ギブオン人はイスラエルの指導者たちをだまして協定を結びました。
それなのに、どうしてイスラエルはその協定を破棄してギブオン人を攻撃しなかったのでしょうか。
ギブオン人との協定[ヨシュア9章]
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【ノート】
■1-2節。イスラエルに対抗して敵の勢力の結集。これらの勢力は最初から一致していた?争っていただろう。イエス様を憎んでファリサイ派とヘロデ派が手を組んだように、神に敵対して勢力を結集。同じことが全世界的に起こる。大患難の時、反キリスト率いる全世界連合の軍勢がイスラエルに対抗して結集。文化やイデオロギーの違う人々がどうやって?共通点は神への反逆。ヨシャファトの谷に集まるが、主の裁きを受ける。
■3-15節。生きるための賢い立ち回り。恥ずかしいことではない。ポリシー、プライド、何を獲得できるかよりも、生きることが大事。「たとえ全世界を手に入れても、自分の命を失ったら、何の得があろうか。」どうすれば命を保てるかを追求するならば、永遠の命なる主に出会える。
ギブオン人の作戦は、偽装だ。袋、皮袋、外套、パンといった小道具まで細かく仕込んだ。持っている情報も古い。イスラエルはまんまと騙された。最初は疑ってかかっていたのに、干からびたパンを見たら信じてしまった。「まさかここまで徹底して偽ることはあるまい」とするのが偽装。人ですら騙そうとしたら徹底的にやる。Ⅱコリント11:13-15。サタンも人も偽装する。そこまでやるとは思えないというところまでやる。本当にそれらしく見る。騙さないようにするにはどうすれば?14節「主の指示を求めなかった。」主の指示を求めたら見破っていたはずなのだ。主の指示を求めるには?聖書を開く。「〇〇」と書いてある。御言葉で見破れるということ。静まる時間、ディボーション。
■16-20節。民は不平を言った。それなのに指導者たちはギブオン人を攻撃しようとしなかった。どうして騙されたのに、指導者たちは皆、ギブオン人を滅ぼさなかったのか?憐れに思ったからではない。主にかけて誓った協定には偽りがあっても有効となる。ヤコブはイサクがエサウに与えるはずの祝福をだまし取った。それでも、祝福は有効だった。主の御名で語ったことは絶対的であり、有効である。主の御名には権威があるからだ。人が自分の都合で勝手にそれを覆すことはできない。だから、口に出す言葉に気をつけなければならない。主にかけて誓ったことを重んじるべきなのは、主が真実だからでもある。民数記23:19。なされないことはありえない。Ⅰヨハネ1:9。罪の赦しと清めも憐れみではなく、真実さから。Ⅱテモテ2:13。ギブオン人が誠実でなくとも、主はギブオン人に対して真実だった。テトス1:2。偽ることのない神。主にかけて約束したこと、水のバプテスマの時、献身の祈り、あの時にささげた主に従うという言葉、果たそう。
■21-27節。神の宮の柴刈り、水くみ=神殿に奉仕する特権。呪い?嫌々かせられる時だけ呪いとなる。奉仕は本来祝福だ。マルコ10:45。このためか、モーセの幕屋はギブオンに置かれた。喜ばしいこと。いつも幕屋の近くで主に仕えられる。どうしてギブオンは欺くことにした。24節。御言葉を信じて、勝ち目がないと悟った。信仰によって救われて奉仕者になった。
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