獅子の洞窟に投げ込まれる[ダニエル6章]

ダニエル書
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ダニエル書6章からは2枚の絵が見えます。
※インターネット礼拝のメッセージの切り抜きです。

獅子の洞窟に投げ込まれる[ダニエル6章]

獅子の洞窟に投げ込まれる[ダニエル6章]

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聖書箇所:ダニエル書6:1-29

1 さて、王国を継いだのは、メディア人ダレイオスであった。彼は既に六十二歳であった。
2 ダレイオスは、王国に百二十人の総督を置いて全国を治めさせることにし、
3 また、王に損失がないようにするため、これらの総督から報告を受ける大臣を三人、その上に置いた。ダニエルはそのひとりであった。
4 ダニエルには優れた霊が宿っていたので、他の大臣や総督のすべてに傑出していた。王は彼に王国全体を治めさせようとした。
5 大臣や総督は、政務に関してダニエルを陥れようと口実を探した。しかし、ダニエルは政務に忠実で、何の汚点も怠慢もなく、彼らは訴え出る口実を見つけることができなかった。
6 それで彼らは、「ダニエルを陥れるには、その信じている神の法に関してなんらかの言いがかりをつけるほかはあるまい」と話し合い、
7 王のもとに集まってこう言った。「ダレイオス王様がとこしえまでも生き永らえられますように。
8 王国の大臣、執政官、総督、地方長官、側近ら一同相談いたしまして、王様に次のような、勅令による禁止事項をお定めいただこうということになりました。すなわち、向こう三十日間、王様を差し置いて他の人間や神に願い事をする者は、だれであれ獅子の洞窟に投げ込まれる、と。
9 王様、どうぞこの禁令を出し、その書面に御署名ください。そうすれば、これはメディアとペルシアの法律として変更不可能なものとなり、廃止することはできなくなります。」
10 ダレイオス王は、その書面に署名して禁令を発布した。
11 ダニエルは王が禁令に署名したことを知っていたが、家に帰るといつものとおり二階の部屋に上がり、エルサレムに向かって開かれた窓際にひざまずき、日に三度の祈りと賛美を自分の神にささげた。
12 役人たちはやって来て、ダニエルがその神に祈り求めているのを見届け、
13 王の前に進み出、禁令を引き合いに出してこう言った。「王様、向こう三十日間、王様を差し置いて他の人間や神に願い事をする者があれば、獅子の洞窟に投げ込まれるという勅令に署名をなさったのではございませんか。」王は答えた。「そのとおりだ。メディアとペルシアの法律は廃棄されることはない。」
14 彼らは王に言った。「王様、ユダヤからの捕囚の一人ダニエルは、あなたさまをも、署名なさったその禁令をも無視して、日に三度祈りをささげています。」
15 王はこれを聞いてたいそう悩み、なんとかダニエルを助ける方法はないものかと心を砕き、救おうとして日の暮れるまで努力した。
16 役人たちは王のもとに来て言った。「王様、ご存じのとおり、メディアとペルシアの法律によれば、王による勅令や禁令は一切変更してはならないことになっております。」
17 それで王は命令を下し、ダニエルは獅子の洞窟に投げ込まれることになって引き出された。王は彼に言った。「お前がいつも拝んでいる神がお前を救ってくださるように。」
18 一つの石が洞窟の入り口に置かれ、王は自分の印と貴族たちの印で封をし、ダニエルに対する処置に変更がないようにした。
19 王は宮殿に帰ったが、その夜は食を断ち、側女も近寄らせず、眠れずに過ごし、
20 夜が明けるやいなや、急いで獅子の洞窟へ行った。
21 洞窟に近づくと、王は不安に満ちた声をあげて、ダニエルに呼びかけた。「ダニエル、ダニエル、生ける神の僕よ、お前がいつも拝んでいる神は、獅子からお前を救い出す力があったか。」
22 ダニエルは王に答えた。「王様がとこしえまでも生き永らえられますように。
23 神様が天使を送って獅子の口を閉ざしてくださいましたので、わたしはなんの危害も受けませんでした。神様に対するわたしの無実が認められたのです。そして王様、あなたさまに対しても、背いたことはございません。」
24 王はたいそう喜んで、ダニエルを洞窟から引き出すように命じた。ダニエルは引き出されたが、その身に何の害も受けていなかった。神を信頼していたからである。
25 王は命令を下して、ダニエルを陥れようとした者たちを引き出させ、妻子もろとも獅子の洞窟に投げ込ませた。穴の底にも達しないうちに、獅子は彼らに飛びかかり、骨までもかみ砕いた。
26 ダレイオス王は、全地に住む諸国、諸族、諸言語の人々に、次のように書き送った。「いっそうの繁栄を願って挨拶を送る。
27 わたしは以下のとおりに定める。この王国全域において、すべての民はダニエルの神を恐れかしこまなければならない。この神は生ける神、世々にいまし/その主権は滅びることなく、その支配は永遠。
28 この神は救い主、助け主。天にも地にも、不思議な御業を行い/ダニエルを獅子の力から救われた。」
29 こうしてダニエルは、ダレイオスとペルシアのキュロスの治世を通して活躍した。

【原稿】
ダニエル書6章からは2枚の絵を見ることができる。どちらの絵をとってみても未来の出来事を予表するものとして非常に優れている。1つの絵は大患難時代にあって忠実な残りの民が神の救いを体験し、再臨のイエス・キリストに出会う。この絵の中では、命をかけて祈りと賛美をささげたダニエルが忠実な残りの民の型だ。大患難時代の聖徒は獣の数字を拒むためにダニエルのように命をかけた。すべての神の礼拝を廃止して神の地位を要求したダレイオスは不法の者の型。Ⅱテサロニケ2:4。ダニエルを陥れようとして敵たちは大患難時代の終わりに滅ぼされるイスラエルの敵。ダニエルの敵が獅子の洞窟に投げ込まれたように、イスラエルの敵たちは厳しい裁きにあう。黙示録19:20-21。そして、ダレイオスの治世の次に現れるキュロスは再臨のイエス・キリストの型だ。キュロスは誕生する150年前にイザヤ書で預言されていた。イザヤ45:1。主が油注がれた人と書かれている。キリストは油注がれた人という意味だ。キュロスは異邦人の王でありながら信仰深いユダヤ人の悲願だったエルサレムの神殿の再建に用いられた。ダニエルはキュロスの治世まで仕えた。大患難時代で神の救いを体験した聖徒たちは再臨のイエス・キリストの訪れをみることができる。
もう1枚の絵はイエス・キリストの受難だ。ダニエルは政務について何の落ち度もなかったのに訴えられた。イエス・キリストは罪を犯したことがなかったのに訴えられた。ダレイオスはダニエルを救おうと日の暮れるまで努力したが、駄目だった。ポンテオ・ピラトはイエス様を釈放しようと努力したが、駄目だった。ダニエルは獅子の洞窟に投げ込まれ、入り口は石で封印された。イエス・キリストは十字架で死んで葬られ、入り口は大きな石で封印された。ダレイオスは翌朝、ダニエルが獅子から救われたことを目撃した。マグダラのマリアは安息日の朝、イエス・キリストが死から復活したことを目撃したのである。ダニエルに対してメディアとペルシャの法律の要求することはすべて満たされた。もはや法律がダニエルなすことはない。キリストに対して律法の要求はすべて成就した。もはや律法の呪いはない!このように旧約聖書の中に隠された新約聖書についての多くの型を見出すことができることを知るとき、聖書は確かに神の霊感によって書かれた最高傑作の書物であることを再確認することができる。ハレルヤ!
1節。メディアとペルシャの連合軍は、メディアのダレイオスとペルシャのキュロスによって率いられていた。ダレイオスはキュロスの叔父にあたる人物で、バビロンの滅亡後にはまずダレイオスが王となった。2-3節。ダレイオスは腐敗しきったバビロンの支配体制を再編成すべく、各州に総督を置いた上で、「王に損失がないようにするため」総督から報告を受ける大臣を三人置いた。ダレイオスはその大臣の一人にダニエルを抜擢した。バビロンの支配者たちは職務に怠慢だったり、賄賂をとったり、でたらめな会計をしたりして、王に損失を出すのが当たり前だった。しかし、ダニエルが大臣である限りすべての不正は暴かれ、正された。そして清廉潔白なダニエルをお金によって買収することは不可能だった。ダニエルはすでに80代の老人だった。にもかかわらずどんな若者よりも優れていた。なぜダニエルはそんなに優れていたのか?4節。優れた霊、つまり聖霊様に満たされていたからだ!ダレイオスにもそれがわかり、王国全体をまかせようとした。そして聖霊充満のクリスチャンの有能さは世の人の目にもとまるのだ。
しかし、このことはダニエル以外の不正にまみれた総督や大臣にとってはたまったものではない!ダニエルの敵には第一に貪欲があった。ダニエルが総理大臣になったら不正が働けない!第二に嫉妬があった。ダレイオスを王にしたのは自分たちだ。よそ者のユダヤ人が重用されてなるものか!そこで、敵はダニエルの身辺を洗いざらい調べて何か弱みをにぎろうとした。5節。敵たちは自分たちで調べてよくわかっただろう!ダニエルが王に重用されているのは、彼が非の打ち所がないくらい優れていたからだ!忠実で勤勉でスキャンダルのネタは何もなかった!

それであれば納得しなければならない。彼はしかるべくしてその総理大臣の地位を得ようとしているのだと。自分たちも王に重用されたければダニエルを学ばなければならないと。しかし貪欲で嫉妬するものはそういうことを悟ることができない。私たちは彼らと同じ轍を踏んではならない。
6-9節は敵たちの陰謀。ダニエルの敵たちは正攻法ではダニエルを陥れることができないことを知り、ダニエルの信仰を利用してダニエルを陥れることにした。6節。ダニエルの信仰は敵も認めていた。ダニエルなら命を捨ててでも神に祈るだとうと!ダニエルは誰も認める信仰者だった。7-9節で敵たちはダレイオスに法律を制定するようにと願い出る。敵たちが願い出た法律の内容から悪魔が私たちを陥れようとする手法がわかる。第一に、偽りを含むものだ。8節で「王国の大臣、執政官、総督、地方長官、側近ら一同相談いたしまして」と言っている。高官たちが全員で集まり全会一致で決めたことのように言っているが、この中にはダニエルが含まれていないことは明らかだ。彼らは王に嘘をついた。悪魔は偽り者の父であって嘘によって信仰者を陥れようとする。第二に、悪意を巧妙に隠すものだった。「ユダヤ人の神に願い事をする者は・・・」というふうに言ったら王もすぐに彼らの悪意に感づいただろう。それで「王様を差し置いて他の人間や神に願い事をする者は」とした。ただ王をたたえたいという善意と忠誠心からのものであるかのように装っている。悪魔はこのように悪意を隠して光の天使のふりをして信仰者を陥れようとする。第三に、欠陥を含むものだった。8節で違反者に対する処罰を「獅子の洞窟に投げ込まれる」としたが、獅子に食い殺されることにはしなかった。メディアとペルシャの変更不可能な法律の中にさえ、ダニエルのために逃れる道が残されていた。神は悪魔が信仰者を滅ぼすことを許していない。信仰者が信仰を貫くなら、悪魔は信仰者に手出しできない。ヤコブ4:7。
10節。王はなぜ禁令に署名したのだろうか?それはもちろん権力者として高ぶりによるところがあっただろう。高官たちに持ち上げられて気をよくしたのだ。もう一つの理由としては、誰もこの禁令を発布されても困らないと思ったからだ。王としても、もし国中の人々が獅子の洞窟に投げ込まれる恐れがあったら禁令に署名しなかっただろう。しかし、王はそんな心配をしないといけないほど人々に信仰心がないのを知っていた。当時ほぼすべての人々は偶像崇拝者だった。メディアとペルシャの支配者であるアーリア人はゾロアスター教だ。彼らは火を崇拝したが、火も被造物だ。被造物を崇拝することはすべて偶像崇拝にあたる。偶像崇拝者は偶像崇拝のために命をかけない!偶像崇拝者は自分たちが拝んでいるものに大した価値を置いていなかった。偶像崇拝者は宗教心を満たすために偶像を拝み、習慣的に宗教行事に参加し、自分の願望を偶像に投影する。しかし、それだけだ!30日間偶像崇拝ができなくなっても、「ま、いっか、代わりに王に願い事をしよう」くらいの感覚だ!王にとって宗教はつまらないものだったし、ダニエルの敵たちも自分たちが30日間偶像崇拝できなくても全然困らなかった。王の目には、メディアとペルシャ全体を見回してもたかが30日間偶像崇拝ができなくて困る人がいるようには思えなかった。生ける神を知らない人にとって宗教というのはみんなそういうものである。
しかし、主なる神を知る者にとって礼拝は命よりも重要なことである!11節。ダニエルは禁令のことを知っていた。対処する方法はいろいろあった。礼拝を誰にも見られないようにひそかに行うこともできたし、知恵を働かせて敵の策略を暴いて倒してしまうこともできた。しかし、ダニエルはもっと良い選択をした。神を信頼することだ。いつも礼拝している神が自分を助けてくださると信じること、これにまさるものはない。それでダニエルは家に帰ると「いつものとおり」にした。ダニエルの心は神への信頼によって平和そのものであり、獅子の洞窟も緊急事態にはあたらなかった。いつものとおりにするので十分だった。
ダニエルは「エルサレムに向かって開かれた窓際」で祈った。それは祈りを見せびらかすためではない。列王記上8:47-49のソロモンの神殿奉献のときの祈りに基づく。ダニエルはひざまずいて祈った。信仰者の勝利は神の御前にひざまずくことによって得られる。ひざまずいて祈ることがあるか?神に心を向けるにふさわしい姿勢だ。やってみて。
ダニエルは日に三度の祈りと賛美をささげた。神に心を向けることが途切れないようにした。神がキリストにあって私たちに望んでおられることもこれだ!Ⅰテサロニケ5:16-18。獅子の脅威も聖霊充満の信仰者の祈りと賛美を止めることはできない!ダニエルのようにノンストップで神に祈りと賛美をささげるものとなろう!アーメン!
これがダニエルの「いつものとおり」だった。ダニエルは捕囚にされたときから60年間以上、いつもこのようにしていただろう。このような神の忠実な僕を神が放っておくはずがない!
ダニエルは政務に忠実が何の汚点もなかったが、この禁令を破った。人間に従うのではなく、神に従わなければならない。世の中の指導者に従うことはいと高き神への礼拝が妨げられない限りにおいてだ。神と人間の指導者の要求がはっきりと異なるとき、私たちは常に神を選ぶ。禁令はダニエルを確実に仕留めようとする敵によって30日間と定められたが、実は1日でも良かった。12-14節で禁令が発布された最初の日にダニエルの違反を目撃した敵は、さっそく王にダニエルのことを訴える。いまや悪魔は光の天使を装うのをやめて吠え猛る獅子のように牙を隠さない。Ⅰペトロ5:8。

15節。ダレイオスはダニエルを救おうと努力した。しかし、世の権力者であったとしても人間は救いについて無力だ!16節で役人たちは王に法律を引き合いに出して禁令の通りにするように迫った。王は役人たちをつっぱねることができなかった。メディアとペルシャの法律は、王であっても覆すことができない。銀の胸と腕にあたるメディアとペルシャは王の権力が金の頭のバビロンよりも劣化しており、法律の効力が王の意思よりも優先されることが見える。17-18節。王はやむを得ず禁令の通りダニエルを獅子の洞窟に投げ込み、入り口に石を置き、王の印と貴族たちの印で封印した。19-21節。ダニエルはいつものとおりにしたが、王はいつものとおりにすることができなかった。そばめを遠ざけ、眠れずに過ごした。ダニエルが助かるとしたら神以外にはありえない。しかし、王は今まで何の力もない偶像の神しか知らない。夜明けと共に急いで洞窟に行った。そして不安に満ちた声でダニエルに呼びかけた。

23-24節。神は天使を遣わして獅子の口をふさぎ、ダニエルを救われた。このことから二つのことがわかる。第一に、神を信頼する者は悪魔から何の害も受けない。信仰の盾によって悪魔の放つ火の矢を消すことができる。第二に、神を信頼する者がキリストと共に支配する千年王国を予表している。獅子の口が何ら脅威とならない時代が来る。イザヤ11:6-9。

25節。王はダニエルの敵たちを妻子もろとも容赦なく獅子の洞窟に投げ込んだ。天使による束縛から自由になった獅子は彼らをあっというまに餌食にしてしまった。ダニエルは一晩中獅子の洞窟で無傷だったが、神に逆らう者は一瞬で滅びた。大患難時代の終わりにもこうなる。

偶像崇拝者だったダレイオス王は生ける神を知った。ダニエルの神を崇めることは世の中の宗教と違って意味のあることだった。そこで、ダレイオスは感動をもって勅令を出した。26-28節。この勅令には期限が定められていない。ずっと有効だ。そして、メディアとペルシャの法律によって一切変更できない。この勅令には罰則規定がない。獅子の洞窟は必要ない!誰も処罰を恐れて神を恐れるのではなく、神を愛して、神を賛美するのだ!30日間礼拝を禁じる悪意のある禁令は期限を終えて失効し、すべての民が永遠に生ける神を恐れかしこむようにとの勅令が代わりに出された。この勅令のように、信仰者の勝利の先には、すべての民によってささげる永遠の礼拝がある。そこに行きつくまでダニエルのように神を信頼し、絶えず祈りと賛美をささげる者となろう!アーメン!ハレルヤ!

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