忠実に仕え続ける

キリストに忠実に仕える
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続けるということが忠実さを示します。

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【ノート】
クリスチャンは、キリストに仕えるように召されている。キリストに仕える上で要求されるのは、忠実であること、自分が信頼に値する者であることを証明することだ。信仰というのは信頼に値する者であることを証明する点で問われる。それでは、私たちはどういう点で忠実であることが求められるのか?私たちは、仕え続けるという点で忠実でなければならない。

そのことは旧約にも新約にも書いてある。旧約の祭司は律法に規定されている通り、日毎の献げ物をささげ続けた。つまり、毎日欠かさず主に仕え続けたのだ。民数記28:3-8。旧約の祭司は特別な祭りの日だけでなく、毎日主に献げ続けた。献げ物の中断はイスラエルの信仰の後退、背教の兆候だった。新約の祭司であるクリスチャンも、継続的に主に奉仕をするということが求められる。毎日が主から与えられた特別な日であって、一日だって主に献げない日はあってはならない。

イエス・キリストは忠実な僕がどんなふうに仕えるかを語られた。マタイ24:45-46。この僕は主人が目に見えなくても、主人がそこにいるかのように心で主人のことを思い巡らしいつも忠実に主人に仕え続けた。主人が帰ってくるときに主人にそのすばらしい働きぶりを見てもらえるのは偶然ではなかった。彼は毎日忠実に仕え続けていたので、主人がいつ帰ってきたとしてもその働きぶりを見てもらうことができたのだ。私たちの主は目には見えないが、いつも私たちと共におられる。その主のことを思い巡らし、主の御前で毎日忠実に仕え続けよう。そうすれば、主が再臨されるときにも忠実な働きぶりを見ていただくことができる。

御言葉にあるように主に忠実に仕えるということは、主にささげることを、いつもすること、絶えずすること、どんな周期であれ、毎日、毎週、毎月ごとに続けることが必要だ。気が向いたときにささげるというのは、自己中心であって忠実さに欠けている。奉仕をしたりしなかったりするのではなく、また、気が乗らないのに嫌々するのでもなく、いつも、心を込めて全力で仕え続けるのが忠実な僕だ。もし、気分が乗らなかったら主に対する愛が欠けていることを悔い改めよう。それは最も重要な掟にある通り、心を尽くして主を愛していることにならない。悔い改めて、心を込めて奉仕をするようにするのだ。もちろん、やむを得ない事情があれば主は憐れんでくださる。しかし、極力、心を込めて続けるということが忠実だ。

では、特に何を忠実にし続けるのが良いか?第一に、イエス・キリストを信じ続ける。ヨハネ5:28-29。神の業というと何かしらの行いをイメージするかもしれないが、イエス・キリストを信じることこそが神の業であり、イエス・キリストを信じていないのなら神の業を何もできない。神に対して何の奉仕もできない。私たちはイエス・キリストを一生涯に渡って信じ続けよう。ヘブライ13:7。第二に、教会の集会に出席し続ける。ヘブライ10:45。主の教会をおろそかにして主に仕えることはできない。集会に忠実に出席しよう。第三に、執り成しの祈りをし続ける。エフェソ6:18。人によってまかされている奉仕は異なるが、執り成しの祈りについては、すべてのクリスチャンに対して要求されている奉仕だ。第四に、いままかされている奉仕をし続ける。いままかされていることを中途半端に投げ出してほかのことをしても祝福されない。奉仕を始めたら、ひと段落するか、別の奉仕に召されるか、何かやむを得ない事情があるか、ターニングポイントまで忠実に続けよう。続けることが主への忠実さを示す。
忠実に仕え続ける者に主は賞を約束しておられる。黙示録2:26。奉仕は神聖なものだ。心を尽くして主に忠実に仕え続けよう。

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