ヤハウェ・ニシ

神の麗しい御名と称号
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主の御名を高くあげましょう!

ヤハウェ・ニシ

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【ノート】
神には様々な麗しい御名と称号がある。神様の偉大さを一つや二つの御名によってあらわしきることができないからだ。それらの御名一つ一つが、それぞれ神様の偉大なご性質を表している。それらの御名は私たちの必要のすべてをカバーしているので、私たちは主なる神以外の何ものも崇める必要がないし、崇めることは罪だ。
モーセ率いるイスラエルの民が荒れ野にいたとき、アマレクが襲いかかってきた。イスラエルの民はエジプトで定住したので、荒れ野の生活に慣れていない。みんな奴隷だったので、訓練された兵士を持ってもいない。地の利も実力もアマレク人の方が上だった。しかもアマレク人は卑怯な戦法を使った。イスラエルの民のうち、特に旅で疲れて弱って、遅れている人々から攻撃をしかけてきた。申命記25:17-18。アマレク人は後ろから攻撃をしかければ総崩れになり、一気にイスラエルを滅ぼし尽くせると思ったのだ。このように私たちの敵である悪魔も卑怯な手段で教会を滅ぼそうと攻撃をしかけてくることがある。しかし、神の民の戦いというのは、自分たちの強さだけで決まるものではない。主が、御自分を呼び求める民に応えて戦ってくださる。そのとき、主の新しい御名が啓示された。
出エジプト17:8-16。主はわが旗とある。ヘブライ語ではヤハウェ・ニシだ。ニシには、旗あるいは旗じるしという意味。この御名から主がどのようなお方か3つお伝えする。

第一に、ヤハウェ・ニシは私たちが掲げるべきお方だ。旗は所属を明らかにするものだ。旗は帰属意識を強め、所属するグループに対する誇りそのものだ。そのグループは旗のものに集まる。主御自身が私たちの旗だ。私たちは、他の人々に、自分が主に属する者であることをわかるようにしなければならない。自己紹介をするときは、クリスチャンということを明らかにし、何かのプロフィールにもクリスチャンということを書こう。誇る者は主を誇れと書いてある通り、自分ではなく主を誇りとしよう。主の御名によって集まり、一つになろう。イエス様は二人または三人が私の名によって集まるところには、わたしもその真ん中にいるのであると言われた。主がそこにおられる。

第二に、ヤハウェ・ニシは祈りによって敵への勝利をもたらしてくださるお方だ。敵と体をもって戦っていたのはヨシュア率いるイスラエル軍勢だったが、戦況はモーセが手をあげるか、おろすかによって左右された。モーセが手をあげればイスラエルが優勢に、手をおろすとアマレクが優勢になった。これは執り成しの祈りだ。体を動かして伝道したりメッセージしたりいろいろな奉仕したりする人々がいる。そういう人々は必要だ。しかし、霊的戦いを左右するのは、執り成しの祈り手だ。その祈りに答えて主が戦ってくださり、霊的な勝利をもたらされるので、その伝道で救われる人々が豊かに起こされ、御言葉が良い心畑に蒔かれ、奉仕が良い実を結ぶのだ。すばらしい結果が出る。私たちも執り成しの祈りによって霊的戦いに勝利する者となろう。

第三に、ヤハウェ・ニシは敵を完全に滅ぼしてくださるお方だ。「私は、アマレクの記憶を天の下から完全にぬぐい去る」と書いてある。主は、敵を完全に滅ぼすまで戦い続けてくださる。つまり、私たちは最終的に完全勝利することが約束されているのだ。敵にはすでに致命的なダメージが与えられている。ヤハウェ・ニシであられるイエス・キリストは十字架の上に高く掲げられ、世界中の人々がその十字架を見上げて罪からの救いを受けた。最後にはヤハウェ・ニシであられるキリストは再臨し、すべての敵を滅ぼし尽くす。Ⅰコリント15:24-26。いまはまだ戦いは続き、祈りと忍耐が必要である。しかし、いずれは敵の記憶が天の下から完全にぬぐい去られる。来るべき新天新地には、敵のおもかげは何一つないのだ。そのときまで主の戦いを戦い抜こう。

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