知識は高ぶらせるが愛は造り上げる[Ⅰコリント8章]

コリントの信徒への手紙一
スポンサーリンク

弱い人には配慮が必要です。

知識は高ぶらせるが愛は造り上げる[Ⅰコリント8章]

知識は高ぶらせるが愛は造り上げる[Ⅰコリント8章]

YouTubeのチャンネル登録はこちらから!

聖書箇所:コリントの信徒への手紙一8:1-13

コリントの信徒への手紙一8:1-13
1 偶像に供えられた肉について言えば、「我々は皆、知識を持っている」ということは確かです。ただ、知識は人を高ぶらせるが、愛は造り上げる。
2 自分は何か知っていると思う人がいたら、その人は、知らねばならぬことをまだ知らないのです。
3 しかし、神を愛する人がいれば、その人は神に知られているのです。
4 そこで、偶像に供えられた肉を食べることについてですが、世の中に偶像の神などはなく、また、唯一の神以外にいかなる神もいないことを、わたしたちは知っています。
5 現に多くの神々、多くの主がいると思われているように、たとえ天や地に神々と呼ばれるものがいても、
6 わたしたちにとっては、唯一の神、父である神がおられ、万物はこの神から出、わたしたちはこの神へ帰って行くのです。また、唯一の主、イエス・キリストがおられ、万物はこの主によって存在し、わたしたちもこの主によって存在しているのです。
7 しかし、この知識がだれにでもあるわけではありません。ある人たちは、今までの偶像になじんできた習慣にとらわれて、肉を食べる際に、それが偶像に供えられた肉だということが念頭から去らず、良心が弱いために汚されるのです。
8 わたしたちを神のもとに導くのは、食物ではありません。食べないからといって、何かを失うわけではなく、食べたからといって、何かを得るわけではありません。
9 ただ、あなたがたのこの自由な態度が、弱い人々を罪に誘うことにならないように、気をつけなさい。
10 知識を持っているあなたが偶像の神殿で食事の席に着いているのを、だれかが見ると、その人は弱いのに、その良心が強められて、偶像に供えられたものを食べるようにならないだろうか。
11 そうなると、あなたの知識によって、弱い人が滅びてしまいます。その兄弟のためにもキリストが死んでくださったのです。
12 このようにあなたがたが、兄弟たちに対して罪を犯し、彼らの弱い良心を傷つけるのは、キリストに対して罪を犯すことなのです。
13 それだから、食物のことがわたしの兄弟をつまずかせるくらいなら、兄弟をつまずかせないために、わたしは今後決して肉を口にしません。

【ノート】
7章は結婚、8章は次の質問への回答に移る。偶像に備えられた肉を食べてよいかどうかという質問。当時、偶像の神殿で肉を偶像の供え物にするという習慣があった。私的な供え物については、その肉のほんの一部はしるしとして焼却し、一部は偶像の祭司が当然の権利としてあばらとももと顔の半分を自分のものにし、その他の部分はささげた本人のものとなった。ささげた人はその肉を使って結婚披露宴をすることが多かった。宴会場は本人の家か偶像の神殿かのどちらかだ。
また、国家による公的な供え物についてもよく行われた。その場合、ほんの一部を燃やし、一部を祭司がとり、残りは役人たちの分になるが、役人たちは余分な肉をレストランや市場に安値で打った。それで、偶像の神殿のレストランでは安い値段でバーベキューが食べられたし、市場でもお買い得商品として並んでいた。そして、市場のどの肉が偶像の供え物になっていたかはたいてい区別がつかなかった。本人が意図しなくても、もしかしたら食卓に並ぶ肉が実は偶像の供え物にされた肉だったかもしれない。
クリスチャンはその肉を食べてよいのかどうかが問題となった。創造主なる神を信じ、イエス・キリストを信じたのに、ほかの神の供え物にされた肉を食べるのは、冒涜の罪を犯すことになるのではないか。ここに信仰者の鋭い良心を見ることができる。真剣にキリストに従おうとする姿勢を見ることができる。
肉を食べてよいかどうか、この点について、コリントの信徒たちの中で立場が真っ二つにわかれた。一方は肉を食べるのは冒涜だから食べてはならないという立場の人々だ。御言葉にもその根拠を見出すことができる。使徒15:19-20。異邦人クリスチャンも守らなければならない数少ない掟として偶像に供えて汚れた肉を食べないというものがある。他方は「偶像の神など存在しないのだから食べても何の問題もない」とする人々だ。彼らは「偶像の神など存在しない」という知識に基づいて肉を無害と判断する。キリスト者の自由を強調し、与えられている自由に基づく当然の権利として肉を食べる。

あなたはどちらだと思うか?食べて良いか悪いかか? この問題は偶像崇拝が多く行われている日本に住んでいる人にとって無関係ではない。また、この問題には信仰生活の中で何が善で何が悪であるかの判断するための原則を提供している。この原則を知るなら、善悪の判断というのは単純ではなく、一言で片づけられる、簡単に白黒つけられるというものではないことがよくわかる。
1節。すべてのクリスチャンには知識が与えられている。心に神の律法が書きつけられている。神の光に照らされている。聖霊によって真理を悟らされている。ここでは使徒パウロは「偶像の神など存在しないから食べても大丈夫」という立場の人に一応同意する。しかし、すぐにそこに制限が加えられる。「知識は人を高ぶらせるが、愛は造り上げる」 「高ぶらせる」にあたる原語のギリシア語には膨れ上がらせるという意味がある。膨れ上がったものは外見だけ大きく見えるが、中身はない。膨れ上がったものはつぶれやすい。ぺちゃんこになりやすい。高ぶりは人をもろくする。弱くする。逆に愛は人を造り上げる。造り上げるは家を建てることを意味するギリシア語が使われている。愛は人を強くするのだ。倒れにくくする。知識だけが増えて愛が成長しない人は、知識を増やせば増やすほどどんどん弱くなるのだ。愛が、常に知識にまさる。知識に基づく自由は、愛によって制限される。これが信仰生活全般に適用される原則だ。
2節。これは全くその通りだ。私はもうよく知っている。もうマスターしているというのは素人だけ。もし私たちが本当に知識を身に着ければ、無知であるということに気づくことができる。何かのプロフェッショナルな人はそのことがわかるはず。もし専門が科学の人がいれば、その人は科学のことがすべてわかると思うか?そんなことはない。
その人が精通しているのは科学の物理学、化学、生物学などの一分野であって、その分野の中ですら、知らないことの方が多いことを知っている。もしその人の専門分野がITだったら、ITのことがすべてわかるか?絶対にそんなことない。私もITの仕事をしているが、ITの中のほんの一分野のインフラ関係の仕事を担っているにすぎず、一番得意な分野でも大した知識はない。新しい技術は常に登場するけど、追いつかない。聖書や神学についても、正直知らないことだらけだ!研究はしているけど、きりがない。ソロモンの知恵を持って、千年生きたとしても極めることはできないだろう。全部知ったからイエス・キリストを信じるわけではない。ただ、神の憐れみと恵みが与えられて、イエス・キリストを信頼することに決めて、イエス・キリストを信じる。「私は良く知っている」と思う人は、基本的な知識すらない人だ。3節。神は誰が御自分を愛しているか知っている。その人は神に個人的に覚えられている。

4-6節はクリスチャンに与えられている知識について。世の人々は、偶像の神が存在していると信じている。しかし、実際にはそういう神々は存在しない。世界は多くの人々が考えているようなものではない。当時、世の人々は天にも地にも多くの神々がいると信じていた。いまでも八百万の神々や多くの神仏が存在していると信じていたり、木にも石にも神が宿っていると信じていたりする。かといえば無神論者や不可知論者もいるし、唯一の神を信じているけれどもキリストを知らない人々もいる。この点について、クリスチャンにははっきりとした知識がある。
6節。この知識を持っていようが持っていまいが、万物は唯一の父なる神によって創造され、父なる神のもとに帰る。そして、万物は唯一の主イエス・キリストによって存在している。ただクリスチャンだけがそのことを知っている。万物がそうなのだから、ほかに神と呼ぶべき存在はない。天使や悪霊のように、人間よりも優れた力を持つ霊的存在はあるが、それらは万物の創造や支配をするものではない。これは非常に重要な知識だ。しかし中には「多くの人が知らないこの知識を、私は知っている」として高ぶる人もいた。そして、彼らはこの知識に立っていない人を馬鹿にしたり、軽んじたりしたかもしれない。それは愛に基づいていない。私たちに与えられている知識はただ、与えられているものであって、神に感謝しなければならない。

7-13節はその知識に基づいて自由に行動する権利を制限しなければならない具体的な理由について。7節。肉を食べるべきではないとするクリスチャンもそのことは知っている。しかし、それと同時に、長年偶像に供え物をささげるという生活をしてきてクリスチャンになった人の中には、完全にその知識に立つことは難しい。偶像の神など存在しないとわかってはいるけども、その肉が偶像にささげられたものだということが念頭を去らない。それで、「良心が弱いので、汚される」とある。罪意識で苦しむことになるのだ。そういう人たちに対して、「なんでそんなことで罪意識を抱くのか!それは間違っている」と言うことは良くない。ローマ14:1-3。これは食べ物に限らない。聖書では明確に罪と断定されていない事柄がある。グレーな事柄がある。たとえば、「お酒はたしなむ程度なら飲んでいいのか?」といった内容。そういう事柄については個々人がはっきりとした確信のもとにどうするか決める。もし「これは罪ではない」と確信を持っているなら、罪に定められない。しかし、もし弱い良心を持っていて、そういったグレー事柄について罪意識を抱いてしまう人がいるなら、それをしない方が良い。それをするなら、苦しむことになる。
ということは、弱い良心の人に対して愛の配慮が必要だ。まず肉を食べることによって「ほら、私はあなただけが神だという信仰を持っている」と御前で示して、神に喜ばれるわけではない。8節。肉を食べるということに霊的なメリットはないということ。体の健康という点でいえば、タンパク質がとれるので良いだろう。ちなみに、メリットはないとして、実際問題として偶像への供え物を食べることは強い良心を持っていれば本当に無害なのか?デメリットはないのか?日本でも仏壇に供えた食べ物を食べるかどうかという問題が出てくることがあるだろう。
まず、偶像の神への供え物の背後には、悪霊の存在があるということが10:20に書いてある。これが弱い良心の人が心配することだ。しかし、これを踏まえても、偶像への供え物を食べて汚れるのは良心の弱い人だけに違いない。同じパウロ書簡のローマ14:14。主イエスによって知っている。主イエス・キリストは、なんと言われたか。マルコ7:15。外から体に入るもので汚すことができるものは何もない!主イエスにあって、私は清められている!主から与えられる日用の糧、食べ物はすべて清いものである。どんな食べ物も私を汚すことはできない!この確信があれば、食べて問題ない。

良心の強い人にとっては問題ないが、場合によっては弱い良心の人に悪影響を及ぼしてしまうかもしれない。つまずきを与えてしまう、ということが問題となる。それが9-12節。ある教会で信仰が認められている人、たとえば、長老が、「私は決して汚されないから偶像の神殿の安い焼肉食べ放題を利用しよう!キリストの十字架によって自由が与えられていることを感謝します!」として、キリスト者の自由を利用して焼肉を食べまくる。すると、そのクリスチャンになったばかりで、弱い良心の兄弟がそれをたまたま見て驚く。「あれは教会の長老だ!教会の長老が偶像の供え物にされた肉を食べているなら、私が食べちゃいけない道理はない」そうやって大胆になる。それで、偶像の供え物にされた肉を食べるが、彼の良心はやはり弱いので、罪意識を覚える。「ああ、私はクリスチャン失格だ!偶像と関わりを持ってしまうなんて!」それでさいなまれる。これは適量の飲酒やその他のグレーゾーンの事柄にもあてはまる。元アルコール中毒のクリスチャンが、居酒屋に入っていく教会の牧師を見て・・・という感じ。11-12節。「あなたの知識によって、弱い人が滅びてしまいます」と書いてある。つまり、最悪の場合には良心が汚されることによって信仰を捨ててしまい、滅びてしまうこともありうるということ。私のためだけでなく、その兄弟のためにはキリストが死んでくださった。兄弟姉妹たちの誘惑となることをしてその良心を傷つけることは、その人に対する罪であると同時にキリストに対する罪でもある。それは罪だ。

クリスチャンの信仰実践は自己中心であってはならない。ほかの人々のことも考えなければならない。自由だからといって何でも好き勝手に言いたいことを言ったりしたいことをしたりしていいわけではない。必ずしも罪ではないことすら場合によっては罪となるのだから、はっきりと罪であることについてほかの人を誘惑するのは問題外だ。慎み深くあることが必要だ。どんな場面でも発言や行動について、周りにつまずきを与えないように最大限の愛の配慮をする必要がある。

ただし、良心の弱い人に対して愛の配慮をしなければならないといっても、限界はある。たとえば、趣味は偶像だから、一切趣味を持たないようにしなければならないという人がいる。そういう人は実在する。その心がけは立派だけども、そういうことをほかの人にも全部押し付けようとしてはならない。ちょっとでも趣味をしているのを見ると、旅行の話やスポーツの話をすると、つまずいた!試みられた!それは違う。良心の弱い人も、良心が強い人に対して配慮が必要だ。

13節。つまずきを与えるくらいならベジタリアンになる!これはちょっとした犠牲だ。私たちの当然行使できる権利は愛によって喜んで制限されなければならない。愛において成熟した大人のクリスチャンになろう。

【お問い合わせ】
聖書に興味を持たれた方はお気軽にご連絡ください\(^o^)/
池袋で教会と聖書勉強会の集まりを持っています。

Email : jesus.christ.is.the.lord19860804@gmail.com
※メールで問い合わせる場合は受信設定でこのメールアドレス許可してください。

Twitter : https://twitter.com/Shuzo_Koita

Line : http://line.me/ti/p/ICne2QGIuJ

Facebook : https://www.facebook.com/shuzo.koita

コメント

タイトルとURLをコピーしました