二種類の誕生

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誕生日が二つになる!?

二種類の誕生

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【ノート】
誕生というのは特別なことだ。私たちは、重要な書類やフォームに、たいてい生年月日を書く。誕生した日が人間にとって重要な情報の一つなのだ。また、多くの人にとって自分の誕生日は一つの記念日だ。人によっては誕生日のお祝いをしてもらい、プレゼントをもらうこともある。誕生は特別だからだ。
ところで、誕生は二種類ある。自然の誕生と霊的な誕生だ。すべての人は、自然の誕生を経験しているので、自然の誕生については大して説明がいらない。しかし、霊的な誕生についてはすべての人が経験するわけではないので、説明が必要だ。しかも、霊的な誕生は自然の誕生よりもずっと重要だ。霊的な誕生が何なのかは、自然の誕生と比較することによって、見えてくる。

まず、自然の誕生は、男女の性的な関係によって始まる。霊的な誕生は、永遠の昔に三位一体の神様の愛の関係によって始まる。神は御父、御子、御霊の3つであられると同時に1つの神であられる。神は人知を超えた存在なのだ。御父と御子と御霊は互いに深く愛しあっていた。そして、世界が始まる前に、人間の創造について話し合われた。そして、御子が人間の救いのために自らを犠牲にすると決断なさった。エフェソ1:4。神様は愛であり、私たちを愛して永遠の昔に選んでくださったのだ。

誕生の前には大きな苦しみが伴う。自然の誕生の場合は、母親が産みの苦しみを味わう。それは人間がごく自然に経験する苦しみの中で最たるものだ。霊的な誕生にも大きな苦しみを伴う。まず、御子が人間となってこの世に来られたイエス・キリストが鞭うたれ、茨の冠をかぶせられ、十字架にかかられ、血を流し、苦しまれ、死なれた。鞭うちは動物の骨や金属が先についた鞭で行われ、肉を割き、骨までもむき出しになる。鞭うちだけでショック死する人も少なくない。茨の冠はイエス・キリストの頭蓋骨にまでめりこんだ。すでに瀕死の状態で、キリストは100kgを超える十字架をかついでゴルゴダの丘まで登った。途中で何度も倒れた。十字架刑は、当時のローマ帝国の処刑方法の中でも最も残虐な部類のもので、呼吸もままならないで、手足に絶えず痛みを与え、じわじわといたぶって死に至らせるものだ。肉体的な苦しみだけでも、人間が味わう苦しみの最大のものだが、イエス・キリストは精神的にも、霊的にも苦しまれた。イエス・キリストはイスカリオテのユダに裏切られ、人々に見捨てられた。十字架にかけられているときは、祭司長たちからののしりと嘲りの言葉を散々あびせられた。それ以上に大きな苦しみは、父なる神との断絶、霊的な死だ。イエス・キリストは永遠の昔からずっと父なる神と共におられた。しかし、キリストは十字架の上で、全人類の犯した罪を背負われたとき、私の罪やあなたの罪を神から見捨てられた罪人となった。十字架の苦しみ、キリストの苦しみの中には私の苦しみやあなたの苦しみも含まれている。キリストは私たちの痛みを知っておられる。その偉大な苦しみによって、イエス・キリストは私たちが霊的に誕生できる基礎を築いてくださった。誰でも、イエス・キリストを信じる者は霊的な誕生を体験できる。
しかし、生まれながらの人間は霊的に真っ暗なので、キリストを信じようとしない。十字架の下でキリストを嘲り、ののしった人々と同じように、イエス・キリストを嘲り、無視し、関心を持とうとしない。救われようとしない。そこで、クリスチャンの執り成しが必要となる。誰かが救われるとき、誰かが執り成しの祈りと福音宣教の中で産みの苦しみを経験する。クリスチャンが執り成しの祈りの中でもがき苦しむことを通して、聖霊様が働いてくださり、罪人が回心するようになる。ガラテヤ4:19。

生まれてくることは全面的に私たちの功績ではない。何か良いことをしたからではない!命は無償で与えられる。恵みによるもの。自然の誕生の場合、両親の、特に母親の苦しみのお陰。霊的な誕生の場合は、イエス・キリストの十字架の苦しみのお陰。だから、ただただ感謝しかない。
ほかの人の苦しみのお陰で、私たちは誕生する。そのときに、私たちは命を受ける。自然の誕生では死ぬべき命を受ける。生まれても、やがては必ず死ぬ。死んだらすべてが無駄になるむなしい命だ。さらに、その人が自然に誕生しただけの生まれながらの人なら、神を知らず、神から断絶されているので、死んだ後は神からの良いものが全くない場所で永遠に過ごすことになる。それが地獄だ。霊的な誕生の場合、永遠の命を受ける。肉体が死んでも、霊的には死なない。命である神とつながって生き続ける。ヨハネ11:25-26。すべてが永遠に無駄にならず、すべてに意味があり、目的があり、価値がある命だ。死のとげはとりのぞかれ、死は恐れるに足りないものとなる。

自然の誕生はこの世に入るための誕生。霊的な誕生は神の国に入るための誕生。霊的な誕生なしには神の国に入ることはできない。ヨハネ3:4。

一人の人が生まれてくるとき、大きな喜びがある。自然の誕生では、両親や家族がそのことを喜び祝う。それは母親にとって産みの苦しみを忘れさせるほどだ。ヨハネ16:21。霊的な誕生の場合、天国全体が喜び祝う。ルカ15:7,10。

自然の誕生は誰の目にも明らかだ。赤ん坊は大声をあげて泣きながら生まれてくる。霊的な誕生にもしるしが伴う。それは風のように、目に見えず、はっきりとしたものではないが、現象が伴う。その人は大きな喜びをもって生まれてくる。ヨハネ16:22。決して奪い去ることのできない喜びがその人のうちにある。人の子が自分の親を知っているように、霊的に生まれた人は父なる神を知っている。人の子が自分の親に似ていくように、神の子は神に似ていく。霊的に生まれた人は明確な信仰告白をすることができる。父なる神から常に無限の愛を注がれるので、その受けた愛で神を愛し、隣人を愛する。

自然に誕生した人は、自己中心に生きる。その人は罪を犯し続け、悪いことを考え続ける。社会にはルールと罰則が与えられているので、多くの人がかろうじて犯罪者にならないが、それはたまたまであって心の中では悪だくみが止まらず、罪を犯したいという願望がある。罪を犯すまいとしても、その人の本性が罪人なので、罪に引きずられるしかない。霊的に誕生した人は、神中心に生きることを願う。肉の性質も残っているので、葛藤することがよくある。しかし、その人の本性が新しくなっているので、罪を犯したくなくなり、神の力によって罪に打ち勝つことができる。Ⅰヨハネの手紙5:18。

自然に誕生すると、私たちの肉体は成長し、やがて成長が止まり、衰えていく。弱くなっていく。霊的に誕生すると、私たちの内なる人は成長し続ける。Ⅱコリント4:16。イエス・キリストが私たちの内に形作られる。イエス・キリストに似た者となっていく。愛において成長し、キリストに満ち溢れる豊かさに至るまで成長できる。

これが自然の誕生と霊的な誕生の内容だ。あなたは霊的に誕生したか?あなたは御子イエス・キリストを信じているか?あなたは神を知っているか?もしまだであれば、今、イエス・キリストをあなたの救い主としてはっきりと信じ、あなたの人生を神に明け渡すことをおすすめする。

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