信仰はメッセージを聞くと与えられます。一度メッセージを聞けば、生まれつき足の不自由な人が踊りあがって歩き出すくらいには信仰が与えられます。メッセージはその人が自分の足でまっすぐ立ち、歩いて行ける力を与えるのです。
自分の足でまっすぐ立ちなさい[使徒14:1-20]
YouTubeのチャンネル登録はこちらから!
【ノート】
■1-7節。会堂に入る。イエス様が最初とったやり方であり、前回と同じパターン。メッセージやディボーションでのインストラクション、聖霊様の特別な介入がなければうまくいくパターンでやればいい。ピシディア州のアンティオキアでも会堂で教えたところ、大勢の人々が救われたが、反対派も現れて迫害されて追い出された。それがうまくいくパターン。全員に受け入れられなくていい。反対されても、救われる人々がいればいい。福音は最初からそういうもの。同じパターンで動くとイコニオンでも同じことが起きた。4節で初めてパウロとバルナバのことを「使徒」と書いてある。13章で派遣礼拝がなされているが、使徒とは明言されていない。どうしてここで?使徒としての働きをし続けたからだ。誰が使徒なのかわかる。誰が五役者なのか?神学校を卒業した人か?そう名乗る人か?そういうこともある程度重要だが、誰の目にも明らかなのは、五役者としての働きをしている人が五役者だ。使徒として働いている人が使徒。使徒の特徴は他の四役すべての能力を持っており、かつ奇跡が伴うこと。アンティオキア教会にいる時からすでに預言者と教師でもあった。ここでは「しるしと不思議な業を行い」と書いてある。木は実で判断する。使徒たちに反対する人々は誰なのか?反対する人々は、「信じようとしないユダヤ人」と書いてある。宗教的な人々。今で言うと未信者ではなく、クリスチャン。未信者は単純に奇跡を喜ぶ。実際、使徒や預言者がいるというと迫害するのは未信者ではなくクリスチャン。どうして同じクリスチャンを迫害する?奥義や奇跡になじみがないからだ。同じ聖書を持っていても、自分の経験や知識に照らして異質に思えてしまう。経験信仰ではなく聖書信仰を貫こう。主は新しいことを行う神。伝統や神学に凝り固まることなく、いつでも新しいことを受け入れる余地がなければならない。反対する人々は正面から使徒たちと御言葉について議論しない。直接話したり確認したりしない。真理に対しては歯が立たないから。扇動し、悪意を抱かせる。噂話、陰口。今で言えばインターネット上の書き込み。次に指導者をたきつけ、数を頼みとして暴力でふるおうとする。石を投げようとしたということは、殺意があった。卑怯な手を使う。イエス様と共に集めない者は散らしてしまう。イエス様は御自分に敵対する人々に対して人々を扇動したり陰謀を企てたりしなかった。パウロたちはイコニオンの反対派にリベンジしようとしていない。何をしたか?リストラとデルべに難を避けて、そこでも福音を告げ知らせた。キリストの弟子には、祝福されるのに忙しくて他人の批判している暇はない。出て行って福音を宣べ伝えよう。
■8-10節。リストラでは会堂に入ったという形跡がない。足の不自由な人が座っていたのは外だろう。もはや会堂に行かなくても聴衆を見つけることが難しくなかった。この人にはいやされるのにふさわしい信仰があった。どうして?パウロのメッセージを聞いていたから。ローマ10:17。メッセージを聞けば聞くほど癒されるにふさわしい信仰になる。「自分の足でまっすぐに立ちなさい。」生まれてから一度もできなかったこと。命令に従う時奇跡が起こる。信仰があれば、自分の足でまっすぐに立てる。人に依存せずに生きていける。一度もできなかったことができる。
■11-13節。どうやら他の人たちはメッセージをちゃんと聞いていなかったらしい。パウロとバルナバを異教の神々と勘違い。パウロはおもに話す者であることからヘルメス。なぜパウロがリーダーシップを持つようになったかがわかる。話す者が用いられる。神の言葉であれば飽きずに何時間でも話し続けられるということは大きく用いられる最低条件。ゼウス神殿の祭司までもが勘違いした。それだけパウロとバルナバは神がかっていたということ。神の子は神の栄光で輝いていて、神と瓜二つ。イエス様は神の言葉を受けた人たちが神々と言われた。異教の神々と勘違いされても無理はない。しかし、礼拝を受けてはならない。
■14-18節。私たちは人間でもある。創造主なる神だけが礼拝を受ける資格がある。偶像⇒空しいこと。福音は生ける神に立ち帰らせる。福音を通して本物と出会えるから。おなかが満たされると心も喜びで満たされる。食べさせることは福音につながる。過ぎ去った時代は自然を通しての証しのみ。今や、神は自然だけでなく、福音で証しする。どうやって?私の口を通して。
■19-20節。石を投げたということは殺す気。一度はゼウスやヘルメスだとしたのに殺そうとする。神の言葉という土台がないと変わりやすい者になる。扇動される生き方。支配する者になろう。実際、死んだだろう。生き返り、町に入った。翌日には別の町に行けるほど回復している。
【お問い合わせ】
聖書に興味を持たれた方はお気軽にご連絡ください\(^o^)/
池袋で集まりを持っています。
Email : jesus.christ.is.the.lord19860804@gmail.com
※メールで問い合わせる場合は受信設定でこのメールアドレス許可してください。
Twitter : https://twitter.com/Shuzo_Koita
Line : http://line.me/ti/p/ICne2QGIuJ
Facebook : https://www.facebook.com/shuzo.koita


コメント