逃げ回るのをやめて、まだ時のある間に、神様と向き合うことが必要です。
逃れうる者はない[アモス9:1-10]
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【ノート】
第五の幻(1-4節)
順番的には第五の幻だが、毛色が違う。預言者との会話はなされないし、視覚に訴える要素がない。象徴や比喩ではなく、すべてがそのままの内容だ。つまり、神がこれからなさることについて、すでに曖昧な要素は全くないし、預言者にも絶対に止められないし、必ず実現すると確定しているということ。預言者は多くの段階において主に祈ることで幻が実現するかどうか左右できる。でも、ある時、預言者が左右できる段階は終わり、確実に実現することを待つのみとなるのだ。私たちはまだ日本がどうなるかを左右できる段階にいる。祈ろう。
場所は祭壇だ。おそらくベテルの聖所だろう。聖所を主が破壊するが、災いの主要な対象は聖所よりもむしろそこに集まる礼拝者たちだ。柱頭とは装飾がなされている柱のことだ。地震で柱も、敷石も揺れ動き、聖所が崩れて礼拝者の頭上に落ちて来るのだ。多くの者が建物の下敷きになって息絶える。生き残った者たちは助かったと思う。下敷きになった人々よりも自分たちの方が幸運だと思う。神から祝福されていると思う。ところが、主は「生き残った者は、私が剣で殺す」と言われる。方法が変わるだけで、みんな同じように死んでしまう。どうしてか?全員が罪人だからだ。ルカ13:1-5。すべての人に悔い改めが必要だ。悔い改めが生と死をわける。まだ時のある間に、悔い改めてキリストを信じれば、生きることができる。
神から逃れられる者はいない。神が罪の報酬の死を与えようとするとき、神は様々な災いによって、すべての人を例外なく、どこに逃げようと関係なく、死が臨む。人は神から逃げ回るが、陰府、天、山の上、海の底、敵の手に逃げても、逃げられない。主の目は避けられない。主は見ておられる。罪の刑罰は不可避だ。だからこそ、まだ時のある間に、逃げ回るのをやめて、悔い改めよう。キリストによって罪の赦しを得よう。
罪を犯しても、それを認めず、心を頑なにして悔い改めない人は、何とか神から逃げおおせることができると信じているふしがある。自分の罪を肯定する変な教えを探してくる。罪を指摘する人々から離れる。教会を変える。聖書を遠ざける。そういうことをしたとして、逃げられるか?逃げられない。神はその人を悔い改めに導くために、どこに行っても同じ問題にぶつかるようにし、場合によっては罪を悟らせるために祝福を奪い去ることがある。それでも逃げ回ろうとし続けたとして、最終的にはすべての人が神の御前に立つことになる。逃げるのをやめよう。罪を認めて、罪の赦しと清めを受け取ろう。イエス様は人がどこまでも罪を認めずに神から逃げ回り続けようとするので、その人たちを捕まえて罪の赦しを得させるために、人間となって地上に来られたのだ。
5-6節。万軍の主が賛美されている。5節は地震について言われている。「主が大地に触れられると、地は揺れ動き」と書いてある。神の偉大さがよくわかる。今年も能登で地震があった。私もそこに行った。道路が寸断され、電気ガス水道が止まってしまい、家が倒れてしまう地震、主はその地震をどうやって起こすのかというと。ちょんと触れるだけ。ちょこっと主が触れるだけで地震になる!地震は、主の裁きとして行われる側面と救いにつながる側面の両方がある。イエス様が死なれたときも、復活の朝も、地震が起こった。黙示録では、多くの災いが起きても人々は悔い改めなかった。地震の時だけは悔い改めが起きている。黙示録11:13。主が触れて、すべてが揺れ動くとき、良い変化を経験する機会ともなりうる。破壊は再生の契機だ。地震が起きたら、頑なな心を打ち砕き、悔い改めて神を賛美する機会としよう。6節では、すべての自然の秩序が神によってもたらされているのを見る。秩序も揺れ動かしも主の善い御業。主を賛美しよう。
7節。クシュは狭い意味で言えば古代エチオピアだ。イスラエルにとっては地の果てに住む人々。世界の端っこにいる脇役だ。これは間違いではない。イスラエルは確かに世界の中心であり、聖書の預言の成就の中心的舞台だ。日本の世界地図は日本が中心にある、アメリカの世界地図はアメリカが中心にある。どこでも自己中心だということ。では、本来何が中心を決めるかといえば神であり、神の言葉である聖書であり、イエス・キリストだ。マタイ18:20。イエス・キリストはいつも真ん中であられるべきお方。キリストの千年王国はやがてイスラエルで誕生する。イスラエルは確かに真ん中だ。
そして、イスラエル人は自分たちこそが世界一優れた人種だという認識を持っていた。これは誤りだ。主の御目に、イスラエル人とクシュ人の違いはないという。主の御目に人種の優劣はない。イスラエルは出エジプトの出来事を主から優遇されている証拠として誇った。それはそうだが、実はペリシテ人も、アラム人も、現在の場所で栄えているのは、主がそこに導き上ったからだった。これはモアブ人、アンモン人、エドム人についても同様だ。日本人もそうだ。主が日本を与えてくださった。使徒17:26。主が境界を決めておられる。そういう意味でグローバリズムに流されて、民族としての独自性を失ったり、移民を闇雲に受け入れたりするのは御心ではないということがわかる。主が導き上ったということだけでは独自性としては弱かった。
イスラエルを特別なものにしていたのは、主の一方的な恵みによる選びによる。申命記7:6-8。恵みによって選ばれたということを忘れて高ぶり、選ばれた目的を果たさず、主の契約をないがしろにするなら、イスラエルを特別視する理由はもはや何もないのだ。塩に塩気がなくなれば、何の役に立つだろうか、とイエス様が言われたのに似ている。そう。これはまさに私たちにもあてはまる。クリスチャンには他の人よりも優れた点がたくさんある。そうであってしかるべきだ。それらは全部主の恵みにより、キリストとの結びつきによって与えられたものだ。コロサイ2:3。Ⅰコリント4:7。私たちが取るべき態度はおごり高ぶることなく、主に感謝と賛美をささげて信仰に生きることだ。
8-10節。一見矛盾することが言われている。「王国に目を向け、地の面から絶たれる」とある。この預言の通り、北イスラエル王国はアッシリアによって滅ぼされて消滅する。ところが、「ヤコブの家を全滅させはしない」ともある。これは、国としては滅ぶけれども、イスラエルの部族としては命脈を保つという意味。イスラエルの家の回復は新約聖書でも預言されている。ヨハネ11:52。黙示録7:4。ローマ11:26-29。あなたは選ばれたか?イエス・キリストを信じているのなら、あなたは天地創造の前に選ばれている。あなたに対する選びと招きも取り消されることはない。
イスラエルは完全に絶たれてしまうのではなく、ふるいにかけられる。麦を脱穀した後、小石や茎などの実ではないものを取り除く過程がふるいだ。そのように、イスラエルの中で罪ある者だけが死んで、残りの者は生かされる。罪ある者の罪とはどんな罪か?預言者が語る裁きの御言葉を侮り、耳を傾けない罪だ。携挙の時期は、霊的に目を覚ましている人々にはだいたい予想ができる。イエス様はいちじきの木から教えを学びなさいと言われた。パウロは主の日が突然あなたを襲うことはないと書いている。どちらも、おおよその時期について予想できるという意味を含む。預言者の声は今後どんどん増えてくるだろう。私たちはそれらの声を侮ってはならない。侮って、無視していると、大変なことになるかもしれない。世のもので心に鈍らせることなく、霊的に目覚めて、主の御声を聞き取ろう。Ⅰヨハネ2:15-17。
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