7つのソラ

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Solaはラテン語で、「~のみ」という意味です。

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【ノート】
今日10月31日は宗教改革記念日。宗教改革は、教会がその長い歴史の中で忘れてしまった救いの真理を回復するためのムーブメントだった。生まれながらの人間は罪人であって、放っておけばどんどん神から離れていく。救われ、成長するためには救いについての信仰と知識が必要だ。エフェソ4:13。たとえ両親が敬虔なクリスチャンだったとしても、子供たちがクリスチャンになるとは限らない。だから、信仰と知識が次の世代に伝わらなければ、教会は世代を経るごとにどんどん堕落して、神から離れてしまう。教会は建物だけで、中は空っぽか、未信者だらけということになりかねない。そういうことが実際に起こった。

初期のころ、教会が迫害されていたとき、教会はその信仰の純粋さを保つことができた。一人一人が命がけでイエス・キリストを信じていたのだ。しかし、313年、ローマ帝国でキリスト教が公認され、次いで392年に国教となった。すべての人がみんな自動的にキリスト教徒ということになったのだ。全然信仰のない人も、聖書を全く理解していない人も、自動的にキリスト教徒ということになった。それによって教会は急速に世俗的になり、堕落していき、聖書の真理は失われていき、聖書とは無関係な教会の伝統や慣習ばかりが重んじられるようになった。ゲルマン民族の大移動によって西ローマ帝国が滅亡した後も、西ローマにあった教会は存続した。ゲルマン人たちをキリスト教化して、取り込んでいったのだ。ローマの監督が教皇として政治的な実権まで握るようになって、ヨーロッパ世界を支配した。絶対的な権力を持ったのだ。絶対的な権力は神のみに許されたもので、人間が持つなら絶対的に腐敗する。ローマ・カトリック教会もその例にもれず、十字軍遠征や魔女狩りをした。教会の職位のお金での売買、贖宥状の販売、性的なスキャンダルが起こった。聖書の知識は教会が独占してしまい、一般人は知ることができなかった。それで、教会の建物に人がいっぱいいても、ほとんど誰も救われていないという状況に陥ってしまった。これが宗教改革の背景にある。

現代の日本でも、教会は何とかしないといけない状況にある。クリスチャンの数が増えない!ずっと1%!約8千あるプロテスタント教会のうち、牧師のいない教会は300、兼牧も含めるとその数は約1千教会。教会は高齢者が多く、これからは無牧になる教会や閉鎖する教会がどんどん増えると言われている。これも根本的な原因は同じだ。救いの真理に堅く立っておらず、信仰と知識が次の世代やほかの人々に伝わっていないのだ。私は教会が成長して、救いの喜びを知った人々が豊かに起こされて、キリストの命に満ちあふれるようになることを願っている。教会が改革され続け、成長し続けるために決して失われてはならない真理とは何なのか、宗教改革でとりあげられた教えを学び、聖書でそれがどのように書いてあるか確認しよう。そこに立つものとなろう。

宗教改革で強調された救いの真理は、5つのソラという言葉で言い表されている。ソラというのは、「だけ」「のみ」という意味。私たちは神からの尊いものに自分のもの、人間のもの、サタンのものを混ぜてはならないのだ。神のものはすばらしいので、何を混ぜたとしても価値を落としてしまう!神からのものは純粋でなければならない。Ⅰペトロ2:2。5つのソラは、宗教改革者たち自身が語った内容ではなく、20世紀になって改革者たちの教えをまとめるのに良い言葉として提唱されるようになったものだ。最初は3つのソラであって、1965年に初めて5つのソラということが語られた。

第一に、ソラ・スクリプトゥラ (Sola scriptura) 。「聖書のみ」という意味。聖書だけが究極的な権威。伝統や教会会議ではない。Ⅱテモテ3:16。聖書を解釈するときには何を最も大事にすべきか?聖書だ。すべての教えは聖書によって精査されなければならない。イエス・キリストは聖書のみを絶対の権威とした。そして、人間の教えによって聖書を無にするファリサイ派を厳しく戒めた。マルコ7:8-9,13。教会の堕落を預言したような御言葉だ。究極的な権威は「聖書のみ」としよう。

第二に、ソラ・フィデ (Sola fide)。「信仰のみ」という意味。信仰だけが救われるために必要なもの。善い行いではない。ローマ3:28。義というのは完全に正しいという意味。善い行いによって完全に正しい者になることはできるか?不可能だ。行いを基準とするならみんな地獄行きになってしまう。しかし、人はイエス・キリストを信じるとき、イエス・キリストの義が私たちに与えられる。神は私たちを正しいと宣言してくださる。私たちは善い行いがなくても、完全に正しい者、罪がない者、天国に行ける者とみなされる。では、善い行いは?善い行いは救われた後について来る。

第三に、ソラ・グラティア (Sola gratia) 。「恵みのみ」という意味である。恵み、つまりその資格がないにもかかわらず与えられる好意によってのみ救われるのであって、人の力や功績によるものではない。救いは一方的な神からのプレゼントなのだ。エフェソ2:8-9。プレゼントをもらったらどうすればいい?喜んで、「神様ありがとう!」といえばいい。救いは喜びと感謝をもたらす。

第四に、ソルス・クリストゥス (Solus Christus) 。「キリストのみ」という意味。キリストのみが神と人との間の仲介者であって、牧師や神父や聖人ではない。Ⅰテモテ2:5。ほかの誰の仲介もいらない。私たちはいつでもキリストにあって神とつながっていることができる。

第五に、 (Soli Deo gloria) 。「神にのみ栄光を」という意味。神のみが栄光を受けるべきであって、自分、イエスの母、聖人、天使ではない。Ⅰコリント10:31。栄光は主が独占すべきものであり主にお返ししなければならない。人が輝くのは、それは月が太陽の光を浴びて輝くように神の栄光によって輝くのであって、あくまでも神を賛美しなければならない。人を敬うのは良いが度が過ぎると偶像になってしまう。

この5つのソラは非常に大事なことであり、宗教改革のときにはこの5つで十分だったのだろう。しかし、私は現代の教会を改革して成長するためには明らかに5つのソラでは不十分だと気づいた。むしろこの5つだけしかないなら教会は停滞してしまう!私たちは聖書のみを絶対的な権威とするが、教会の歴史からも多くのことを学ぶことができる。なぜなら、神が御手によって歴史を導いておられるからだ。聖書には歴史書が書いてあり、教会の歴史は使徒言行録に書いてある。使徒言行録はパウロのローマでの滞在で終わっているが、教会の歴史はそれ以後も続いている。神が導いておられる教会の歴史を通して私たちは神の偉大な御業やご計画を知ることができる。そこで、教会史に基づいてもう2つのソラをここに付け加えたい。こういう試みは他にもないか調べたが同様のことをしている人はいた。

第六に、ソラ・カリタス(Sola caritas)。「愛のみ」という意味。愛のみを動機とするのであって、恐れではない。救いは神の愛から始まっている。ヨハネ3:16。神が私たちに求めておられることも、すべて愛に包含される。最も重要な掟は「心を尽くし、精神を尽くし、思いを尽くして、あなたの神である主を愛しなさい」であり、第二が「隣人を自分のように愛しなさい」であって、イエス様は律法と預言者はこの二つに基づいていると言われた。宗教改革では愛の実践というのが弱かった。18世紀のメソジスト運動でジョン・ウェスレーが目指したのは愛において完全になることだ。完全な愛は恐れを締め出す。Ⅰヨハネ4:18。

第七に、ソラ・スピリタス(Sola Spiritus)。「聖霊のみ」という意味。聖霊のみに依り頼むのであって、人間の武力や権力によるのではない。聖霊様は救いの保証を与える方。エフェソ1:13-14。聖霊様によって救いの確信が得られる。教会の礼拝も聖霊様によって可能となる。ゼカリヤ4:6。これは神殿建築の際に与えられた預言。聖霊様の力によって神殿が建てなおされ、礼拝が新たにされる。他の人をキリストに勝ち取るのも聖霊様による。使徒1:8。聖霊様の力は20世紀の聖霊運動で強調された。教会の成長には絶対に欠かせない。

これらのソラを自分のものとするために一緒に信仰をもって宣言しよう。

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