敵を愛しなさい[ルカ6:27-36]

ルカによる福音書
スポンサーリンク

主は次元の違う生き方を求めておられます。

敵を愛しなさい[ルカ6:27-36]

敵を愛しなさい[ルカ6:27-36]

YouTubeのチャンネル登録はこちらから!

【ノート】
20-26節では神の人に対する公平な取り扱いだ。27-36節では、主は公平な取り扱いを私たちも人に対して実践するように求めておられる。ここで、イエス・キリストは対人関係で、神の国の人として生きるにはどうすればよいのかを教えている。ここでは「〇〇しなさい」と合計12のことが命じられているが、1つの命令の具体的な実践方法だと言ってよい。27節、35節。1つの命令だけが二度繰り返されている。「敵を愛しなさい」だ。このことから、イエス様は、愛の実践の対象を明確にしておられる。もし対象が明確になっていなかったら、「確かに隣人を愛するように主は命じておられるが、この人は意地悪なので隣人ではない」「この人は私の信仰に反対して迫害してくるので隣人ではない」「この人とは相性が悪いので隣人ではない」「この人とは肌の色が違う、文化が違う、国籍が違うから隣人ではない」というふうに、勝手に愛する対象から除外することができてしまう。しかし、主が「敵を愛しなさい」と言われたからにはその余地はない。敵をも愛するということは、神が望んでおられる愛の対象にはすべての人が含まれるということだ。私たちが「えー、この人も愛さなければならないのですか!?」と主に聞けば、主は「愛しなさい」と言われる。

確かに、自分の親しい人と同じように敵に対して深い愛情を抱くということはできない。しかし、ここで命じられているのは感情や当の人間関係に基づく愛ではない。恋人だから、親子だから、友達だから親しみを感じ、愛情を抱くことができ、愛するというのではない。新約聖書の原語のギリシャ語では、大きく4種類の愛がある。恋愛はエロス、親子愛はストルゲー、友情愛はフィリアだ。イエス・キリストがここで命じておられる愛は、神の完全な愛であるアガペーだ。アガペーは、信仰による神との関係に基づく愛だ。アガペーは相手が誰であろうと一貫して相手が求める以上の善を行おうとする無限の愛。見返りを求めない無償の愛。相手に対する感情の問題ではなく、神からいただいた神に対する燃えるような感情によって動かされ、信仰に基づく意思によって実践される。イエス・キリストの恵みが私たちをそうするように駆り立てる。
敵を愛しなさいというのは最高の道徳的教えであって、クリスチャンではなくても感動する。それで、聖書をただの倫理の本ととらえて、信仰もなしに「ここですばらしい教えが説かれている!これを実践して世界平和を実現しよう!」としたとしても、アガペーはイエス・キリストへの信仰なしには存在しないものなので、その目論見はうまくいかない。しかし、信仰のあるクリスチャンにはアガペーの愛を実践することは可能である。
敵を愛する愛の実践について、大きく4つのポイントで取り上げる。これらはイエス・キリストが実践したことであり、キリストの弟子であるクリスチャンたちが今まで実践してきたことだ。

第一に、善によって悪に打ち勝つことが要求されている。27-30節。昔の人は、やり返さないことは弱いことと考えた。しかし、この箇所から、愛は、世の人々から向けられる悪よりもはるかに強いということがわかる。憎しみ、悪口、侮辱、物理的な攻撃、持ち物を奪うことによっても、この愛を打ち負かすことはできない。何ものもイエス・キリストを通して示された神の愛から私たちを引き離すことはできない。愛の人には不屈の忍耐があって、あらゆる悪を耐え忍ぶことができる。むしろ、愛の人は悪を行う人々を憐れむ。悪を行う人々は、神の愛を知らず、心がすっかりすさんでいるからこそ悪を行ってしまう。彼らこそ祈りが必要、彼らこそ親切にしたあげることが必要。神の愛が悪人の心を溶かし、悔い改めに導くことを期待できる。キリストが徴税人を悔い改めに導いたように、今でも奪い取ることを生業とする人々が伝道者たちを通して示される力強い愛に打たれて悔い改めることがある。ヤクザの組長が回心するし、世界で最も殺人が多発したニューヨークのスラム街のギャングも回心する。善によって悪に打ち勝つ強い愛を身に着けよう。

第二に、積極的な命令だ。どちらかというと「するな」という教えよりも「せよ」という教えの方が多い。「するな」という消極的な命令が2つに対して、「せよ」という積極的な命令が10だ。
特に31節のゴールデンルールの中に積極性が現れている。31節。このゴールデンルールは、キリスト以前には存在しなかった教えだ。それと似て非なるシルバールールなら、多くの人々の教えの中に見出すことができる。
孔子は論語で、「己の欲せざるところ、他に施すことなかれ」と説いた。ファリサイ派のラビのヒルレルは、「自分にとって嫌だと思うことをほかの人にもするな。それが律法のすべてであり、ほかはすべてその説明だ」と説いた。ギリシャ哲学のストア派の基本原理の一つは「自分にしてほしくないことは他人にもしてはならない」だ。ヒンドゥー教の「マハーバーラタ」には、「人が他人からしてもらいたくないと思ういかなることも他人にしてはいけない」と書いてある。イスラム教のムハンマドの遺言には「自分が人から危害を受けたくなければ、誰にも危害を加えないことである」と書いてある。これらはすべて否定形だ。そのようなことをしないようにすることは難しくない。何もしないで寝ているだけで実践できてしまう!墓の中にいる死人でも実践できる!日本風に言うと、「他人様に迷惑をかけてはいけませんよ」というもの。これは裏を返せば、「自分には迷惑をかけてくれるなよ!」という事でもある。非常に消極的で無関心。しかし、他人に関心を持ち、自分にしてほしいと思うことを他人に対してやりぬくことは全く異質のもの。そこには犠牲が伴う。食べ物や持ち物を提供し、時間を提供し、励ましの言葉を提供する。
愛は積極的な行動の中に表れるのだ。神の御心は、あれもダメこれもダメと命じて私たちがタブーだらけになって、萎縮して何もできなくなることではない。むしろ、生き生きと活発に活動して神の愛が人間関係の中で目に見えて現れてくることを求めておられる。

第三に、次元の違う生き方が要求されている。主が命じておられることはすべて、普通のことではない。それは、普通の人であれば当然するであろう悪いこと、ほとんど悪とも言えず世の中ではある程度許容されていることを禁止する。仕返し、奪われたものを取り返すといったもの。そして、普通の人であればしない、自分に対して悪を行う人に良いことをしたり、何もあてにせずに貸したりするように命じることだ。それらはすべて普通であってはならないという精神に基づいている。32-34節。罪人でも行っている当たり前のことを当たり前にしたところで、「どんな恵みがあろうとか」と三連続で書いてある。それは当たり前なので、主が特別に喜ばれることではなく、神の国での報いはない。主は当たり前のことをするのではなく、すべてにおいて一段上のことを要求している。人との関わりの中で次元が違う生き方をすることを求めておられる。
そして、これらの命令を実践したとき、私たちはひたすら「主の恵み」のみを期待すべきだ。その状況だけを見れば、ただ損をしているだけにしか見えないときもある。侮辱され、奪われるだけで終わるように思えることもある。お金や必要なものを惜しみなく与えてよくしてあげても、恩を仇で返すかのようにかみついてくる人もいる。しかし、無意味ではない!その状況によって損得勘定してはならない。主はそのことを喜んで、恵みを注いでくださる。その人はこの世でか神の国においてかわからないが、必ず主が豊かに報いてくださることを体験することになる。ただそのことだけを信じて、愛を実践する者となろう。

第四に、主がこのような愛の実践を私たちに望んでおられる理由。主がこのような愛の実践を私たちに望んでおられるのはなぜだろうか?それは、主が敵を愛しておられるからだ。35-36節。罪人は皆神に敵対している。特にイスラエルでもない、異邦人はあからさまな神の敵だ。しかし、主はそんな敵だった私たちのために神の独り子であるイエス・キリストを与えてくださったのだ。ローマ5:8。神は敵を愛しておられる。敵に最も大事な独り子を与えた上で、敵を御自分の子供にしたいと願われるほど愛しておられる。そんな愛を私たちも受けた。
32-34節で主は弟子たちを罪人と区別しておられる。イエス・キリストにあってもはや私たちは罪人ではない。私たちのアイデンティティから罪人を削除しよう。クリスチャンは昔罪人だったが、イエス・キリストにあって神の子として生きるのだ。私たちは神がイエス・キリストによって示してくださった十字架の愛を、人間関係の中で実践することが求められておられる。

だから、「そんなの無理だ」と最初からあきらめてしまってはならない。神の愛を受けて、その愛で、敵を愛することに挑戦しよう。すぐに完全にできなかったとしても、主は敵をも愛してくださる方。敵を愛そうとする私たちのことを喜んでくださる。

また、主は真実な方であって、私たちに不可能なことを命じることはない。今やイエス・キリストを信じると、イエス・キリストの霊であられる聖霊様を受けることができる。聖霊様が私たちの心に愛を注いで、敵をも愛するアガペーの愛を可能にしてくださる。イエス・キリストや先人のクリスチャンたちが実践してきたように実践することができる。こういうハードルの高いように思える教えを受け取るときは、フィリピ4:13をセットにして受け入れよう。

【お問い合わせ】
聖書に興味を持たれた方はお気軽にご連絡ください\(^o^)/
池袋で集まりを持っています。

Email : jesus.christ.is.the.lord19860804@gmail.com
※メールで問い合わせる場合は受信設定でこのメールアドレス許可してください。

Twitter : https://twitter.com/Shuzo_Koita

Line : http://line.me/ti/p/ICne2QGIuJ

Facebook : https://www.facebook.com/shuzo.koita

コメント

タイトルとURLをコピーしました