七つの部族への割り当て[ヨシュア18-19章]

ヨシュア記
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各部族への割り当ては、あなたがすでに与えられていると約束されているものを受け取る上での秘訣を教えています。

七つの部族への割り当て[ヨシュア18-19章]


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【ノート】
■18:1。シロに臨在の幕屋を立てた。どういうことか?シロがイスラエルの中心地となったということ。イスラエルはもともとギルガルを拠点としていたが、シロに移った。エリの時代に栄光が去るまで、シロが中心地。神様が力強く臨在される場所こそが中心地となる。神様はそこで御自身を表し、そこで語られ、そこから治められる。今、神様はどこに臨在の幕屋を立てておられるか?私に。Ⅱコリント5:4-5。私の体は聖霊様が内住する幕屋。神は私を通して御自身を表し、私を通して語られ、私を通して治められる。

■18:2-3。七つの部族はなぜ嗣業の割り当てを受けていなかったのか?「割り当てを受けていない」ということは受けるものだろう。神の時が来るのを待っていたのかも。自分から動くのは肉的、ゆだねよう。ヨシュアが与えてくれるのを待っていたのかも。指導者の指示なしに不用意に動いてはいけない。指示があるまで待とう。しかし、ヨシュアは「いつまでためらっているのだ」という。御言葉が語られている。日曜日のメッセージが与えられている。ということはもう時が来ていて、もう指示が出ている。御言葉に従って動き出せばよい。「主が既に与えられた土地に行くだけ」。主から何かを受け取るには、待つだけでなく信仰に基づいた行動。行くことが必要。

■18:4-10。派遣して、巡回させ、土地の記録を作らせる。足の裏で踏む地は既に与えられているから。神の子が行けば、その地は与えられる。領土は分割された。主から与えられた一つの約束の地を部族ごとに分割。主にあって一つであるということ。Ⅰコリント3:5-9。主がお与えになった分に応じてと書いてある。与えられた領分は違った。しかし、同じ主から同じ目的で与えられているので、植える者と水を注ぐ者は一つ。力を合わせて働く。協力するのであって、敵対しない。ユダとヨセフはそのままにされた。一度確立されたテリトリーは奪われない。

■七つの部族の領域が紹介される。それぞれがその領域になったのにはくじによるが、偶然ではなく、主がそうした。過去の預言と関係がある。私に今与えられている領分は、主からのもの。そのテリトリーを大事にしよう。
18:11-28。ベニヤミンの地の特徴は、ユダとヨセフの間にあった。王国が南北に分裂したとき、ベニヤミンがどちらになるかが問題となった。地理的にはどちらについてもおかしくない。歴代誌下11:12。ベニヤミンが南ユダのダビデ王朝のものになったのは、レハブアムが良い王だったからではない。レハブアムは悪い王だった。創世記44:32-33。ユダ族の祖先であるユダがベニヤミンに責任を持つと宣言し、有言実行している。他人の責任を負う贖い。責任を負う覚悟のある者に多くのものがまかせられる。キリストの心と思いがあるから、可能。
19:1-9。シメオンの地はユダ族の中に置かれた。この後、シメオンはユダ族に吸収されたのか、姿を消す。なぜこんな扱いになったのか?創世記49:5-7。同じ呪いを受けたレビ族はその後モーセとアロンを通して祭司の部族として確立するが、シメオンは頭角を表すことがない。申命記のモーセの祝福にはシメオンについてだけ何の言及もない。シメオン=暴力によって失敗してフェードアウトした部族。短気を起こして暴力を振るってはならない。
19:10-16。ゼブルンの地の特徴は内陸。創世記49:13。申命記33:18-19。海辺にないが、内陸に引きこもらずに外へ、海へ出た。テリトリーを海に拡大。イエス様のミニストリーの中心地。ここから全世界へ。まだ誰も領分としていない場所を開拓する重要性。新たに人を救いに導く。新しいミニストリーを始める。新たに奥義を発見する。隠れた宝が手に入る。
19:17-23。イサカルは肥沃の地。アハブはイズレエルのナボトのぶどう畑を欲しがった。土地を巡っての争いが行われた。収穫が豊かな地は、それだけ戦いも激しい。
19:24-31。アシェル。創世記49:20。申命記33:24-25。預言通り地中海沿いの肥沃の地。約束通り良い物をくださる。
19:32-39。ナフタリ。ガリラヤの主要な部分。申命記33:23。主の恵みに満ち足り、祝福に満たされとある。イエス様がおられたから。イエス様が私の内におられるので、私は主の恵みに満ち足り、祝福に満たされている。
19:40-48。ダンはペリシテ人の地中心。この地も奪われて北のレシェムを手にする。領土は本来安住の地であり、敵から奪われない。奪われたのは御言葉への不信仰、不従順。持っていない者は、持っているものまでも奪われる。

■19:49-51。ヨシュアは最後の最後に自分のものを受けた。指導者は権限が強いだけあり、自分の利益を求めることは控え目でなければ。それでは指導者が何も受けられなくないか?イスラエルの人々がヨシュアに贈った。周りがサポートして指導者を支える。そうして共同体は成り立つ。

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