を受けなければ、救われない」として救いに関わることだから良かれと思って教えたのだろう。しかし、神様から立てられている教師たちを差し置いて、違うことを教え始めるのは敬意が足りない。自分と考えが違っていても、立てられている人を立てなければならない。それが神を重んじることでもある。パウロとバルナバは、honorがあった。「アンティオキアのことは自分たちで決める」と言い張ることもできたが、エルサレム教会の使徒たちや長老たちに諮ることにした。これは福音に確信がなかったからではない。その証拠に道すがらも異邦人の救いについて証しをしている。諮ったのは論争に完全決着をつけるため。平和であることは良い。教会で教えのことで重大な論争が生じたら、時に完全決着まで戦わなければ。パウロたちの証しは皆を大いに喜ばせた。パウロたちはエルサレムでも「神が自分たちと共にいて行われたこと」を報告した。パウロたちが主張することは、単なる理論ではなく、神がなさったことであり、実がある。聖書の解釈で論争のあることについて、何が真理か。実のある方。それを信じると、救いが起こり、すばらしいことが起こり、神の栄光となるか。では、人が実もないのに真理に反対するのはなぜなのか?「ファリサイ派から信者になった人」とある。律法主義の背景がある人々だ。伝統に固執している。古いもの好き。古い皮袋を放棄せねば。古いものはヴィンテージジーンズだけで十分。新しい契約を結び、新しい命に生きる、新しい被造物だ。

■6-11節。使徒会議。初の会議だろう。会議ばかりをするのは時間の無駄。しかし、何か教会の重要な方針を決めるに会議を開くことは御心に適う。この会議でクリスチャニティーがユダヤ教の一分派で終わるか、全世界に広まるかが決まる。会議はエゴを戦わせる場であってはならない。誰が得をするかを追い求めない。ペトロがしているように、神がなさっていることや神の導き、御心、御言葉を語り合う場でなければならない。神が教会からペトロを選んだ。何のため?福音の言葉を語らせて異邦人が信じるようになるため。福音を語る上で、神は人を選ぶ。使徒だからというのではなかった。どういう人が選ばれるか?語る言葉を持っている。福音に生きている。恵みの下で生きている。赦しを知っている。聖霊様に導かれている。選ばれる者になろう。「人の心をお見通しになる神」⇒何を見通している?「神が異邦人を受け入れるはずがない。律法に従い割礼を受けた者だけを受け入れる」という考え。神はこういう人を受け入れないとか、この行いをしなければ受け入れないというのは全部間違い。神はすべての人を受け入れる。しかも、イエス様を信じるだけで、恵みで受け入れる。信じるすべての人に聖霊様を与えてくださるのがその証明。「心を信仰によって清め」聖霊様を受けると、霊が救われ、心が清められ、最後には体も清めと健康が与えられる。霊で始まり、全存在に至る。どのように進むか?信仰によってと書いてある通り。神様の人に対する取り扱いは何の差別もない。あなたはあなたの目に最も恵まれている映るその人と全く同じ取り扱いを神様から受けている。では、律法を異邦人に押し付けようとすることは?「先祖も私たちも負いきれなかった軛」と書いてある。律法主義はうまくいった例が何もない。なのになぜ律法主義者は他の人にも律法主義を押し付けようとするのか?「私も親から、先輩から負わされて苦しんだのだから、あなたも同じように苦め」という負の連鎖だ。イエス様の御名によって負の連鎖を断ち切ろう。救いはイエス様の恵みによる。

■12-21節。ペトロが証しをし、同じ事柄についてバルナバとパウロが証しをした。一人だけなら勘違いの可能性もある。複数の証しに一致があることは証拠。ヤコブ、主任牧師、リーダーが結論を出す。結論は聖書から。アモス書の預言。ダビデの幕屋ではむき出しの栄光があり、オベド・エドムといった異邦人(ペリシテ人)が仕えた。異邦人の救いは預言の成就。4つのことを避けるように手紙を書け⇒救いの条件ではなく、ユダヤ人と異邦人が一緒にやっていく上で隔たりを埋めるため。偶像に備えて汚れた肉⇒Ⅰコリント10:20。ローマ14:1-2。信仰が強くて罪の意識を持たなければ汚れない。偶像崇拝に対する警告ともとれる。神に対する霊的不倫。みだらな行いは結婚以外のすべての性的関係。不倫や結婚前の関係など。聖霊が宿る神の神殿である私たちの肉体を汚す。体の中で犯す罪であってダメージは大きい。絞め殺した動物の肉と血。血は命。命は神に属するもの。命を奪う殺人や中絶、血を流す暴力などはこの理由から避けなければならない。モーセの律法は安息日ごとに会堂で読まれていて、皆が知っているのだから重んじよう。

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