エリコの偵察と遊女ラハブの信仰[ヨシュア1:10-2:24]

ヨシュア記
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悪霊どもが恐ろしいですか?敵の内部事情を知ると、実は、敵の方があなたを恐れていることがわかります。

エリコの偵察と遊女ラハブの信仰[ヨシュア1:10-2:24]


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【ノート】
10-11節。ヨシュアは御声を聞いた後、民の役人に命じた。役人たちを通じて、民全体に命令を伝えさせるためだ。イスラエルがどのような指揮系統を持っていたのかよくわかる。イスラエルは、モーセの死後、仲良しグループとして約束の地に入ったわけではない。合議制グループでもない。トップダウン型のグループ。ヨシュアが主に聞き従い、イスラエルがヨシュアに聞き従う。クリスチャンの指導者に要求されることは、主の御声をよく聞き、その通りの指示を出すことだ。伝える内容は御言葉と信仰に基づかなければならない。ヨシュアは「川を渡って、敵と戦って土地を勝ち取らなければならない」とは言わなかった。そう言っても嘘ではないが、それだと人間の行いが主体となる。そうではなく、「あなたたちの神、主が得させようとしておられる土地に入り、それを得る。」と主の約束の御言葉、それが必ず実現するという信仰に基づいて語っている。御言葉を抜きに教会がどうなる、あの人がどうなる、自分がどうなると言うのはやめよう。主がこう約束しておられる、御言葉がこのように実現すると言おう。

12-15節。神の民が共に力を合わせて約束のものを取るには、一枚岩でなければならない。共通のビジョン、共通の目標に奮闘しなければならない。一部の人たちが他人事のように思い、ビジョンの実現に無関心であっては足を引っ張ることになる。だから、心がバラバラにならないように、共通のビジョンをもとに一つになることは何度も強調されなければならない。ルベン、ガド、マナセの反部族は家畜が多いことを理由に、ヨルダン川の東側にすでに土地を得ていた。彼らはモーセがいたとき、他の部族が相続地を受け継ぐまで共に戦うということを表明していたが、その意思を今一度確認する。

16-18節。まず、ヨシュアに従う上で、過去にモーセに従ったことが意識されている。モーセからヨシュアへのリーダーシップの交代はものすごくうまくいった。スムーズ。それは、ヨシュアがモーセを尊敬して、よくモーセに仕えていた人だからだ。権威は、権威を重んじる人が行使できる。自分に与えられている神様が立てた人々によく従う人が、やがてよく人を動かす指導者になることもできる。ルベン、ガド、マナセの反部族は、「強く、雄々しくあってください」とヨシュアが主から受けた励ましの御言葉と同じことを語っている。人を励ます上で、うまいことを言わなくていい。御言葉にまさるものなし。御言葉=最も力を発揮する。御言葉による励ましが最も効果を発揮する。御言葉を使って人を励ます者になろう。

1節。ヨシュアは斥候を送った。敵であるエリコについて情報を得るためだ。善いこと。悪霊について知ることは戦いを多少有利にする。40年前は十二部族から一人ずつの12人。この時は2人だけ。公平性よりも少数精鋭であることを重んじている。40年前偵察に行ったのがヨシュアとカレブだけだったらすでに約束の地をものにできていた。その反省から信仰の強い2人だけが選ばれた。信仰の強い人だけが敵についての有益な情報を得ることができる。斥候が遊女ラハブの家に泊まったのは、外部の人が忍び込んでもばれにくく、様々な情報が得られるからだろう。

2-7節。すぐにばれた。服装とか話し方を寄せてうまく溶け込んだつもりでも、何となくわかってしまう。神の子は目立つ。普通の人と輝きが違うので、すぐに気づかれる。あなたがたは世の光である。山の上にある町は隠れることができない。隠れることは不可能なので、主の光を輝かそう。主の光を輝かす者は、人々からの特別な好意にあずかり、守られる。ラハブはかくまった。命がけ。善いことか?ラハブは嘘をついているし、カナン人にとっては裏切り者とみられても仕方ない。主の御目にどうかが重要。ヘブライ11:31。主はこのことに信仰を認めた。主は御自分の民をかくまう者を喜ばれる。神の子についての悪口や陰口を神が喜ばれることはありえない。かくまう者、執り成す者、弁護する者になろう。

8-11節はラハブの情報提供と信仰告白。心は挫け=40年前はイスラエルの12人の斥候が「そこの住民は我々よりも強くて背が高く、町々は大きく、城壁は天に届くほどで、しかもアナク人の子孫さえも見た」と言って心を挫いた。おじけづくと心を挫くは同じマーサスという言葉が使われている。40年前の斥候は敵や城壁の外見だけ見て判断した。その判断は間違っていた。内部事情を聞いてみると、実際には敵の方がおじけづいていた。敵は、私と私の神に対しておじけづいている。これが真理だ。神の子の前で敵はどれだけおじけづいているか。マルコ5:7-10。悪霊を恐れるのはやめて、むしろ悪霊どもはあなたをこのように恐れていることを悟ろう。
「あなたたちの神、主こそ、上は天、下は地に至るまで神であられる。」唯一の神についての信仰告白。神は唯一であるという事実こそが敵を常におののかせている。ヤコブ2:19。神が唯一だということは、悪霊は神ではなく、悪霊は神に対して無力であり、対抗手段が皆無だということ。もし私たちが悪霊を恐れるとしたら、それは多神教のようなもの。神を信じていても、悪霊も一種の神であるかのように脅威に思ってしまっている。神が唯一であり、私がその唯一の神を信じており、その唯一の神に守られているなら、悪霊が問題になることはありえない。

12-13節。救い、救いの保証、家族の救いを求めた。14-21節。ラハブの求めたすべてのものが与えられている。赤い紐が救いの保証。赤い紐のある家にとどまるなら救われ、外に出たら危険。エリコの人々は全員死んだが、赤い紐のある家にいる人は全員生き残った。彼らが生き残ったのは、彼らがエリコの中で最も善良だったからではなく、ただ赤い紐の家の中にいれば守られると信じたからだ。イエス様の血潮を指している。恵みにより信仰によってイエス様の血潮の力にあずかることができる。イエス様の血潮はすべての罪の赦しと清め、あらゆる呪いからの解放をもたらす。たとえ、全世界が滅び去るとしても、イエス様の血潮にあずかっている人々だけは特別に守られて永遠に生きることができる。ラハブは、おそらく経済的な苦しみから遊女だった。将来の希望が見えない。本来はエリコの他の人々と共にイスラエルに滅ぼされるはずだった。しかし、唯一の神様を信じて、その信仰を告白し、赤い紐を結んだ家にとどまったがゆえに、異邦人でありながら例外的に救われて、イスラエルの民の仲間入りをすることができた。ラハブは、イエス様の系図に連なる人とされる栄誉にあずかっている。神は希望のない人生を送り、滅びるしかない罪人として生きる者をイエス様が十字架で流された血潮ゆえに、恵みにより、信仰によって救い出してくださる。神の子としてくださる。ラハブゆえに、ラハブの家族も全員救われることになった。使徒16:31。

22-24節。斥候たちはラハブの好意を得て危機を回避し、守られ、無事にヨシュアのもとに戻り、報告できた。「主は、あの土地をことごとく、我々の手に渡されました。土地の住民は皆、我々のことでおじけづいています。」良い知らせだ。良い知らせを伝える者の足は何と美しいかと書いてある。神様が最も伝えたい内容を持っているのだから、それを伝えることができるように、その足が踏む一歩一歩を守ってくださる。福音を伝える使命を持っている者は、命がけの歩みだ。今も昔も、殉教することはある。それでも簡単に命を落とすことはないし、無意味に命を落とすこともない。神様がその一歩一歩を守り、福音を伝えることを助けてくださるからだ。福音を届ける道中、特別な御守りの中にあることを覚えよう。

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