自由の霊

福音&主題メッセージ
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思いのままに行きたい場所に行き、とどまりたい場所にとどまります。

自由の霊

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【ノート】
聖霊様は私たちを新しく生まれさせ、私たちに救いの確信を与え、力を与え、導きを与え、賜物を与える方。聖霊様によって教会は前進してきた。使徒言行録は、実際は聖霊言行録といってもいい。使徒たちが聖霊様によって働いた結果が書かれている。聖霊様なしにはクリスチャンは普通の人と何の違いもない。
だから、私たちは何としても聖霊様に働いていただきたい。聖霊様に働いていただくためにはどうすればいいのか?聖霊様に働いていただくためには、聖霊様がどのようなお方かを知る必要がある。聖霊様は自由の霊だ。
ヨハネ3:8。ここでは聖霊様によって新たに生まれることを風が思いのままに吹くことにたとえている。風が思いのままに。風に思いがあるか?風が何かを考えたり、感じたりして、「こっちに吹こう」とするだろうか?風には思いはない。ここでいう風は聖霊様のことだ。実際にこの風と訳されている原語のギリシア語は、プニュマで、霊とも訳すことができる言葉が使われている。聖霊様は思いのままに、自由に、御自分が行きたい場所に行かれるということだ。このことから、いくつかのことがわかる。

第一に、聖霊様は人格をお持ちのお方だ。聖霊様は力を与えてくださる方なので、ガソリンのようなイメージをお持ちになることもあるかもしれない。それも一面では正しい。私たちは聖霊様との親しき交わりによって油注ぎを受けて心を燃やされて、それで神に対する奉仕の業を行うことができる。ローマ12:11。クリスチャンの原動力となる油注ぎを与えてくださるという点でガソリンのような面がある。しかし、ガソリンには人格はない。聖霊様はガソリンのように私たちに一方的に利用されることはない。むしろ、聖霊様の方が、御心を行う器として私たちを用いる。主人は聖霊様の方。聖霊様は私たちの意思に関係なく、自由に、御心のままに決められる。私たちは聖霊様を人格をお持ちの神として敬い、従わなければならない。

第二に、聖霊様は居心地の良いの場所に行き、とどまる。私たちはどういう場所にとどまりたいか?また、どういう場所にとどまりたくないか?あなたの全然歓迎しない人々がいる場所とあなたのことを大歓迎する人々がいる場所、どちらにとどまりたいか?当然、私たちは、自分を歓迎してくれる人たちのいる場所にはとどまりたいが、拒絶する人たちのところには一秒もとどまりたくない。聖霊様の臨在も当然去る。私たちは聖霊様を歓迎しなければならない。感謝と賛美をささげ、「聖霊様、私の教会に歓迎します!」「聖霊様、私の心に歓迎します!」と祈る。もし聖霊様が何か働かれている兆候が現れたら、心を大きく開いて聖霊様の働きにゆだねることをおすすめする。

また、あなたはゴミだらけで散らかっている場所と掃除されてきれいになっている場所、どちらにとどまりたいか?当然、きれいに掃除されている場所の方が快適になので、そこにとどまりたいだろう。中にはゴミが大好きという方もいるが、少なくとも聖霊様は清められている場所が好きだ。聖霊様を悲しませる罪のごみにまみれていてはならない。悪口や陰口を言ったり、赦せない人がいたり、性的罪やオカルトの罪を悔い改めていなかったりしたことがあれば、その教会はゴミだらけであり、その人の心はゴミだらけの家のようなもの。掃除をしなければならない。罪を一つ一つ認め、はっきりと告白して、イエス様の血潮によって清めていただこう。

第三に、聖霊様は思いもよらない方法で働かれることがある。風はどこからともなく吹くという神秘的な要素があり、人間には予測できない。聖霊様の働きも神秘的なものだ。私たちは聖霊様が「こういうタイミングでこういうふうに働かれるに違いない」という思い込みを捨てなければならない。何でも法則化しようとしてはならない。自分の勝手な思いを聖霊様に供用はめてはならない。
時に聖霊様はあまりにも不思議な方法で不思議な現象を起こされるので、受け入れられない人がいる。聖霊様に触れられたら、不思議な現象が起こるので、周囲の人からは一見すれば、おかしい人、変な人に見えるかもしれない。そのことは聖書にも書いてある。ペンテコステの日に聖霊様の力を受けた弟子たちがそうだった。彼らは聖霊様によって異言を離したり、主を賛美したりした。聖霊様に満たされて、自由と解放を経験していた。しかし、それを見た人の中には、「彼らは新しい酒に酔っているのだ」と嘲る人がいた。こういう嘲る人になってはならない。

Ⅱコリント3:18。主の霊のおられるところには自由がある。主の臨在が私たちに自由をもたらす。また逆に、秩序を重視するあまり、ルールだらけでがんじがらめにして、自由を完全に排除してしまうと、主の臨在を去らせてしまうこともある。もちろん、Ⅰコリント14章に書いてあるように秩序も大事なので、うまく自由と秩序のバランスをとることが必要。ルールを用いつつも、常に聖霊様の働きの余地を残しておく必要がある。

いま、聖霊様を歓迎しよう。ハレルヤ!主よ、聖霊様をいま注いでください。聖霊様、歓迎します!私たちに触れ、自由と解放をもたらし、

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