ヨシャファトの谷で諸国の民を裁く[ヨエル書4:1-15]

ヨエル書
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最終戦争は、キリストによる一方的な裁きによって終わります。

ヨシャファトの谷で諸国の民を裁く[ヨエル書4:1-15]

ヨシャファトの谷で諸国の民を裁く[ヨエル書4:1-15]

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【ノート】
2章18節からは農業の祝福、いわば物質的祝福が中心。そこには軍事的勝利と後の雨について記載されているが、中心は物質的祝福。3章は霊的祝福である聖霊降臨がクローズアップされる。4章はメシアの再臨だ。メシアが再臨して、イスラエルを攻撃した諸国民を裁き、千年王国を始められるのだ。神に立ち帰った者は千年王国の祝福にあずかり、神に逆らう者には主からの厳しい裁きがある。この裁きによって、すべてがきれいさっぱり清算される。この裁きのお陰で信仰者は、神に従うことと背くことにどんな違いがあるかという点で悩む必要がない。主は裁かれる。だから、神に従うことは良いことであり、祝福があり、安全であって、神に逆らうことは悪いことであり、呪いであり、破滅だ。このことを覚えておけば悩むことはない。もし悪が栄え、敬虔な者が理不尽な苦しみを受けるように思えるときには、このことを思い出そう。主は最終的にすべてを裁かれる。

1節。その日、その時とはいつのことなのか?それは、主の日の苦しみが最大になる時、イスラエルが最も苦しんでいるときだ。そしてそれは、主イエス・キリストが再臨されるときだ。最大の苦しみ後に、繁栄の回復が始まる。大きなリバイバルは大きな苦しみの後に期待できるのだ。十字架での最大の苦しみの後に復活があるのと同じだ。

2節。再臨された主は、ヨシャファトの谷に諸国の民を集めて裁く。しかし、ヨシャファトの谷という地名の谷はイスラエルに存在しない。これはヨシャファト王が主の奇跡によってモアブとアンモンとセイルの山の住民の連合軍に勝利した後に主をほめたたえたベラカの谷のことだろう。この谷の正確な場所はわかっていないが、エルサレムのすぐ近くを含めて最大でも30km以内にいくつかの候補地がある。ヨシャファトの谷と言われているのは、ヨシャファトが主の裁きという意味であって、主の裁きの谷で諸国民を裁く、と意味を重ねているのだ。主が諸国の民を裁く主な理由は、彼らのイスラエルの民とイスラエルの地にした仕打ちを罰するためだ。

イスラエルが諸国の中に散らされ、土地も分配され、奪われてしまうということが書いてある。イスラエルは歴史上、異民族の侵略によって散らされたことが何度もある。まず、アッシリア帝国が北イスラエル王国を滅ぼして、そこに住んでいる人々を強制移住させた。次にバビロン帝国が南ユダ王国を三度に渡って捕囚としてバビロンに連行した。エジプトやほかの国に逃げた人々もいる。さらに、紀元70年にはローマによってエルサレムが陥落した。かろうじて生き残った人々は剣闘士として殺し合いをさせられたり、奴隷として売られたりした。しかし、ここで預言されていることが完全に成就するのは未来のことだ。イスラエルが散らされたことは何度かあったが、イスラエルを散らした諸国民が集められ、裁かれるということはまだ実現していない。世の終わりにもう一度イスラエルが諸国に散らされることになる。そのことは他の預言者でも預言されている。ゼカリヤ14:2。ゼカリヤ書はバビロン捕囚の後に書かれた預言なので、ここに書いてあるのはバビロン捕囚のことではない。そして、ゼカリヤ14章は明らかにメシアの再臨についてだ。2:1-11に書いてある通り、患難期には反キリストの軍勢はイスラエルに攻めてくる。反キリストは世界の支配者なので、その軍勢は多国籍軍であり、諸国民で構成されている。彼らはエルサレムを陥落させ、3:5に書いてあるレムナント以外のユダヤ人は殺されたり、諸国に散らされたりする。イスラエルの地はケーキを分けるようにバラバラにされて諸国に分割されてしまう。
散らされたユダヤ人たちは過酷に扱われる。3節。反キリストに属する人々がどれだけユダヤ人の命を軽んじるかが書いてある。諸国では、ユダヤ人の奴隷の需要がなかった。そこで、捕らえた人全員を生かして奴隷にすることができないので、くじで、ランダムで誰を生かして誰を死なせるかを決める。さらに、兵士たちは遊女を買うために少年を売り飛ばし、酒を買うために少女を売る。主が愛してやまず、宝のように大事にしている民に、低い値段をつけるのだ。そのように、ユダヤ人が軽く見られているときに、イエス・キリストは異議を唱えるように地上に再臨される。主は再臨によって、御自分の民がいかに値貴いか、いかに御自分の民を愛しておられるのかを表される。

4-8節は特にティルスとシドンとペリシテ全土を責めるメッセージ。4-6節。ティルスとシドンは、今はレバノンだ。ペリシテは、パレスチナの由来だ。今でももともとペリシテ人が支配していたガザはパレスチナ自治区が実効支配している。レバノンとパレスチナはイスラエルとすこぶる仲が悪い。時々イスラエルが空爆をしたり、レバノンやパレスチナが報復したりということが起こる。そのようにイスラエルに敵意を持つ国が艱難期に反キリストに味方する。主はそれを責める。主が持っておられるものに手を出そうとするからには、何かしらの権利を持っていなければならない。しかし、主は「お前たちはわたしにとって何であろうか」と言われる。何でもない。イスラエルに敵意を持つ国には、主と主が選んだ国と民に対して何の権利も領分も約束もない。彼らは反キリストのように、主の日の裁きに用いられる存在ですらない。ただ反キリストとの同盟を後ろ盾にしてどさくさに紛れてイスラエルからあらゆる金目のもの、価値あるものを奪い去った。ユダとエルサレムの人々をギリシャ人に売った。6節のギリシャ人というのは反キリストの国だ。反キリストはヨーロッパに君臨すると考えられている。それは合意を得たものではなく、完全に不法行為だ。敵意を持つ国々は反キリストの帝国との同盟を頼りにする。しかし、主は「お前たちはわたしにとって何であろうか」と言われる。何でもない!主にとって、反キリストとの同盟は何でもない!主に逆らう者は何も後ろ盾にすることはできない。
しかし、もしかしたら、イスラエルに敵意を持つ国には「復讐」という大義名分があるかもしれない。「これだけイスラエルにやられたんだから復讐する権利がある!」しかし、主はご自分の民に対する復讐を、御自分に対するものとみなさられる。そして、復讐をするということは、さらに相手に復讐する機会を与えるということだ。主が復讐する者に対して復讐してくださる。私たちは主から「右の頬を打たれたら左の頬を差し出しなさい」と命じられている。イエス・キリスト御自身、人間としての歩みをされたときは、十字架の苦しみにあってすら一切復讐をされなかった。しかし、審判者として来られた再臨の主イエス・キリストは、世界を裁くにあたって、「血の復讐」をする権限を持っておられる。再臨された主はただちに裁かれる。私たちは復讐する権利を全部再臨されるイエス・キリストに託そう。

7-8節。主はユダヤ人を諸国の強制収容所から解放して自由にする。主はナザレのシナゴーグでイザヤ書を朗読して、御自分の使命が「主がわたしを遣わされたのは、捕らわれている人に解放を告げるためだ」と言われた。それは再臨のときにもあてはまる。再臨の時、苦しんでいる主の民はみんな解放され、癒され、自由になる。代わりに、イスラエルに敵意を持った国々が遠くに追放され、つながれることになる。

主が諸国の民をベラカの谷に集める様子が9-12節。9-10節。これは主の呼びかけだ。主は諸国の民の兵士たちに戦いの準備をさせ、士気を奮い立たせる。兵士をことごとく集めさせる。鋤を剣に、鎌を槍にと書いてある。日本軍は戦時中資源がないので、金属類回収令を出してあちこちから金属を集めてまで武器を造った。庶民の鍋やらベーゴマやらまで回収し、教会やお寺にある鐘まで奪って武器を造った。そのように、本来は武器として使うものではないあらゆる資源を総動員して武器を製造して武装するということだ。戦いに召集されるのは、百戦錬磨の兵士たちばかりではない。実戦経験がない弱い者、十分な戦闘訓練を受けていない者まで召集される。しかし、その士気が非常に高く、軍隊が非常に強力で、勝利は確実に思われるので、弱い者まで「私は勇士だ!」という。意気揚々と戦地に集まってくる。この諸国の軍隊はいったい誰と戦うために集められるのか?それは、イスラエルとだ。イスラエルは反キリストによって苦しめられるが、主によって奇跡的に復興した。そのイスラエルをもう一度叩こうとする。それは結局のところ、主に対する戦いだ。主は御自分と戦わせる目的で諸国の民が集まるように導かれる。敵対勢力を一網打尽にしてしまうためだ。戦いが長引くと人々は疲弊してしまう。主は再臨した後の戦いが長引かないようにするために、敵の主力を一か所に集めて一瞬で滅ぼして決着をつけるのだ。

世界中の指導者や軍隊を集めることは簡単ではない。まず、最大の要因として、主が動員をかけた。しかし、その他にも様々な要因によって軍隊が集められる。第二の要因はサタンによる召集だ。主とサタンが同時に召集をかけているのだ。黙示録16:13-16。サタンと反キリストと偽預言者が全世界の指導者たちに召集をかけて、ハルマゲドンに人々を集める。ハルマゲドンとは、メギドの丘のことだ。メギドの丘はイズレエル平原にポツンと目印のように立つ丘。イズレエル平原はイスラエルで最大の平原で面積は約250平方km。東京ドーム5個分以上の広さ。そこに反キリストが集める世界中の軍隊が召集されるのだ。サタンがそこまでして勢力を結集するのは、なぜか?自分の力を誇示するためか?神を恐れているからだ。神に勝てるわけがない。それでも少しでも対抗するためにサタンは神の力を恐れて、最大勢力でイスラエルをつぶしにかかる。
第三の要因は諸国民の罪性だ。諸国の民もただ反キリストに命じられたから機械的に従うのではない。諸国の民にも思惑がある。ユダヤ人は現代でも数が少ないにもかかわらず、世界の富を牛耳っている。イスラエルを倒せば、ユダヤ人が持っているあらゆる財産、利権、技術、政治や経済に対する影響力を奪い取ることができる。諸国の民は貪欲、妬みと言った罪性に動かされて動員される。

悪魔は神に抵抗しようとして召集をかけ、人々は罪性にかられて集まる。しかし、常に神の主権が上手だ。サタンが人に召集をかけたのも第六の天使が鉢の中身を注いだのがきっかけだ。すべては神の計画の内にある。神がすべてを掌握しておられる。神は悪魔と人の最悪の反逆をも良い計画に用いられる。ローマ8:28。私たちが神を愛して神の召しに従っている限り、私たちには絶対的に悪いことは何一つ起こらない。諸国の軍隊が集結している有様を主はどうご覧になっているか?詩編2:1-6。敵の反逆はイエス・キリストの再臨と千年王国での即位を輝かしく彩ることになる。

主が敵をどのように恐怖に陥れるかを見ていこう。11-12節。まず主は信仰者の祈りに答えて天使たちを送ってくださる。反キリストの軍隊は風前の灯火と思われたイスラエルではなく、天使たちと対峙しなければならなくなる。しかし、天使たちはスタンバイしつつもあえて反キリストの軍隊を滅ぼさずにその軍隊の侵攻を許す。まだ主の判決が下されていないからだ。戦いはハルマゲドンで始まり、エルサレムに至り、エルサレム近郊のオリーブ山でイスラエルは主の奇跡によって南北に真っ二つに裂けてイスラエルの民はそこから逃げることができる。そして、最終的に反キリストの軍隊はイスラエルを追ってヨシャファトの谷と書いてあるベラカの谷に行きつく。エドムも一時期戦場となる。これが最終戦争の流れだ。そこで、諸国の軍隊は決戦が行われるものと思う。実際に行われるのは一方的な裁きだ。「座を設け」と書いてある。裁判官が立ったままの状態で下す判決には、法的な効力がないものとみなされていた。だから、ここでイエス・キリストはご自身の権威に基づいて効力のある判決を下すということ。

主の判決の内容が13節。酒ぶねでぶどうを踏むというのは、常に流血を伴う裁きを意味する。「刈り入れの時は熟した」と書いてある。主は性急に裁くお方ではない。主は罪人に悔い改めの機会を与え、忍耐して待たれるお方だ。主が裁くのは、ぶどうの実が熟するように罪が実を結んで極みに達し、もう裁き以外に解決方法がない状態に至ったときだ。主はそれを一挙に刈り取るために谷に諸国の罪が極みに達した人々を集める。14節。ここではヨシャファトの谷ではなく裁きの谷と書いてあるが、これは判決の谷とも訳すことができる。「おびただしい群衆」と書いてあるそこに集う諸国のものすごい人数の人々に判決を下す。その有様は黙示録で詳細に書いてある。黙示録14:14-20。1600スタディオンは約300km。イスラエル中が血みどろになるほど多くの人々が処刑される。そのときぶどう酒の絞り桶を踏むのは主イエス・キリスト御自身だ。黙示録19:11-21。主が正義を成される。私たちは主が愛のお方であると同時に、正義を成されるお方であると知っていなければならない。今は恵みの時代であり、主は罪人を憐れんでくださる。恵みの時代が終わり、判決が下されるときには、主は徹底的に裁くのだ。

ここまでずっとイスラエルの話をしてきた。ヨエル書も黙示録も艱難期の内容ではイスラエルの地名ばかりが出てくる。教会はすでに携挙されているので、艱難期はずっとイスラエルが中心となるのだ。では、キリストが地上再臨して反キリストの軍隊を裁くとき、教会は何をしているのか?キリストの花嫁なる教会もキリストと共に地上に戻る。黙示録19章14節には白く清い麻の布をまとった天の軍勢の姿がある。白い衣は黙示録3:5で勝利を得る教会に約束されたキリストによる義の衣であり、黙示録19:8で花嫁がウェディングドレスとして着せられるものでもある。この天の軍勢の中に教会があり、私たちクリスチャンがいるということだ。クリスチャンはキリストと共に反キリストに勝利するのだ。

15節。これは3:3-4の主の日の前の前兆とは少し内容が違う。これは主の地上再臨と諸国の民に対する裁きに伴うしるしだ。マタイ24:29-30。主はずっと変わることなく光を放ち続ける天体を暗くすることを通して、人類に全被造物を巻き込んだ大イベントが起こるということを気づかせるのだ。悔い改めることなく、この日を臨んだ人々は天体から光が消えることで、すべての希望の光を失ったことに気づき、悲しみのうちに主を迎えることになる。私たちはそうなってはならない。私たちは天の軍勢としてキリストと共に勝利を得る者となろう。

主は裁きの谷で圧倒的な力によって全世界の軍隊を相手に大勝利を遂げる。それを全世界が目撃する。そのときには主の栄光が全地に現される。そのときには主以外のものが輝くことは許されない。それで天体すら光を失い、主の威光と裁きに対して動揺を隠せない。これが千年王国の礎となる。誰ももはや主に対抗しようとは思わない。主を嘲ったり、主に反抗したりすることはありえない。そのときにはすべての舌がイエス・キリストは主であると公に言い表して、父なる神をたたえることになる。

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