これが、新しい掟です。新約といったらこの掟です。この掟こそ、私たちは守るのです。あなたはそうしていますか?
互いに愛し合いなさい
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【ノート】
■聖書が最も求めている道徳的な特性
一つあげれば愛。Ⅰコリントでは永遠に残る3つのものを挙げている。Ⅰコリント13:13。木にたとえると信仰が根、希望が茎、愛は花。異言、預言、施し、殉教も愛がなければ無に等しい。毎週日曜日に教会に通い、什一献金をささげていても、愛がなければ無に等しい。愛はそれだけ大事だ。クリスチャンの成長は愛における成長。愛をゴールにしよう。愛に価値を置こう。その他のことは愛と比べれば大したことはない。
■新しい掟
マタイ22:36-40。最も言われたが二つ答えた。どちらも愛するということ。これと似た教えをイエス様は語った。ヨハネ13:34-35。新しい掟。この直後に新しい契約の杯をかわすので、新約の掟だ。新約といえばこの掟をまず連想すればよい。でも、どこが新しいのか?最重要命令とあまり変わらないのでは?どこがオリジナルなのか?「わたしがあなたがたを愛したように。」御言葉は、旧約ではできなかった。新約ではできる。イエス様が御言葉を行った。イエス様は御言葉自体だった。ヨハネ1:1-3。その愛で愛されている。愛された人だけが愛することができる。私たちは愛されているので愛することができる。でも、聖書の文字だけでは愛されているとわからない?御言葉は以前人の外にあった。今や受肉しておられる。最初はイエスという人間に。ヨハネ1:14。次にすべてのクリスチャンに。コロサイ2:9-10。ガラテヤ2:20。
■どんなふうに互いに愛するか?
第一に、敵を愛する。マタイ5:43-47。世の一般論を否定。誰が敵を愛せるか?神の子らしい。あなたは神の子か?ということはできる?ヨハネ1:12。父と子は瓜二つ。悪人をも、正しくないものをも愛してよくしてあげることができる。愛しやすい人を愛しても報いはない。愛しにくい人を愛することこそ求められる。神が周りに愛しにくい人を置くには理由がある。
第二に、人にしてもらいたいことをする。マタイ7:7-12。だからって何?天の父は求める者に良い物をくださる。だから、天の父の子も求める者に良い物をあげるのだ。人に謝罪してほしいと思うか?自分が謝罪する。人に赦してほしいと思うか?赦す。人に変わってほしいと思うか?自分が変わる。人に話を聞いてほしいと思うか?自分が話を聞く。人に誠実でいてほしいと思うか?自分が誠実にする。人に料理を作ってほしいと思うか?自分が作る。人に足を洗ってほしいと思うか?自分が洗う。人に皿を洗ってほしいか?自分が洗う。教会で、「こういうことをすればよいのに」と何か思うことがあれば、誰がやればいいか?私だ。それが神の子だ。誰かに要求するのではなく、自分がする。愛する者たちを愛するのは喜びだ。そういう神の子が教会に満ちたら、天国だ。
第三に、自分を犠牲にする。ヨハネ15:13。命を捨てる機会がないからできない?命を捨てられるなら、できることがたくさんある。友のために、プライドを捨てる。意地を張らない。自由になる。友のために、変なこだわりを捨てる。相手に合わせる。自由になる。友のために、時間を費やす。時間=人生、命。友のために自由を捨てる。友のために好き勝手なことをせず、どこかに行ってしまわず、一緒にいる、あるいはつながり続ける。キリストが人間になり、神としての自由を捨ててくださったように。キリストもずっと一緒にいてくださる。ヘブライ13:5。
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