要塞は悪魔の嘘によって形成された考え、戦場は思考、相手は悪霊、武器は真理の御言葉です。
要塞を破壊すれば、キリストに完全に従うことができるようになります。
神に由来する力で要塞を破壊する[Ⅱコリント10章]
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【ノート】
1-2節。パウロは10章で、対決姿勢を鮮明にする。7章まではコリントの信徒たち全体に対して語り、8-9章では献金について、「言葉では言い尽くせない贈り物について神に感謝します」という言葉で結んでいる。10-12章は、特に根強いパウロ反対派を念頭にした内容だ。彼らがパウロに対してどんな揚げ足取りをしていたか、この内容を見ればわかる。
まず、パウロ反対派は、パウロは対面では弱腰だが、手紙では強気になる小心者だと非難していたことがわかる。それについて、「キリストの優しさと心の広さとをもって、あなたがたに願います」とある。反対派がパウロを「弱腰」と見たのは、パウロの持つキリストの柔和さを勘違いしたからだった。パウロの態度はキリストの態度から来るものだった。キリストが優しくて寛大なので、パウロはコリントの信徒たちにそのようにふるまった。それは、ただキリストのことを真似ただけでなく、内住しておられるキリストの性質を発揮したのだ。クリスチャンは、キリストに結ばれているので、キリストの性質を自分の性質とする。私たちはキリストの優しさと心の広さを持って人々に接することができる。ここでいう優しさ、心の広さとは絶大な権威を前提とする。キリストは万物を支配する力をお持ちだ。キリストはいちじくの木を呪って枯らすことができた。もし、その力を人間に向けたら、人間は皆ひとたまりもない。しかし、その権威をいたずらに誇示することなく、優しさと寛大さをもって罪人たちと接してくださった。クリスチャンは、実は神の子として絶大な権威を有する。霊の世界のヒエラルキーでは、神の子はトップだ。悪霊が私たちの言うことを聞いて追い出されるのは、格が違うからだ。そういう権威を持ちながらも、へりくだって目下の人にまでも柔和に接するのがキリストの在り方でありクリスチャンの在り方だ。アーメン。
ただその優れた態度が悲しいかな、一部の不届き者に「小心者だ、弱腰だ」と誤解を与えることがあるだけだ。実際には2節に「勇敢に立ち向かうつもりです」と書いてある通り、パウロにはキリストの権威に立ち向かう勇気があった。しかし、「わたしがそちらに行くときには、そんな強硬な態度をとらずに済むように願っています」とある通り、パウロとしては、今までと同じ柔和な態度でコリントの信徒たちと接したかった。そのために、手紙や人を派遣して、直接訪問する前に対処しようとしたのだ。
また、パウロ反対派は、パウロは肉に従って歩んでいると見なしていた。ここでいう肉に従って歩むとは、堕落した世的な動機により、神によらずにただ人間の力だけで生きているということだ。パウロのコリント教会の問題に対する対処法について、そのような難癖をつけたのだ。反対派はパウロが人間的な感情にまかせて、人間的な知恵や力だけに頼って解決しようとしていると何の根拠もなく中傷した。世界宣教に用いられ、しるしと不思議な業にも用いられ、新約聖書の半分近くを書いた使徒パウロがこういう中傷を受けていた。こういうことは誰に対していくらでも好き勝手に言えてしまうということだ。だから、もし私たちが人から根拠なく「あなたは肉的だ」と言われたとしても真に受ける必要はない。ここに登場するパウロ反対派のようにたいていの場合、そういうことを言う当の本人が最も肉的な歩みをしている。これに対しての反論が3-6節だ。
3-6節。3節で、「肉において歩んでいますが、肉に従って戦うのではありません」という。これは肉体を持って生きているが、堕落した罪性に従って、つまり怒りや敵意にまかせて、ただの人間の武器を使って、人間を相手に戦うのではないということ。
それでは、何を相手にしたどのような戦いなのか?悪霊を相手にする戦いだ。思考を戦場とする戦いだ。霊的戦いだ。戦いでの攻撃対象のことを要塞と書いてある。要塞の中身は4節の後半から5節によると理屈、神の知識に逆らう高慢、あらゆる思惑だ。要塞は、要するに、人間の思考に深々と根差した悪魔の嘘であり、いつも信仰のつまずきとなり、悪霊どもの拠り所となるものだ。悪霊どもはいつもその要塞を利用して私たちを攻撃してくる。そして、毎回その攻撃はうまくいってしまう。毎回、ワンパターンに要塞のある人はやられてしまう。要塞はクリスチャン、未信者問わず存在しうる。要塞のある人は、その人が未信者であればいつもその要塞によって福音を受け入れられない。要塞のある人がクリスチャンであればその要塞に基づいてワンパターンに罪を犯したり、御言葉に従えなかったりするのだ。パウロ反対派はクリスチャンだったが、要塞があった。その要塞が邪魔して、いつもパウロが語る御言葉に反対したのだ。あなたの思考には要塞は造られていないか?いつも一定の思考によってつまずいてしまっているところはないか?考えてみよう。まず、要塞を特定しよう。
具体的には要塞とはどのようなものが挙げられるか?進化論、この世の詭弁的な哲学、堕落したこの世の風潮、聖書に対するありきたりな反論が要塞となっている人がいる。間違った神学が要塞になることも多々ある。だから、聖書に関する書物や話であっても、何でも鵜呑みにするのではなく、分別力が必要だ。また、すべての人を無力化する否定的、破滅的思考が要塞となることもある。過去の失敗やショッキングな出来事、あまりにも何度も人から聞かされたことが要塞を形成することがある。「私は駄目だ」「私は癒されない」「誰も私のことを愛してくれない」あまり並べ立てると、気分が滅入るので、このくらいにしておこう。全部、悪魔の嘘である。これらは決して神から来た思考ではない。私たちは信じなくてよい。これらの要塞を木端微塵に破壊しよう。
要塞を特定できれば、後ははやい。破壊するための武器が与えられている。パウロはそのための武器を持っているという。それは、神に由来する力だという。しかし、その武器がどういうものか詳しく書いていない。聖書の他の箇所に照らすと、わかる。ヨハネ8:31-32。特定の嘘の思考にとらわれている人を解放するのは、真理であり、しかも聖書の御言葉で語られている真理だ。真理はあなたたちを自由にする。悪い思考から自由にする。では、どうやってそのことは起こるのか?イエス様の御言葉にとどまるなら、イエス様の弟子であり、真理を知り、自由になる。ということは、御言葉にとどまるということが、解放につながる。悪魔の嘘による要塞は、強烈な経験や何度も何度も世や周りの人々から洗脳されるように植え付けられたものだ。それらを取り去るべく、神の真理の御言葉にとどまり続ける。それを何度も聞き、思い巡らし、宣言することによって解放が起こるのだ。自分の要塞を破壊する上で、良い方法がある。100円ショップで暗記単語カードの束を買うか、暗記アプリをインストール。私の場合、今はAnkiroidというアプリを使っている。表に要塞の破壊に役立つ約束の御言葉を書く。裏面に自分に対する適用を書く。万能の御言葉としては、フィリピ4:13が良い。それを表面に書いて、裏面には自分が問題に感じていることについて「周造には〇〇することができる」と書く。自分が何者かわからない人はローマ8:15が良い。罪の意識に悩んでいる人はローマ8:1が良い。将来に不安を感じる人はエレミヤ29:11が良い。その他、マイ聖句を選りすぐって、それに対する適用を書き、朝起きた後と夜寝る前に読み、思い巡らし、宣言するようにする。そうすれば、要塞は破壊され、あなたの心は真理によって自由になる。心は完全に癒される。
その他の箇所としては、武器庫と呼ばれるエフェソ6:10-18でも攻撃に使われる武器は神の御言葉だ。御言葉を語って要塞を破壊する。パウロがパウロ反対派にしようとしていたことはこれだっただろう。真理の御言葉を力強く語って、彼らの内にある要塞を打ち砕き、彼らを悪霊どもから解放しようとしたのだろう。人々に聖書のメッセージを語るというのは、そういう意味で常に、悪霊の追い出しをするようなものだ。いったん自分の要塞の破壊の仕方についてお伝えしたが、この箇所は本来他の人の要塞を破壊することを意図したものだ。多くの人が悪魔の要塞によって信じることができないようにされてしまっている、無力化されてしまっている。自分の要塞の破壊ができたら、パウロがしたように、真理の御言葉を語って人々を解放する上で用いられる者になろう。相手がどんな哲学や宗教を信じていたとしても、強い信念を持っていたとしても、どれほど精神的に病んでいて絶望的な状況に思えたとしても、大丈夫だ、「要塞を破壊するに足ります」と書いてある。福音は神の力であって、それらを破壊することができる。おじけることなく、大胆に御言葉を伝える者になろう。アーメン。
7-11節。7節で「あなたがたは、うわべのことだけ見ています」と書いてある。コリントの信徒たちはパウロのうわべだけで見ていて、霊的識別力が皆無だった。では、どのようなうわべを見てパウロを判断したのか?10節によると、「弱々しい人で、話がつまらない」と書いてある。これは励ましに満ちた内容だ。まず、使徒パウロはそんなに体格が良くなかったらしい。見栄えが良くなかったらしい。私たちはたとえ外見がパッとしなくても、強そうに見えなかったとしても、パウロのように用いられることができるということだ。人が神様に用いられるかどうかは、外見や肉体によらず、中身で決まる。その人の霊が、魂がどういう状態かで決まる。祈りと御言葉を大事にしているか、清い生活をしているかによって決まる。
さらには、パウロは話すことがつまらなかったらしい。おそらくパウロは当時ギリシャではやっていた弁論術に長けていなかったのだろう。いろいろな修辞表現をちりばめて、聞く人の耳を楽しませるようなことはなかったのだろう。第一の手紙で引き合いに出されていたアポロのようには話せなかったのだろう。エウテコがパウロの話を聞いて眠ってしまったのはそういう理由もあるだろう。だから、ギリシャのすばらしい演説で耳が肥えていたパウロ反対派にとっては「話がつまらない」となった。このことから、私たちはたとえ話がつまらなくても、ユーモアがなくても、演説の才能がなくても、使徒パウロのように大勢の人々をイエス様に勝ち取る上で用いられることができるということだ。なぜなら、神の国はただの言葉ではなく、力だからだ。話がつまらなくて、福音の力で人を悔い改めさせることができる。話がつまらなくても悪霊は追い出され、病気は癒される。ハレルヤ!
7節後半部で「私はキリストのものだと信じきっている人」が出てくる。この人がパウロ反対派のリーダーだったかもしれない。「私はキリストのものだ」と自負することはすばらしいことだ。クリスチャンはいつでもこのことを間髪入れずに告白できるようにしたい。この人の問題は「私はキリストのものだ、私は偉いのだ、だからキリストの権威でパウロたちを退ける」と主張していたことだ。もし、健全な信仰を持っていたらこうはならない。Ⅰヨハネ5:1。「神から生まれた者」であれば、生んでくださった方を愛するし、その方から生まれた者をも愛する。つまり、他の兄弟姉妹を愛する。そうでなければ、本当にイエス様を信じて新しく生まれたか疑問符がつく。私が何者であるかを知ることは、同じ信仰を持つ兄弟姉妹たちも貴いのだと知ることに直結する。
8節で、パウロは自分の権威がどういう権威かを語る。「打ち倒すためではなく、造り上げるために主がわたしたちに授けてくださった権威」とある。パウロたちは、コリント教会を造り上げる上で主から用いられた。そういう権威があることはもう証明されている。口だけで「自分はキリストのものだ」と他の兄弟姉妹にもあてはまることを言って高ぶっているのとは違う。もっとも、ここでパウロは自分の権威を主張しつつも、相手を脅かさないように配慮も同時にしている。パウロの権威はあくまでも、造り上げるためであって、打ち倒すものではないのだ。すべてのクリスチャンに対してもそうだ。私たちは皆、人を駄目にしたり、排除したりするための権威ではなく、造り上げるための権威を授かっている。あなたは人を造り上げることができる。
12-18節。パウロは、自己推薦する人たちのことは眼中にないという。自己推薦をする者たちは物差しが間違っている。自分を物差しとして他人と評価し合い、比較し合う。しかし、私たちに評価を下す神のことは忘れているのだ。
パウロは神が割り当ててくださった範囲内で誇るという。神は人それぞれ領分を割り当ててくださる。パウロの場合、コリント教会がその領分に含まれていた。領分は誇らしいことだ。領分は主から推薦されている証しである。あなたにはどのような領分が神からまかされているだろうか?領分は、あなたの能力、あなたの行動範囲、あなたの奉仕、あなたの人間関係などに関わるものだ。あなたには神から与えられた領分がある。その領分において、あなたはかなり自由に支配できる。自分の土地で建物を建てたり、畑を作ったり、物置にしたり、自由に仕えるのと同じだ。その領分の中において、あなたは神の子としての権威を行使して支配していくのだ。それを誇らしく思おう。領分を適切に管理していくとどういうことが期待できるか?
第一に、私たちの働きが領分の中でますます増大することを期待できる。15節にそのことが書いてある。その領分における神の子としての支配が進み、神の国が力強く臨み、御心がことごとくなっていく。具体的には、能力がどんどん磨かれていく。料理の腕が、楽器演奏のテクニックが、子育ての業が磨かれていく。家族が皆救われる。職場の同僚が皆救われる。病人が皆癒される。賜物を用いた奉仕で人々が次々と救われていく。そういうことだ。
第二に、私たちの領分は拡張する。16節で「あなたがたを越えた他の地域にまで福音が告げ知らされるようになること」とある。これは領分が拡張されなければ起こらないことだ。神は忠実に自分の領分を管理する者たちには、さらに多くの領分をまかせる。タラントンのたとえやムナのたとえに書いてある通りだ。この領分の拡張はヤベツの祈りに通じる。歴代誌上4:10。領分が拡張されるまでは、ブレイクスルーまで戦いや葛藤がある。しかし、ひとたび拡張されたら、そこはもうあなたの領分だから、あなたはまた神の子として自由に権威を行使して支配していくことができる。
主から与えられた領分、それを誇らしく思おう。主から推薦される者となるように、パウロのように領分を支配する者になろう。
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